僕のbashに一体全体何が起こったのか?

昨日TAVI三例とMitraClip一例の合間に突然のごとく気がついたのです また Visual Studio Code (VS Code)上でかんたんなHaskell programをテストがてらに書いていて、それを VS Codeのターミナルで走らせようと思ったところ、なんとなんと VS Codeターミナル画面から command promptが消失しているのです

これって、要するにコマンド打ち込めません $stack ghc ****.hsとして Haskellプログラムをコンパイルしようとても、なにせその $ が無いのです!!!

まさか、と思い Macのターミナルを立ち上げるとここにも $が無いのです これは大変な事態になりました 何も悪いことはしていません それなのに突然そんなことになったのです 前日はそんなことありませんでした

ひょっとして bashでなく zshでは大丈夫では? と zshを $より立ち上げようとするのですが何しろその $が無いっ!!

きっと、~/.bashあるいは ~/.bash_profileという bashの設定ファイルが壊れたためか? と思いそれを何とか VS Codeの「開く」という graphical interfaceで開こうとしても、今度は 隠しファイル(先頭に .がついたファイルで通常の Macからは見ることも存在も知ることができないファイル)を調べようとしても、何しろそれが見れないのです。そこで、今度は「コマンド」+「シフト」+「.」を押したところ、隠しファイルを見ることができましたので、それで両方の設定ファイルを調べても何も変わっていないのです

今度はとりあえず、「ターミナル」の「環境設定」から立ち上がりシェルを zshに変更し、とりあえずターミナルで zshを立ち上げそれにより操作をしました。まずは、この環境設定から、zsh上で $/bin/bash –version により現在のシステムbashの versionを調べると version 3.2.57(1)となっていました

これは MacOS Mojaveをインストールすると立ち上がる bashですが、何しろ現在の bashは version 5.0.11なので相当に古いものです

そこで次にzshより立ち上がるコマンドをbashにしたのです そして、homebrewで最新の bashをインストールしました

これにより $which bashとすると /usr/local/bin/bashとなり、bash –versionも version 5.0.11となりました

今は訳のわからないままこの状態で動かしています 一体全体何が突然起こったのでしょうか? どなたか Unixに詳しい方教えて下さい

25年来のモヤモヤ

昨日は二日続けての経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)植え込みがありました 火曜日にTAVI3例、経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)1例あったため、水曜日午前中にも一例経皮的僧帽弁接合不全修復システムを行うことになりました

実は火曜日午前中には他院でTAVIのプロクタリングを行い、それから鎌倉に戻ったのです

さて、その水曜日のMitraClipですが、25年間のモヤモヤが自分の心の中にはあり、それが患者さんのご協力で振り切れました

僕が鎌倉に来たのは 1988年10月からでした 実際に病院が新規開院したのはそれから一ヶ月後の 11月01日でした ゼロからの出発でしたので新鮮な喜びがあり、いろいろなことがありましたが、まずまず順調に立ち上がったと、今にして思えば思えます。

心臓部門も心カテという武器の下で順調に立ち上がり、やがて心臓外科も充実しようという時になりました しかし、そのような時に色々なトラブルは内部から発生するものです。1992年頃になり、心臓外科が中心になり、鎌倉市の隣の隣の町に心臓センターを独立して建設する、という話となりました ところが、その中心となっていた今はもう何処におられるのでしょうかねえ? その方たちが中心となり、循環器内科よりまあ ソースを集めるという下心もあったのでしょうか? 僕が中心の鎌倉の循環器内科に対する強い相当な圧力、それこそあること無いこと 色々な圧力を受けました。実際、そのような圧力の結果、当時循環器内科には僕を頂点に合計8名の医師が在籍していましたが、その内の 4名が他院に移籍しました。残ったのは僕も含め、4名のみでした。こんな状況にあっという間に追い込まれました。それはそれは辛かったです。

ちょうどそんな時に一人の患者さんにお会いしたのです。その患者さんは無事手術で治療され、そして 25年後の昨日今度は僕たち循環器内科により良くなられたのです。25年間という歳月を超えて患者さんも僕も歳を取り、そして再び元気にお会いすることができたのです。

