赤道直下の国 エクアドル

Ecuadorという名前の由来は、その国が赤道 (Ecuator)直下にあるからです 実際には、エクアドル最大の都市グアヤキルは赤道よりも南、つまり南半球にありますが、首都であるキト (Quito)は、まさしく赤道直下にある大都市なのです その人口は200万人であり、インカ帝国および、その先住民族が開いた街で、標高 2,600 – 2,800メートルにあり、周りを最高 6,000mもある高いアンデス山脈に囲まれ、幅 4Km、長さ 50Kmという細長い都市です

実は今回エクアドルに日本から入るため、色々なルートを検討したのですが、一回の乗り換えのみで効率的に入るためには、New York経由で良い、ということになりました 実際、行きは Guayquilに入るのに、JFKで3時間程度の乗り継ぎであり、非常に便利でしたが、問題は戻りだったのです どうしても Guayaquilから JFKに戻る便で良いのがありませんでした

しかし、Quitoからであれば、良い便があり、このためもあり、帰国前に Quitoに移動し、つまり Guayaquil –> Quito –> JFK –> Naritaというルートにしました

Guayaquil – Quitoの間は500Kmぐらいですが、その間はものすごい山道であり、飛行機で飛びました 飛行時間は 40分ぐらいなのです

折角その Quitoに入りましたので、赤道直下を見学することにしました Quitoの街は激しく起伏し、空気が薄いのもあり、初めて訪れて歩くのは辛い感じです

500年前にスペイン人が征服した後、スペイン風の街並を造り、その街並が今も旧市街には残りガラパゴス諸島と共に、キト旧市街は第一号の世界遺産に指定されたそうです

旧市街を見下ろす丘の上 (標高 3,000m)には、羽根があるマリア像が立ち、街を見下ろしています

街を見下ろすマリア像
街を見下ろすマリア像
羽根の生えたマリア様
羽根の生えたマリア様

旧市街にはたくさんの教会がありますが、比較的新しく建造されたゴチック風の教会が旧市街と新市街を分けるように建っています

ゴチック風教会
ゴチック風教会
丘から見下ろした旧市街
丘から見下ろした旧市街

実際に赤道の直下に行きました そこでは本当に赤道ラインの北 2mぐらいと、南2mぐらいで実際に水を流して実験すると北半球側では反時計回りに水が渦を書いて流れ、南半球側では時計回りに渦をかいて流れました これは地球の自転に伴うコリオリの力というものです

そして、生卵を釘の上に立たせることもできるのです (いや実は僕はできませんでしたが・・・)、さらには目をつぶってまっすぐ赤道の上を歩こうとしてもふらふらして歩けません これは、両耳の三半規管にコリオリの力で反対向きの影響が及ぶからです

実に不思議な体験でしたが、このキトには、本当の赤道(これは GPSで確認され、水の流れでも裏付けられました)と、かつてフランスの学者さん達が発見した歴史上公式の赤道記念碑の2つがありました

本物の赤道
本物の赤道
赤道記念碑
赤道記念碑

そんなこんなで、激しいエクアドル訪問を今回無事に終え、良い交流をすることができました

Guayaquilの食事 (和食)

さて、到着した日のディナーでははからずも僕が最も不得手な鶏肉を食べるはめになりました その後はとても注意してそのような過ちを二度としないようにしたのです

このグアヤキルにも何軒かの和食の店があります 現に、この宿泊しているホテル・ヒルトンの別棟には高級ブティックが入っているのですが、その建物の中にも KIYOTO (京都)という和食レストランがあります なかなか料理はきちんとしていて良いのですが、マグロの解凍がまずく、折角の良い赤身マグロなのですが、身がパサパサとなっていました

そんな中で二日目夜皆との会食を抜けだして行ったのが、YAMATO (大和)という店でした 予約は一切受け付けない店です

YAMATO
YAMATO

行ってみると、店の前には行列ができているのです 行列の中に韓国の方はおられましたが、その他は全員エクアドルの方々であり、子供連れの方たちもおられました 店の中は全体で30名ぐらいが着席できるような感じでしたが、とにかく満席でした 暫く待ってから店に入ることができました 鮨カウンターでは三人のエクアドルの方が手際よく鮨を握っておられました

