SirolimusかPaclitaxelか

昔は良く、SES (Sirolimus-Eluting Stent)か PES (Paclitaxel-Eluting Stent)か? なんて論争をやりましたよね 大抵は、そのどちらかの会社 具体的には前者は Johnson & Johnson Cordis、そのして後者は Boston Scientific の2つの DES大会社が後ろについて、色々な資料を準備すると共に、せんのう いや 失礼 言葉が悪く不適切、 丁寧な説明をしてくれて、その膨大なデータをもとに、「いやこちらのDESがいい」とか、「いやこちらのDESも決して悪くない」とか、「糖尿病患者さんにはこちらのDESが良いのだ」とかいう主張を高らかにする、その debateで時間が過ぎていき、簡単に一時間の講演が終わるのでした

かく言う私もそのような論争に加わっていましたね まあ実際にどちらのDESを実際の患者さんに植え込むかは、臨床試験の結果のみでは決まらず、色々な難しい判断がある訳ですが、医師たるもの、基本はその目の前の患者さんに対してはどちらが良いか、という判断を行っているものであり、臨床試験の結果には必ずしも左右されないものなのです

それに色々な臨床試験の結果は決して一律的ではなく、どちらのDESもサポートしてしかるべき結果なのです こうなると、何を信用して良いのか分かりません

さて、

 J Am Coll Cardiol. 2017 Feb 14;69(6):616-624.
10-Year Clinical Outcome After Randomization to Treatment by Sirolimus- or Paclitaxel-Eluting Coronary Stents.

Galløe AM, Kelbæk H, Thuesen L, Hansen HS, Ravkilde J, Hansen PR, Christiansen EH, Abildgaard U, Stephansen G, Lassen JF, Engstrøm T, Jensen JS, Jeppesen JL, Bligaard N; SORT OUT II Investigators.

という論文、実は今朝の循環器内科毎朝抄読会のネタだったのですが、まあこれによれば、SES or PES (具体的な商品名としては、CYPHER or TAXUSなのですよ、念のため)を植え込んだ後、年率 1.3%で両者ともステント血栓症が 10年まで一定の頻度で発生し、見方によれば、 CYPHERの方が TAXUSよりもその発症頻度が高い場合もある、という結果でした

うーん 何と言うか予想通りですが、これまで僕達が漠然と抱いたいた DES後のステント血栓症発生率は 年率 0.5%である、というイメージよりは大分悪いことになります

もちろん、CYPHERも TAXUSもDESとしてはポリマーが完全に残る第一世代DESであり、しかも、CYPHERは非常に固く、その力学的特性から慢性期には悪影響を及ぼしやすいだろう、という人もいたくらいです ですから結果に関してはそれほど驚きではないのですし、まあ10年もすれば、動脈硬化も進行するので、どこまでが植え込まれたDESによるものか分からないとも思うのです

実はそんなことを話すためにこの論文を引用した訳ではありません これは生き方の問題なのです

この論文・研究は 世界で住民が一番幸せ、とも言われている Denmarkで行われたものなのですが、著者リストの三番目に注目して下さい Dr. Leif Thuesenという名前があります 日本に SAPIEN-XT導入時 一年間に渡り日本国内に滞在され、Proctorとして日本全国を回られた先生です 実は彼は、もともとが Coronary Interventionalistであり、あの Bifurcation trialとして有名な Nordic Studyの中心人物なのです

彼は、Nordic Countries = (Denmark, Norway, Finlandというバルト海を囲んだ三カ国)を度々周り、カテ室を訪問して、このような studyの重要性を説き、そして臨床試験や臨床研究を次々と成功させてきたのです 何故この中に Swedenが入らないか? ですって 良い質問です Swedenには SCAR Registryという大掛かりなDESレジストリが存在するのと、とにかく一国で経済的にも人工的にも大きすぎ、あまり三カ国と一緒にできないのだそうです

思い出せば 2016年1月後半、Thuesen先生と一緒に僕も Baltic Countriesを周り 慢性完全閉塞PCIをしたり、SAPIEN3の植え込みをさせて頂いたりしたのです とても楽しく有意義でした その時のことはブログのここにあります

ココらへんのブログにも書きましたが、実は Thuesen先生は僕よりも5歳ぐらい年上の先生なのです その先生がPCIのみならずTAVIの世界にも入っており、現在なお第一線で臨床医として活躍されている姿 それを見て奮い立ったのです 素晴らしい