1994年 大動脈炎症候群の瘢で、大動脈が全体石灰化あり、しかも上行大動脈が拡大し、それに伴い重症大動脈弁閉鎖不全となり、その結果心不全となっておられた女性がご紹介となり来られました。この患者さんの治療としては大動脈弁置換術しかありませんので、僕たちに圧力をかけ続けていた心臓外科医グループに手術を依頼したのですが、「この患者さんは手術は無理である」と断られたのです。それでも比較的若い患者さんであり、それから何年も人生を過ごしてしかるべき患者さんでしたので、しかも手術以外に治療法は無い患者さんでしたので思い悩み、その頃知り合った別の心臓外科医に相談し、手術を引き受けてくださることになりました。手術は、心臓外科医が既に隣の隣町に移ってしまっていた鎌倉の心臓外科で行ったのです。その紳士的な、人間味溢れる心臓外科医は、6時間に及ぶ手術を丁寧に行って下さり。その患者さんは 25年を経た今でもお元気にされているのです。その外科医は、後に「天皇を手術した外科医」として有名になられましたね。一方、僕を苛め続けた外科医グループはその後どうなったのでしょうか?

そして、昨日のMitraClipを行ったその患者さんというのは、その時の患者さんの 25年後だったのです。たくさんのたくさんの人生、

6年半ぶりのKing ChulaLongKorn Hospital

さてさて弾丸特急でバンコクに行ってきました 8/18日曜日羽田発11:00過ぎのANA便でバンコクに飛びました バンコク到着は現地時刻 16:00前、幸いのことに交通渋滞は大したことなく、17:00頃にはホテル (Anantara Siam Bangkok Hotel)に到着しました。

月曜日19日にはこの King ChulaLongKorn Hospitalの心臓センターを舞台に東南アジアの Interventional Caridologistsを集め、transradial coronary interventionのワークショップおよびライブデモンストレーションを開催するために訪れたのです。

この日は 車で15分ぐらい離れた場所のタイ料理レストランで皆で夕食会を行いました 僕は Kiemeneij先生と隣合わせに座り食事したのですが、料理は今一つでした。今回のメインゲストは、Chulaの Wasan先生、彼はタイ国国王の主治医であり、しょっちゅう宮殿から電話で連絡が入ります。そして、TRI生みの親の Ferdinand Kiemeneij先生、そして20年近く前、このタイ国随一の最高学府国立チュラロンコン大学の付属病院で外国人として初めてPCIを行い、それだけでなくタイにTRIを広めた立役者 それはもちろん僕、齋藤 滋なのですが、その三人がメインゲスト、いや Wasan先生は主催者ですね、そういうメンバーで開催されました。

齋藤 滋、Kiemeneij先生、Wasan先生
齋藤 滋、Kiemeneij先生、Wasan先生

19日は 9:00AM前から病院講堂で東南アジアの先生方 40名ぐらいが集まり、ワークショップが始まりました。僕も講演をしましたよっ、

僕の講演
僕の講演

最近東南アジアの国々では、外国人が医療手技を行うことに対する規制がとても厳しくなっています。噂では、多くの日本人医師が、医療機器メーカーのスポンサーにより、東南アジアの国々に出かけ、ほとんど学術的実績や、医療手技実績が無いにも関わらず押しかけ的に、これらの国々の病院カテ室を訪れ、PCI、特にCTOに対するPCIを行い、その過程で医療事故が多発し、患者さんも医療事故で亡くなり、法律的、倫理的問題となっている、そういう背景があるようです。僕が知る限りでも、具体的な実施医師、場所まだ知っいますが、ソウル、台湾、そして広州で一名ずつ患者さんが亡くなっています。これらの患者さんは皆、無症状のCTOの患者さんで男性です。これは氷山の一角であり、もっとたくさんの患者さんが被害を受けているようです。まあ、それはさておき、そんな訳で僕自身も実は 7月にシンガポール国立大学病院より、ライブデモンストレーション術者として招聘され、そのために一時的医師免許取得を試みたのですが、煩雑な書類に嫌気が指し、行くのをキャンセルしたのです。

