思い出した!!

今思い出しました アイスコーヒーの大阪での呼び名、それは「レイコー」と「コールコーヒー」でした

最初にあれは1969年 大阪大学医学部進学過程に入学し、学園紛争ストライキのため講義が全く始まらず、僕たち学生はぶらぶら暇に過ごしていました 「これも慣れない大阪を知る機会だ」とばかり友人たちと、あるいは一人で街をぶらぶらし、そんな中で唯一の救いは喫茶店に入ることだったのです そして最初に「アイスコーヒー」と注文しても店員さんは「何を言っているの?」と全く通じませんでした そのうち、この2つの言葉 「レイコー」と「コールコーヒー」という呼び名が大阪では使われていることを知りました

いやあ 大阪はいいですねー 僕の第二のふるさとです

本日は母校大阪大学キャンパスへ

本日はもっとも忙しい月曜日でしたが、公用で大阪大学医学部先端医療イノベーション・センターに出かけました

ぎりぎり 11:30AMまで外来診療し、それから暑い日差しの中、そして海からの強い暑い南風にに逆らって一生懸命自転車で自宅に戻り、それから着替えて、実は普段「短パン+T-shirts」なのですが、この格好では流石に公的な会合には出席できませんので、いちおう半袖シャツと、スラックスに履き替えたのです そして 12:00には自宅近くまである会社のお迎えがあり、そのタクシーに乗り込み、新横浜駅までの道すがら色々な打ち合わせを行いました

そして、13:09新横浜発の「のぞみ」に乗り込み、一人で大阪大学吹田メインキャンパスまで向かったのです やはりこのあたりは学生時代の思い出が残る場所です それは何と 1969年から1975年の間でした あの頃は僕の可能性は  360度拡がり、世界は自分の手の中にありました しかし年齢を重ねるにつれ、自分の可能性の世界はどんどん狭まり、今やそうですねたった一度だけの可能性の拡がりしか残っていません 寂しい 自分がそのようにして社会の中から忘れられていくのでしょう 寂しい あがないたい、でも難しいでしょう

新大阪駅で下車し、少し時間に余裕があったので、北大阪急行 これは地下鉄御堂筋線の延長です それに乗り換え、終点の千里中央駅に行きました 学生時代から何度この駅を使ったことでしょう 妙に感傷的になります

そして、これは生涯で初めてと思うのですが、大阪モノレールに乗り換え、かつての大阪万博跡地の大阪万博公園の周りを回って大阪大学医学部付属病院駅で降りました まだ時間に余裕があったため、病院内の Subwayには入、アイスコーヒーを飲みました そう言えば最近は大阪でもアイスコーヒーのことをアイスコーヒーと言いますね でも僕が学生の頃は、大阪の喫茶店で「アイスコーヒー」と言っても店員さんは「何?」と全く理解できませんでした 大阪では正統派的呼び名は「レイコー」か、うーん忘れてしまいましたが、もう一つ呼び名があったような・・・ もちろんレイコーというのは、冷コーヒーのことなのです

まあ、今はアイスコーヒーで大阪じゅう通用しますし、大阪の若い人たちも レイコーという言葉は知らないかも知れませんね

それで、会議は 17:00よりその先端なんとかの7階で開催されました それはそれはお偉い先生方がお集まりとなり、僕は小さくなっていました そして会は 18:40頃まで続き終了しました 戻りは再び一人でモノレール – 地下鉄 と乗り継ぎ、そして現在は新幹線「のぞみ」で途中駅名古屋に停車中です

あー疲れた 自宅に到着は 23:00は軽く回るでしょう 明朝はまた 7:00AMには病院に到着してそれからTAVIと MitraClipです 大変ですね

それはそうと本日午後はこの kamakuraheart.orgのサーバーがダウンして全く通じませんでした これも大変でしたよ

そう言えばこのことを記録しておかなくては

つい忘れてしまいました

実は 10月08日土曜日 千里中央で近畿CVIT地方会があり、そこの Coffee Break Seminarで講演をしたのです その後、行きつけの尼崎の「寿々屋」さんに行き、おいしい「スープたこ焼き」と、「とん平焼き」などを頂き、ママさんと色々なお話をし、それから 18:00前に 大阪中之島ロイヤルホテルに行ったのです