そろそろ平常に戻らねば

さて、1月19日に日本を出発し、本日31日の便でコペンハーゲンを発ち、成田に向かいます

この間どうも体調優れず安眠を取ることができませんでした 基本的には時差ボケが続いている、そんな感じです そんな中でこの旅をLeif Thuessen先生が僕の希望に応じて企画して下さいましたことに感謝です 年齢を経るにつれて自由な時間が無くなり、こんなに長期間鎌倉を離れることはなかなか困難です それでも皆の協力の下で思い切ってできたことは僕の人生の中でも非常に重いものがあります そんな中で何を学んできたでしょうか?

まずは北欧の人々の暖かさでした このことには本当に感謝しています、次は北欧の国々の豊かさです 何につけても日本のようにセカセカしておらず余裕があります 仕事に割く時間は圧倒的に少ないと思いますし、仕事と仕事の間の休みもゆったりです、そして病院の設備や備品など高額で最新の設備が備え付けられていることも驚きでした

今回の旅のルート
今回の旅のルート

また特に Tromsoでのことですが、北極圏というものがどういうものか知りました 昼なお真っ暗な太陽の無い世界を垣間見ることができました Ouluは寒かったですが、それでも北海道を知っていればどうってこと無いでしょう

インターベンションについては、僕が予想していたよりも進んでいる面と、そうでない面がありました 慢性完全閉塞については日本の一般的レベルと比しても高い、と思いました こちらも相当に頑張らねば満足してもらえない、そのように思いました 昨年Belgiumの Charlroiで三例の慢性完全閉塞を成功裏にさせて頂きましたが、その時もレベルが高い、と思ったのですが、それと同様であり、またより挑戦的でありました 日本であれば手を出さないだろう、と思われる症例も当日のリストに載りました もっとも僕がいたからかも知れません

TAVIについては我々が鎌倉で培った知識と技術が十分に通用する、それどころか日本では新しいディバイスが使えないので、日本でのみ必要な Tipsを我々は編み出してきた、そのように思いました

何はともあれあと数時間で出発ですね そうそう昨夜は「べんとう」という和食屋さんで夕食を摂りました

「べんとう」
「べんとう」

刺し身のレベルは Selfishの方が良かったですね ところで、「枝豆」が出たのですが、隣のテーブルのDenmarkの女性が食べているやり方を見て驚きました 日本では枝豆を食べる時には唇に平行に持ち、指で押さえて口の中にはじき出すのが普通ですよね

日本の一般的な枝豆の食べ方
日本の一般的な枝豆の食べ方

ところが、Denmarkの女性たち(少なくとも観察した複数の女性)は皆、枝豆を縦に持ち、口の中にいれて口の中で絞り出すように食べるのです 自分でもしてみましたが、あまりお勧めではありませんよ

Denmarkの女性の食べ方
Denmarkの女性の食べ方

デンマークに移動

フィンランドの Ouluでとても有意義に過ごした後、1月27日水曜日にHelsinki経由でデンマークの首都 Copenhagenに入りました Denmarkは人口 500万人の国家であり(この人口規模は Norwayや Finlandと同程度であり、Swedenは人口900万人の国家だそうです)、バルカン半島とはSwedenとの間にある距離10数キロの海峡で離れています

Denmarkには王室があり、女王様がいらっしゃるのです 木曜日にはこの国の最大規模の大学病院である RigsHospitaletという壮大な大きさの建物の病院に行きました

Rigshospitalet
Rigshospitalet
Main Building
Main Building

とにかく 17階建のしかも巨大な建物が3つと、現在建設中の建物もある見たこともないような巨大な病院です もちろんこの病院はデンマークに4つしか無い国立大学病院であり、かつ、TAVIを行っている4つの病院の中の一つです TAVI年間症例数は 200ということです PCIは、年間 2,000例ですが、その内の 1,000例は何と急性心筋梗塞です

木曜日にはTAVIを見せて下さると、わざわざTAVI日ではありませんでしたが、TAVIを二例設定して下さりました

最初の症例は Evolut-Rを用いて植え込みがされ、次の症例は St Jude Porticoを用いて植え込みがされました 何れも局所麻酔で経皮的に行われ治療時間はそれぞれ 1.5時間ぐらいでした 当初の予定では僕が術者として手技が行われることになっていた(そのように話を決めていた)のですが、三人いるTAVI術者の中で一番やっている先生、その先生と話を決めていたのですが、急遽 Nordicの学会があり予定変更となり、その先生の管轄下で無かったので僕は横で見ているだけでした