それでもこの最高学府大学病院、もっとも規制の厳しい病院ですが、僕の医師免許はきちんと取得されました。今までの実績が大きいと思います。Kiemeneij先生(オランダ)には医師免許が降りなかったのでしょうか、治療手技を行われませんでした。

昼からは僕も一例TRI手技をしました。症例は女性で左前下行枝の高度びまん性石灰化病変の方でした。これに対して、6Fr guiding catheterを用いて、1.75mm Rotablatorを用いて薬剤溶出性ステントを植え込み奇麗に合併症無く終了しました。

ライブデモンストレーション手技1
ライブデモンストレーション手技1
ライブデモンストレーション手技2
ライブデモンストレーション手技2

これがこのライブデモンストレーション手技のチームです

わがチーム
わがチーム

会は 16:45まで続きましたが、途中で集合写真を撮りました。とても良い思い出になるでしょう。

集合写真
集合写真

会が終了し、いそいでホテルに戻りすぐに check out、そして市内で夕食をとり、そのまま空港に、バンコク発 21:50の羽田便で戻ったのです。到着は、8/20 5:45AMでした。自宅でシャワーを浴び、そしてTAVIおよび経皮的僧帽便接合不全修復システム手技のために病院に出勤したのです。とても忙しい3日間でした。

これからバンコク

今は日曜日ですが、羽田空港にいます これからバンコクに飛びます 夕方バンコクに到着し、明日月曜日8/19はタイ国最高学府 ChulaLong Kong大学附属病院でのライブデモンストレーションがあり、僕と Kimney先生の二人が呼ばれライブデモンストレーションがあります。

前回タイに行ったのは随分行っていないと思っていたのですが、調べると 2018年11月のことでした 未だ一年も経たないのですね

バンコクに行くと言っても、実は明日月曜日夜バンコク発、羽田空港 火曜日5:00 AM過ぎに到着する夜行便で帰国し、それから自宅でシャワー浴びてから病院に出かけ SHD interventionとなります 忙しいですね

泉川ライブから東海大学八王子病院へ そしてTAVI、経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)

日にちがコロコロと入れ替わり、今何をしていて今何をすべきか その境界が曖昧になっていく それでも時は流れ、いやどんどんその流れは加速していく それが人の営みなのでしょう 世界はどこに向かうのか? それを思うと不安になることもあるが、その結果を知る前に自分という存在は消えていくのでしょう

前回の日曜日には JTVTで忙しく、それが開け 7月19日金曜日には島原に移動、翌日 20日は島原ライブで怒涛のように 6症例を行いました 最後の冠動脈バイパス手術術後の患者さんに対しては本気で攻めましたが、完璧な結果は得られませんでした しかし良い治療をしたと思います あいにくと台風の接近に伴い激しい風雨でしたが、島原鉄道にこのような電車も走りました

島原鉄道
島原鉄道先頭のシンボル

翌日日曜日には鎌倉に戻ったのですが、鎌倉はすごい湿気で蒸し暑く、とても「夏」という気持ちにはなれなかったのです

22日は東海大学八王子病院で2症例の治療をさせて頂きました

東海大学八王子病院カテ室
東海大学八王子病院カテ室

そして翌日23日はTAVI 2例と経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip) 1例 そんなふうに時間の流れを振り返っている内に今朝となりました これからPCIです

JTVT終了しました

7月14日そして15日と鎌倉プリンスホテル・バンケットホールにおいて JTVT2019を開催させていただきました 当初よりその開催には幾多の困難が伴うと思っていました