鮨カウンター
鮨カウンター

この店のマグロはなかなかおいしく、またラーメンは近頃日本ではお目にかかれないさっぱり味のしかも、カツオ出汁の澄んだ汁のラーメンでした 麺は少し柔らか過ぎですが、味に関してはとても良いものでした

YAMATOの握り
YAMATOの握り
YAMATOのラーメン
YAMATOのラーメン

総じて味付けは関西風でした また握りのシャリを解析したのですが、なかなかしっかりとした握り方をされていました (僕は何を隠しましょうか、鮨をかなり上手に握るのです、しかも本手返し、小手返し、縦返し の三通りの握り方を使い分けることができるのです)

このエクアドルで傷んだ心が少し回復しました

結局成功率 100%にて終了

今回初めて訪問する国 エクアドルについて、事前に情報はほとんどありませんでした

どれくらい経皮的冠動脈インターベンションをしているのか? どんな先生がやられているのか? などなどについて全く事前情報を得ずに現地に入りました 何となく、まあ慢性完全閉塞といっても順行性アプローチで、Tapered-tip plastic-jacket wireで通過するような簡単なものだろう・・と思い込んでいました

しかし、この甘い予想は完全に裏切られ、結局2つの病院で合計5例の慢性完全閉塞を治療したのですが、その全てがとても難しい症例で、全例で両側性(逆行性)アプローチを行いました どれも本当にCCTなどのライブデモンストレーションで治療が行われるような難しい症例だったのです いや、CCTに参加するよりも、今回の治療を見学されたエクアドルの先生方はその内容を理解されたのであれば、本当に得をしたと思います

実際には、これらの 5例は2つの病院で過去2年間近くの不成功例などから集めた症例だったそうです

1/19 (月)到着したその日の 15:00頃より、Hospital Teodoro Maldonado Carboにおいて、最初の治療を行い、17:30に成功裏に終了しました 既にどんな症例であったか仔細は忘れつつありますが、とにかく病変がとても硬かったのは記憶に残っています

この病院はエクアドル社会保険庁病院 (IESS)であり、公的な病院でした

IESS Hospital
IESS Hospital

翌日 20日は、9:00AM頃より第一例目が開始、いかん すっかり内容を忘れています とにかく固い病変でした

そして、残りの二例も結局は両側性アプローチにせざるを得ませんでしたし、ありとあらゆる自分の持つテクニックを披露せざるを得ませんでしたが、全例成功で皆ハッピーでした

Congratulation for Complete Success
Congratulation for Complete Success

そして、21日はゆっくり目の 9:20AM頃ホテルを出発し、Hospital Luis Vernazaという信じられないくらい美しい建物の病院に行きました

Hospital Luis Vernaza
Hospital Luis Vernaza
Patio within Hospital
Patio within Hospital

病院の中庭 Patioを取り囲むように病院の建物が配置され、丘に向かって登っていく地形に添って段々と建物群が配置されているのです もちろん中庭には Chapelもあります

Chapel in the Hospital
Chapel in the Hospital

この病院はエクアドルで一番古い病院で設立は何と 1564年ですので、500年以上の歴史ある病院です 何でも慈善団体が運営する公的な民間病院であり、グアヤキルの市民病院的性格を有する病院だそうで、たくさんの患者さん達でごった返しておられました

まず連れて行かれたのは、循環器内科のカンファランス室で、そこにたくさんの先生方が集まられ、症例呈示が行われました 症例は左冠動脈前下行枝近位部の慢性完全閉塞を有する 60歳の労作性狭心症の男性患者さんで、左回旋枝にも 90%、右冠動脈入口部に 75%の狭窄を有する三枝病変の方でした 慢性完全閉塞部分から対角枝が分岐し、断端はつるつるであり全く入り口は分かりませんでした

実はもう1例呈示されたのですが、その方は左冠動脈前下行枝と左回旋枝の二枝慢性完全閉塞であり、去年の暮に右冠動脈で心筋梗塞となり、右冠動脈も多量の血栓で完全閉塞のままの症例でした この症例は流石に冠動脈バイパス手術を行うべきだ、と提言し治療しませんでした これらの discussionの後、挨拶のように集合写真を撮影し、カテ室に移動しました