正直 Ouluでの実際の手技もありましたので今一つでした このため、14:00には病院をおいとまし、市内にたくさんある Cafeに入りました Cafeから通りを眺めていて重大な事実に気づきました もともと Nordic Countriesでは一般の人の交通手段として自転車が普及していますし、必ずと言っていいほど自転車専用道が歩道と自動車道の間に設置されています さて Copenhagenのような大都市ではほとんどの道が一方通行となっています 歩行者は、もちろん一方通行の制約を受けないのですが、さて自転車はどうでしょうか?

逆走禁止
逆走禁止

Cafeの窓から通りを眺めていてわかりました 自転車も一方通行なのです 誰一人として反対向きに逆走して自転車を乗っている人はいません どうしても逆に行きたい時は、自転車から降りて押して歩いていました 徹底していますね

さて、その日は同病院循環器内科のトップの先生と皆とのほとりにあるしゃれたデンマーク料理のレストランで食事しました

そして、翌日金曜日は満を持して、慢性完全閉塞二症例に臨みました しかし神様、現実は厳しいものです 第一例目は左冠動脈前下行枝#7の慢性完全閉塞という触れ込みで他の病院よりPCI目的で紹介となった77歳の男性でした 診断カテとして送られてきていたシネは、画像も小さくなんだか良くわからない程度の低い診断カテでした そこで、まず診断カテを行ったところ、何と実は左冠動脈前下行枝付け根からの慢性完全閉塞でした そして、右冠動脈も高度狭窄があり、この患者さんは慢性腎臓病のため造影剤がせいぜい 200mlしか使えないという制約、そして長年の糖尿病があり、心機能も低下している、これらの点から皆で協議の上、冠動脈バイパス手術を行うことになり、PCIは中止しました

そして、第二例目ですが、60歳の男性 心機能低下あり、過去に心筋梗塞を起こしています 右冠動脈にステント内高度狭窄あり、左回旋枝近位部の慢性完全閉塞でした また左冠動脈前下行枝にもDESが植えこまれており、そのDESの中にもどうやら再狭窄がありそうです そして左主幹部遠位部に 75%程度の狭窄がある、そのような患者さんでした まず、LAD – LMTに対して FFR測定したところ、何と 0.71と陽性に出てしまい、当然のことながらこの患者さんも冠動脈バイパス手術に回ったのです

ということで結局 Copenhagenでは TAVIもCTOも全くせずに終了してしまいまい、12:00前には病院を出たのです 何とも消化不良ですが、現実なので受け入れるしかありませんね  さて昼食を摂ることにしましたが、ガイドブックでどうやら寿司屋さんが存在することを発見したのです

鮨 Selfish
鮨 Selfish
Selfishの鮨
Selfishの鮨

Selfishの鮨は非常にレベルが高いものでした もちろんネタに関しては日本のような訳には行かない筈ですが、本当においしいものでした 日本人のご夫妻二人でやっておられ、2002年にここに店を出したそうです もともと吉祥寺出身の方でヨーロッパに渡って来られたのは 1986年ということでした 現在40歳後半でしょうか ヨーロッパで食べる鮨の中ではピカイチです

そしてこの日の夜は「東京」という 1964年に開店した老舗の日本料理屋に行き、Thuessen先生ご夫妻とご一緒して和食の夕食を摂りました

翌日は既にこの長い Nordic Countires訪問最終日の1月30日土曜日となってしまいました 出かける前はどうなることやら、と一抹の不安も感じていましたが、既に10日間以上発ち、「もう戻らねばならないのか」という気持ちです そんな気持ちを反映してでししょうか 朝から強い雨風でホテルの窓が騒がしいのでした 幸い 10:00AMになると雨風が弱まり、傘無しで氷雨の中を歩ける程になりましたので、少しは観光せずにわいかない、と考え ホテルの目の前の函館五稜郭のモデルである、カステレット要塞に出かけました まあ五稜郭の半分程度の規模のものと考えれば良いでしょう そして、その先には日本人ならば誰でも知っている「人魚姫」の銅像があるのでした