この尼崎「寿々屋」さんは、僕が数年前にひょんなことから見つけた名店です 名店と行っても非常に庶民的なお店で、ママさんが一人で切り盛りしている総勢 8名ぐらいしか入れないお好み焼きのお店です この場所にたどり着くことは非常に困難ですし、もっとも尼崎的雰囲気の漂うエリアなのです

中之島ロイヤルホテルに出かけたのは、この日、既に二年ごとに何回も開催されているらしい、大阪大学医学部昭和50年卒業生の同窓会がそこで開催されたからです

今回は、「大阪大学医学部半世紀会」と銘打って開催され、僕のところにもその案内が来たのです これまでは無視、ないし断ってきて、あっという間に何十年です まあ、1969年大阪大学医学進学過程入学ですから、サバ読めば 50年つまり半世紀でしょうかね

何でも大体二年に一回程度 同窓会を開催しているとのことです 会費1万円を払い、会場に入りました 今回は 40数名の同窓生が集まったとのことです 全体で100名ですからなかなかの数ですね

正直皆に会う前は不安でした (1)僕が相手の名前や顔を同定できるか? (2)相手が僕を認識できるか? (3)話題が会うか? (4)自分一人年取っていないか?

そんなこんな不安がよぎりました しかし、参加すると決めた以上思い切って参加しました

とは行っても 19:00過ぎには早めに切り上げてバイバイしたのですが

うーん感想は 難しいですね 自分自身がやはり同窓生の中でそれほど打ち解けてはいないように思いました きっとそれは自分自身の問題です そんなこと分かっています 集まって同窓生の中では、阪大やその他の大学医学部教授を勤め上げ、今年春に定年退職した者が何名もいました また一人は何と 独立行政法人国立病院機構の理事長になっていました すごいポジションですよね

そんな中で自分はどう? なんてことやはり考えますよね でも人生なんでやり直せないし、仕方ありませんよっ

うーん もうやめやめ こんなこと考えてるとうっとおしくなる

大阪で生まれた女

僕が大阪大学医学部を卒業し、医師となったのは昭和50年つまり 1975年のことでした 当初は免疫学の研究者になろうと思っていましたが、次第に心臓カテーテルの魅力にとりつかれ、卒業して一年してからは完全に心臓カテーテルの医師となることを決めていました

それから暫く経った昭和54年 1979年に BOROが歌い大ヒットした曲、それが「大阪で生まれた女」でした その全曲は18曲からなり、何と35分にもなる壮大な曲です その曲の内容は、大阪で生まれ、育った一人の女性が、その高校卒業前から やがて結婚して子供を授かり、幸せに生きていく姿を描いたものです その女性のその時期の人生に大きな影響を及ぼした一人の大阪出身の男性、その男性は東京で成功し活躍されていますが、もはやその女性とは別の人生を歩んでいる そのような内容です

これって誰の話だ? まるで自分のことではないか? などと幻想に陥ります

僕は正直この曲を聞きながら何度涙したことでしょう 曲の中には新宿西口騒乱事件のことも出てきます まさしく僕もその現場に居り機動隊がデモ隊を新宿駅西口地下広場で鎮圧するために催涙ガス弾を発射し、辺りには催涙ガスの独特の匂いが立ち込めていたのです

歌詞の最後は

大阪で生まれた女が今日大阪をあとにするけど
大阪は今日も活気にあふれ
また どこからか人が来る
振り返るとそこは灰色の街
青春のかけらを置き忘れた街

というものです 懐かしい僕の青春の思い出です

今回、日本循環器学会総会が大阪で開催されました 色々な役割を終えましたが、今回一番驚いたのは、あのくすんだ街大阪がガラリと変わった、ということでした 中之島界隈、堂島、土佐堀、肥後橋の辺りにはこれまで見たこともないような高層ビルが立ち並んでいました 僕が学んだ大阪大学医学部そして医師としてスタートを切った大阪大学医学部付属病院 その全てが跡形もなく無くなり、街の様相が全く変わってしまったのです

そして驚いたことには 何となく疲れきった街 大阪 というのがこれまでの印象だったのですが、今や元気に満ちて、若い人たちで賑わう街に変化していたのです 本当にこれには驚きました そして驚くと共に 19年間を過ごした街 大阪のこの変化にとても嬉しくなったのです

これまではあまり戻りたくないな と思っていましたが、今はすぐにでも大阪に戻りたい、そして大阪の独特の雰囲気に浸り心を癒やしたい そのように思うようになりました