カンファランス終了後
カンファランス終了後

カテ室はやはり一つで、マシンは Philipsの汎用機でした この病院では普段余り経皮的冠動脈インターベンションが行われていない様子で、セットアップに時間がかかり、実際に開始されるまでには 30分以上かかったのです そんな訳で僕が手技に入れたのは 10:30AM頃だったでしょうか

右冠動脈入口部にステントを置いて、中隔枝経由で進めましたが、ワイヤーが左冠動脈前下行枝に通過しても、中隔枝を何も通過できません その原因はガイディング・カテーテルの右冠動脈への固定が不十分で、全くバック・アップが取れないからでした 色々考え、結局 5Frの子カテを取り出し、これを用いて何とか 1.25mm balloonで中隔枝を広げたのです しかしこの過程で問題が発生しました こんなこと初めてでしたが、ASAHI extension wireが接合部で突然離断したのです まだマイクロを抜いてくる前でしたのが、すぐにそれは判明し、結局 南都法によりマイクロを抜去する、という危険な作業となりました このextensionは明らかに製造過程の問題だと思いますので日本まで持ち帰ることにしました

子カテそのままではマイクロ通過させても病変まで到達できませんので、今度は南都法により小カテを抜去したのです これらの操作の過程で意図的ではもちろん無いのですが、第一助手は助けてくれませんし、画面とカテ台の間に立って見ておられる上級医師は、画面を指で刺して、色々と発言されるのですが、それが視界を妨げ、本当にやりにくかったのです だからとにかく早く手技を終了したいので最速のスピードで手技を行いましたので多分皆さん方ついてこれなかったと思います このエクアドルで知り合った Dr. Ricardo Quizhpe先生はそんな中でも僕の手技を理解しようと頑張っておられたので、彼に第一助手を代わってもらいました

Dr. Ricardo Quizhpe
Dr. Ricardo Quizhpe

結局この患者さんは左回旋枝にも左冠動脈前下行枝にもステントを植え込み、三枝病変の全てを治療して終了しました 終わったのは 13:00頃でした

こうしてエクアドルの慢性完全閉塞ライブデモンストレーションと結局なったのですが、5例の極めて困難な症例の全てで成功裏に、合併症無く終了しました

いやあどれもこれも難しい慢性完全閉塞でした

昨日は 8:00AMホテルを出発し、病院へ向かいました 病院は、エクアドル社会保険庁のグアヤキル病院であり、Dr. Teodoro Moldonado Carboという個人名が冠された病院です 建物は古く、一階の天井はとても高いのです カテ室はその一階にあり、一部屋のみでした マシンは古くなく、Siemensの ARTISでしたので、操作には慣れたマシンでした

院内にはネットワークが貼られていて、MIS (Medical Information System)で病院会計がやられているようでした MISは Windows 7の上に構築されていましたが、インターフェースは GUI (Graphical User Interface)ではなく、CUI (Character User Interface)でしたので、少し意外な感じでした

さて、今回の手技ですが、カテ室内にはテレビ・クルーが入り、手技の様子、そしてSiemensの画像および、音声が病院から数キロ離れたホテルの会議室に飛ばされ、そこにエクアドルで経皮的冠動脈インターベンションを行われている先生のほぼ全員、と言っても10数名ですが・・・、が集まられ、そこと相互音声中継で質問や、解説が行われながらの手技でした 実はそのような大規模なことが行われる、ということは知らずに出かけたので、えっえっえっ、という感じでしたが、まあその程度のことでは自分の強い心はびくともしませんでした すぐに状況を理解し、自らを適応させました

そうだ、忘れない内に、昨日夜は、8:00PM頃からその会場となっている Wyndham Hotelのホテル会議室に出かけ、そこで集まった全員と会い、そして昨日の症例の症例検討会を行った後、9:30PM頃からその隣でディナーとなったのです ディナーはエクアドル料理のコースでした 最初に白身魚のスーブ これは良かったのです、そして次にメイン・ディッシュでしたが、この皿には、炒めた米、野菜、そして肉のフライがありました 席には偉い先生方も座っておられ、失礼があってはいけませんので、「うっ、これは」と思いながらも、我慢してその肉をナイフで小さく切り、数切れ食べました 案の定これは僕が何年もどうしても食べることのできない鶏肉だったのです でも我ながら偉かったな、何とか数切れ、失礼の無いように食べました そして大多数を残してその更を終了したのです