人魚姫
人魚姫

この人魚姫の銅像を始めて知ったのは、小学校二年生の時でした 当時父親はある会社の重役をしていてその仕事で世界一周視察旅行に2ヶ月間かけて出かけたのです 当時のことですから、飛行機はプロペラ機で、羽田空港から見送りにでかけた記憶があります そして、世界の様子を35mmカメラにおさめてきたのです 写真はカラーを焼き付けることが普及していなかった時代ですから35mmスライド形式でした そして、その様子を杉並第九小学校の体育館で小学校低学年を相手に学校からの要請で皆に見せてくれたのですが、その中で一番印象深かったのがこの「人魚姫」でした

Thuessen先生からは「見たらばあまりにも小さいのでびっくりするよ」と散々言われていましたが、実際に見ると人間の等身大より少し小さい程度であり、実際に人魚が存在すればこのくらいの身長だろうな、と納得の大きさでした

それから、12:00に毎日行われる宮殿衛兵交代式を見ました

衛兵交代式
衛兵交代式

その後は、最近 Copenhagenに開店した初めてのラーメン専門店「ラーメンとビール」という名前のラーメン屋さんに出かけましたが、オランダの人々で満員でした ご主人は日本人のようでした

ラーメン専門店「ラーメンとビール」
ラーメン専門店「ラーメンとビール」
激辛味噌ラーメン
激辛味噌ラーメン

唐辛子マーク4っつ(激辛)の味噌ラーメンを頼みました 少し塩気が強すぎるように思いましたが、辛さは日本では弱辛程度でしょうか 麺は良かったですね 塩気を弱くすればもっと美味しいと思いましたが、デンマークの食事は総じて塩気が多いように思いますので現地の人にはこの方が良いのでしょうね

フィンランドの病院

フィンランドの病院、と言ってもOulu University Hospitalしか知らないのですが、建物はそれこそ 50年ものでありますが、とにかく豊な印象がありました 心臓カテ室は全部で 5室ですが、Philips 4と Siemens 1でした それらは全て最新型であり、患者さんの情報は全て電子化されています カテ室で看護師さんが記録するのも keyboardを叩いていました 看護師さんの組合が強く、大学病院のように国立のものでは、カテ室に 3名が配置されていました でもニコニコと良く働かれます 愛想もとても良く、また英語は普通に話されます

医療費に関しては基本的に公的保険で賄われており、現時点ではノルウェーやデンマークのような国家による症例数制限は行われていないそうです ちなみに、Oulu University Hospitalの昨年の症例数は、CAG 2,500、PCI 1,100、Catheter Ablation 400、そしてTAVI 80例ということであり、まあ湘南鎌倉総合病院循環器内科と遜色ない数字だと思います

最大の違いは、何事につけても余裕が漂っている、という点でしょうか やはり鎌倉は朝から晩までせかせかしています そうしないと業務が回らないのです 特に外来診療に時間がとられます そうしないとカテの患者さんも減少する そんな悩みがありますね

また、デンマーク、ノルウェー、フィンランド何れの国にも基本的に医師に関しては、「この年齢で終了」というようなドイツあるいはオランダのような制度は無く、基本的にやれる歳まではそのまま、ということだそうです

さて、僕の場合には何歳までかな?

本日の移動

今日は Aalborg –> Copenhagen –> Oslo –> Tromsoと長距離の移動です 要するにスカンジナビア半島の南の端から北の端まで直線距離にして 1,500Kmを国をまたいで移動するのです Osloは Norwayの首都、そして TromsoはNorwayの北極圏の都市です ちなみに bording passは

Ticket to Tromso
Ticket to Tromso

ということになります

第二例目

第二例目を開始するのは既に 14:30にはなっていましたので、その症例を開始するためには、カテ室ナースの了承が必要でした 我々が症例を行ったカテ室にはナースが三名配置され、とても良く動く方達でした ちなみに、レントゲン技師さんや、臨床工学士の方などはおられません 通常の勤務は 8:00AMより業務を開始し、医師は 8:30AMまでカンファランス、それから患者さんの診察が 9:00 – 9:30AMまであり、それから実際のカテや手術に向かうそうです

ですから緊急を除き、いわゆる業務はどうしても 9:30AMないし 10:00AMからとなるようです そして、ナースは通常 15:30に勤務を終了し、次の勤務者に代わり、保育園に子供を迎えに行ったり、それぞれの生活に入るのだそうです