  1. 公共交通機関によるアクセスが難しい – 実質的に江ノ電でしかアクセスできません
  2. 海の日であり、しかも湘南海岸なので交通渋滞がひどいと予想される

しかし蓋を開ければ、いい具合に軽い雨となり、これにより交通渋滞は著しく緩和され、しかも恐れていた江ノ電の混雑 – 実際土日には藤沢駅や、鎌倉駅での江ノ電乗降が制限されているのです その混雑もさほどではなく、参加者の方々には湘南海岸と江ノ電を楽しんで頂けたものと思われます

参加者総数もその前年に比較して100名以上増えました 実際4つの会議場にはたくさんの人々が集まって頂きホットしました この成功には、14日の日本国内では初めてとなるTAVIライブが素晴らしいできで仙台厚生病院より行われたこと、そしてTVTとの Joint Collaborationとして JTVTとして初めて開催され、あの世界的に有名な Martin Leon先生のご参加を頂いたこと、そして何より参加者全員のご協力、そして湘南鎌倉総合病院ハートチームのご協力、これら全てがいいように回ってくれたのです それが成功要因だったと思います 本当に皆様方には感謝のみです

これから各種残務整理が必要ですが、まずは自分自身の疲れを癒やしたいと思います 本当にありがとうございました

ライブの醍醐味

19日水曜日は夜神奈川SHD研究会が開催され、大和まででかけました 会場は SIRIUSという大和市の公共施設であり、とてもきれいで機能的な建物で驚くと共に、とても羨ましく思いました 翻って鎌倉の貧弱な公共設備は何なのか? と思わざるを得ませんでした

さて会は 19:30より開催され、最初挨拶をして 20:00には部下の一人て早々に消えたのです

消えた、と言ってもその後二人で藤沢駅界隈にでかけ、何と 23:30まで飲み交わしたのです 色々と大事な事を話ししました やはりアルコールの力は大きいですね

そして自宅に戻り就眠したのは 0:30AMでした

そして20日木曜日は 4:40AM出発で羽田空港に移動したのです 目覚ましを 4:20AMにセットして何とか起きました そして起きるや否やシャワーを浴び、もう出る時には 4:40AMとなっていました そのままタクシーで羽田空港に移動し、6:15AM発の始発千歳行きで千歳に移動 そしてそのまま札幌東徳洲会病院心臓センターに移動し 9:00AMからの Heart Team Conferneに参加することができました

この日はTAVIは無く、経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip) 2例が予定されていました もっとも僕に今更何の手助けできるか疑問なのですが、それでも早朝より参加しました

特に Brockenbroughについてはかなり指導しました

最初はきちんと Brockenbroughの指導していますね
最初はきちんと Brockenbroughの指導していますね

しかしよる年波と疲れには勝てません 意識消失発作となりました

意識消失発作
意識消失発作

それでも経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)は二例とも大成功であり、いよいよ僕の出る膜は無くなってきましたね

その日は、北海道の方が大ぶりのヒラメ 3枚、深海魚ソイを8本釣り上げて来られたのです 早速それらを自ら全部捌いたのです さすがに包丁さばきも進化しており、何とこれらを 1.5時間で奇麗に終えたのです ソイはその夜食べましたが、ヒラメは二枚をサクにして現在熟成中 日曜日に寿司を握るつもりです ソイは綺麗さっぽ理食べてしまいました

さてヒラメは保冷パックに冷却材と一緒に放り込み、その後千歳 – 羽田、そして羽田 – 名古屋 – 犬山 そして東可児と移動したのです 一晩東可児のルートインというホテルで休み、今朝22日は朝から東可児病院に移動し、僕の行うライブに同席したのです

そうそうライブは大変でした 都合があり、右上肢と右大腿動脈は使用できないのです それで、左大腿動脈より 7Fr sheath1tが既に挿入されていました 僕は左遠位橈骨動脈アプローチで入りました ものすごく穿刺しにくいのです だって左手首は左大腿動脈穿刺部の全面に来ており穿刺の邪魔をするのです そんな中でも穿刺に成功したのです しかし橈骨動脈は非常に蛇行し、ワイヤーが通過しません 何とか 0.014 Fielder-FCで通過したのですか、ここからワイヤーを upsizingできません 結局皆で知恵を出し合い、まずは60CMの 0.014-compatible microcatheterを先行し、その次に 0.032/0.035対応long sheathを挿入し、最終的には 4Fr sheathをその屈曲を超えて総ニュぅする そのようなはずらしいアイディアをもらいました このテクニックはとても強力です 素晴らしいです そのアイディアを僕に提供してくださったのは大和成和病院の土井尻 先生でした ありがとうございます