最後が、アイスクリームとチョコレートのデザートでしたが、美味しかったです 窓の外には、水量豊かな大きな川が暗闇の中を流れていました 川の大きさは、揚子江の河口ほどではありませんが、大井川ぐらいはありました 暗くてその全貌を見ることができなかったのは残念です そして、この川がエクアドルで一番大切な川であり、Guayaquilの語源となっているらしいのです ちなみに、インカの言葉で Guaya = 河、Quil = 傍ら という意味とのことです そんなディナーを終え、自分の宿泊している空港近くの Hilton Hotelに戻って、別の夕食を軽くしてから寝たのです しかし、強い時差ボケは相変わらずであり、0:30AM頃床につきましたが、4:00AMにはしっかり目が醒めたのです

さて、それにしてもその検討会の前に終了したエクアドルの歴史上第一例目となった逆行性(両側性)アプローチで成功した慢性完全閉塞症例でしたが、カテ室では、三連活栓のラインのつなぎ方が今まで見たことがない順番であり、あっけにとられました どのようになっているかと言うと、先端にはもちろんカテーテル、その次に生食ライン、次に造影剤ライン、そしてその次に注射器、そして最後に圧ラインなのです、これって世界の他で見たことがないつながり方であり、僕が準備してつなげたのをすっかり直されてしまいました

それにしても昨日の3例の慢性完全閉塞もとっても難しかったのですが、今のところ成功率 100%です 後から忘れない内にその症例について記載しておきたいのですが、疲れましたので次回、ということで・・・・

病に伏して

どうも自分が病気にある気がします 身体的に病気、というよりも、もっと深刻な心のあるいは人生の病気です

これまで自分の生き方を振り返れば、何事にも自信を持って、いや、正しい言い方をすれば、何も振り返らずに、自分のやりたい事をやってきました そして、それだけでなく、そのように自分がやりたい事を行えば、結果は必ずついてきて、しかもその結果というのは、50%以上の確率で、自分がなって欲しい、と思う結果がついてきたのです

ところが、今どうでしょう、必ずしも結果は、自分が「そのようになって欲しい」と思うようなことになる確率は 50%を切り、多くの場合、深刻なダメージを僕に与えるようになってきたのです

さらに言わせてもらえば、もっと深刻で、それまで自分がそのような良い結果を導けるものだ、と思っていたにもかかわらず、自分の現在の能力では、そのような結果を導くことができない、そのような事実に気づかわせられるような事態になっていることもあるのです。

これはとても深刻な事態です。これまで僕の生き方は、とにかく一言で言えば、「いけいけドンドン」であり、自分の能力に対して絶対の自信を持ってきたから成り立っていたのです。

しかるに、今僕が直面しているのは、「自分は大したことが無いのではないか?」という、自己の能力にたいする底知れない不信感なのです。正直、「自分ごときの人間は世の中にあまた存在する。否、その人達の方が優れている。従って、自分が行きていく価値は無い」ということを考えてしまうのです。

そんなこんな色々な思いをこめて、成田出発してから 24時間以上かけて、日本の反対側 赤道直下の国、エクアドルに入りました

日曜日の夜、成田を出発し、エクアドルのGuayaquil (グアヤキル)空港に到着し、ホテルに入ったのは月曜日 1/19 5:00AMでした 最初の予定では、この日は夕方までホテルで休み、20:00頃より、エクアドルの経皮的冠動脈インターベンションの先生方と夕食をとりなが、僕の講演だったのです

しかし、そんな甘い予定など信じるほどには僕も甘くありません どうせ、そんな予定はすぐに現地で潰されるのだろう、そのように思っていましたが、案の定、その予定は瓦礫の如く崩壊しました

実際の予定は、到着後部屋で少し休み、昼には昼食をとり、すぐに経皮的冠動脈インターベンションに入る、というものでした

このため、13:00には病院に向かったのです 病院に着くなり、そのまま症例検討会が始まり、自分としては「何が何だか分からないままに、慢性完全閉塞の経皮的冠動脈インターベンションに押しやられたのです。

症例は、右冠動脈の慢性完全閉塞でしたが、この症例に対しては、右冠動脈からの逆行性アプローチにより大成功、

そして、もう時間が無く、夜のディナー講演会に入り、これまでの慢性完全閉塞失敗例のシネを供覧し、議論しました。

そして、いよいよこれまでの敬意をブログに uploadしました