従って第二例目を 14:30過ぎより開始するためには、ナースと交渉が必要であり、Leif先生はその交渉に行かれました そして僕は、別の先生方が平行してやっておられたTAVIの見学に行きました この日のTAVIは二例であり、僕が終わりを少しのみ見学することができたTAVI症例は SAPIEN-3を TAo (上行大動脈アプローチ)で行う症例でした 残念ながらカテ室に向かった時には既に終了間際でした この Aalborg病院でのTAVI症例数は年間 40症例に限定され(多分国家予算などで制限されるようです)てきたらしいのですが、この2016年には年間60症例の許可が降りたそうです 全例全身麻酔で行い、TF (大腿動脈アプローチ)と TA(心尖部アプローチ)が同じくらいの症例数のようでした 意外なことに Leif先生はこの病院ではどうもTAVIより離れ、PCI班におられるようでした ご自分では「現在はリハビリ中だ」と仰られていました これは日本でのTAVIプロクタをされていた時に、PCIから完全に離れ、CTOも全くやったことがなくなってしまい、それを取り戻すために頑張っておられる、という意味です

Leif Thuessen先生 (右)と、Bent先生 (左)
Leif Thusen先生 (右)と、Bent先生 (左)

Leif先生は僕よりも年齢が上で、もうすぐ 70歳にならんとされる先生ですが、今でもこのようにアクティブに活動されている姿に「僕も頑張らねば」と思います

そして結局第二例目は 15:00前に開始されました この症例は両側大腿動脈で行いましたが、二年前に二回逆行性アプローチが行われいずれも左冠動脈前下行枝から中隔枝にワイヤーを通し、右冠動脈のCTOがもうすぐ成功する、というところでシネで見ても不明でしたが、何故か途中で手技が終了となり、不成功となった症例です この手技を実際に行われた先生は既に Aalborgにおられなく、また文書による記録も不明で、何故途中で終了になったのかわかりませんでした

 

今回はどう見ても中隔枝ルートはあまり良くありませんでした 何本か可能性があるのはあるにはあるのですが、その先が右冠動脈のあまり良くない枝につながっていたりで、どうも食欲をそそられません 他に無いかな?と探していると改善し末梢から#PDにつながる副血行路を見つけました Sionでは通過できず、SUOH-03に変更したところ、スルスルと通過しました 通過した後ワイヤーが近位に進まないためCorsairから造影すると、以前の造影ではその部分は右冠動脈真腔が太くあり、近位部のCTOまで十分あった筈なのですが、何と何と全く消えていました 結局順行性とあわせると跡形すら無いCTO部分は10 CMぐらいに拡大していたのです そしてその部分をワイヤーでつついても全く入っていきません 右冠動脈は異所性であり、子カテを挿入して何とか backupを保ちながら順行性からと逆行性から両方から Conquest-Proで後1mmまで迫りました しかし、手技の最中も安定せず、Leif先生は、「この患者さんはあまり医学的適応が無いので、中止しましょう」と言われました きっと、ナースの問題とか色々なことを考えてのことだと思いました これ以上自分の意地のために頑張るのは良くない、と判断したのです そうやめどきでした 結局 16:30には中止しました

そうそう大切な事実を記すのを忘れていました それは、何故途中で以前の手技が中止になったかと言えば、逆行性に右冠動脈末梢に入り、そこですぐどうやら解離腔をドンドン近位にまで進めてしまい、その結果 右冠動脈の#2から#3の解剖学的内腔などが完全に解離で破壊され、そのまま固まり、結果的に二年間放置された、ということに推測します 二年前の逆行性アプローチにより悪くなった、ということです

それからホテルに戻り、ビールを飲み、夜は皆で tabu (タブー)というノルウェー料理の店に行き、10:00PM頃まで食事したりお話したりしました 夜はたくさん眠ることができ 今朝は 8:30AM発の便で再び Copenhagenに戻り、それからNorwayの首都 Oslo経由で北極圏の都市に入ります

ひどい時差ボケの中で

今朝は Aalborg University Hospitalに行きました 宿泊した Comwell Hotelというホテルの大通りを挟んで斜め前 距離にして 500mぐらいのところにある大学病院です 何でも Denmarkは3つの地域に分かれていてそれぞれに一つづつ大学病院があり、この病院もその中の一つということです