何れにしてもこのように多くの人の知恵と経験がcrossするような場所 それがライブなのですが、実に本日の経験はライブの醍醐味と称しておかしくないと思います。

今 Palais de Congres

小倉記念病院でライブ治療行い、鎌倉には最速で 15:30には戻っていました 鎌倉の患者さんにご挨拶し、それから一旦自宅に戻りました

そして21:30に鎌倉の自宅出発し、5/18 0:30AM頃出発の ANA Frankfurt便で移動したのです 機内では4時間ぐらいは眠れました 自分としてはものすごくたくさん寝れた、そんな印象です そしてLuthansa Paris便に乗り換え、10:00AM過ぎにPalais de Congres内の会議室に到着しました

今週は EuroPCRが開催されますが、それは火曜日からなのです それにもかかわらず日曜日朝に現地到着したのは、PCR TokyoValves 2020に向けての Course Co-Directors’ meetingが10:00より開催されたからです 今午前の話し合いを終え、昼食を会場内で食べ、ようやくインターネットに繋がりブログに記録しているところです 本日はこれから15:00まで話し合いがあり、その後 17:00-17:30 皆で写真を撮るそうです その後は開放されそうです やはり老体にはきついですね

まあPCI、TAVIあるいはMitraClipしている時には疲れを見せないのですが・・・

本日は札幌東徳洲会病院で最初の経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)

昨日は鎌倉でとても忙しく、昨夜遅くに札幌に入りました すっかり疲れ切り、そして昨夜はよく眠れなかったため、今朝は札幌東徳洲会病院らに 8:30AMに入りました

本日は第一例目の経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)の日だったのです 鎌倉から水野くんにも参加してもらい、9:30AM頃から開始となりました 僕は手技の監督というか指導というかそんな立場で手洗いして入りました 重度の開心術不可能な心房性機能性僧帽弁閉鎖不全の患者さんでしたが、2個のMitraClip植え込みにより僧帽弁閉鎖不全はほとんど消失しました

手技終了は 13:30くらいであり第一例目としては驚異的なスピードでした 鎌倉でも第一例目は5時間ぐらいかかっていました

これから経カテーテル大動脈弁植え込み術がありますが、それまでの間に皆で記念の写真を撮影しました

札幌東徳洲会病院経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)一例目記念
札幌東徳洲会病院経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)一例目記念

昨日もなかなかのSHD Interventions

このところ順調に経カテーテル的大動脈弁植え込み術、経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)の症例数が伸びています これまで鎌倉のハートチームが真摯に行ってきた結果でしょうか 特に奇抜なことを行っている訳ではありません その一方で近隣の病院でもTAVIを開始される準備されている施設もいくつかあり、今後もっと競争は厳しくなるでしょう

競争が厳しくなるのは一般的にどんな場面でも望ましい結果を生み出すと思いますが、副作用としては、もちろん施設あたりの症例数が希釈され、結果的に技術の維持・発展に障害となり、その結果患者さんに不利益をもたらす可能性があることです

今年に入って3例+のTAVI、そして1例の経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)をほとんど毎週のごとく行っています それでも 9:30AM入室から開始し、14:00過ぎには経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)への移行がされています 経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)に関しても昨日のブロッケンブローは心臓の位置異常のためにとても難しかったのですが何ら合併症おこさずに予定通り二個の Clipを置き成功しました しかも早かったですねえ

今朝は 8:00AMの便で千歳に飛びます 何だか疲れが溜まっています でもここに留まっている訳には行きません 苦しんでおられる患者さんがいる限りもっともっと前に飛び込まねばならないのです