ちなみに Aalborg (オールボー)はデンマーク第四の都市であり、人口 20万人ということです
Leif Thusen先生は何年か前にこの病院に移籍されたそうです そのLeifが今回の僕のスカンジナビア半島の旅をアレンジして下さったのです メインの仕事は僕の持っているCTOに対するPCIの知識と技術を伝授することでしたし、僕の人生にとってはこれまでのPCI人生の総括、という意味があるのです

Aalborg University Hosital
Aalborg University Hosital

とは言っても時差ぽけは辛く、また寄る年波には勝てない、という面があるのですが、こういう場面での僕は強いですね、「まあなるようにしかならないし、成るか否かは、それまでの人生の積み重ねが反映されるのだから、今更ジタバタしても仕方ない」という何時ものうっちゃり技がすぐに出てきます

それで今朝は 8:30AM頃にホテルから病院に出かけ、そこでは Leif先生が入り口で待たれていました そしてそれから本日用意された二例のCTO症例シネを見たのです

第一例目は冠動脈バイパス手術予定であった72歳の男性患者さんで、これまでに何回かの心筋梗塞をおこされ、心機能低下が著しく左室駆出率は 25%程度しかありませんでした この患者さんが左冠動脈前下行枝の99%のために 2051/11月に左冠動脈前下行枝に対して緊急PCIを受けましたが、それ以前より狭心症があり、それは右冠動脈近位部のCTOでした ただ、このCTOは 1999年の診断カテーテルより指摘されている非常に古いものでした

驚くべきことに本日の造影では、右冠動脈CTO部分より末梢が長い範囲に渡り全く造影されず、11月の時には bridge collateralで比較的鮮明に造影されていた右冠動脈が見えず、従って解剖がわからない、という状態でした

また、PCI開始時より既に血圧が 70 mmHgを切る状態で、PCIをやるためには昇圧剤を与えながらやるしか無いことになっていました また、右橈骨動脈よりカテーテルを挿入したのですが、右鎖骨下動脈の蛇行がひどくガイディング・カテーテルを左冠動脈にいれることができませんでしたので、大腿動脈よりガイディング・カテーテルを挿入しました

順行性には造影されず、逆行性にも良い副血行路が無く、諦めかかったのですが、頑張って非常に細い、しかも蛇行の激しい中隔枝を見つけ、そこを狙って見事に中隔枝経由の逆行性アプローチを完成させました その後は Reverse CARTOなども多彩に織り交ぜながら最終的にワイヤーを開通させました しかしステント持ち込みが石灰化のために大変であり、結局子カテを用いたのです 最終的に 3.5 x 48mm x 2個のDESと、4.0 x 23mmのDESを植え込み奇麗な出来で終了しました

そうそう大事なことを忘れていました 終了間際、なかなか右冠動脈にステント持ち込めなくガイディング・カテーテルを操作している間に恐らく AL-1による大動脈弁閉鎖不全が発生し、心停止となり心臓マッサージをしました 原因は自明ですので全く焦る気持ちもありませんでしたし、心臓マッサージの後すぐに回復しました 結局患者さんはとても喜ばれていました やりがいありますね

この第一例目は開始時刻か既に 10:00AMを回っていましたが、何時もより時間がかかり終了したのは 13:00でした それから病院の職員食堂に行き、昼食をとりました

時差ボケ

今回もひどい時差ボケからスタートです
成田発コペンハーゲン行きのスカンジナビア航空直行便は予定よりも 1.5時間遅れて出発しました コペンハーゲンからオールボー (Aalborg)行きの便には飛び乗るようにして乗り込みました そして、Aalborg空港到着は 19:00そしてホテルに入ったのが 19:30でした
これから北欧ノルディックの旅が始まります 今日はその初日です

Map of Nordic Countries
Map of Nordic Countries

ノーベル賞

昨日は雑誌の取材で名古屋大学東山キャンパスを訪問させて頂きました あるノーベル賞受賞者との対談があったのです すごいですよね ノーベル賞というのは人類が歴史を刻んでから1,000名は多分受賞者がいない賞ですよね、それを受賞されている方というのは うーん ですね
実際にお会いしてお話させて頂き、気さくな方で安心しました まあそのような方でないとノーベル賞などは受賞できないのでしょう
発言された内容に一部誤りがありましたが、それは周りが支えるべきことで本質ではありません お話できてとても良かったです 自分としても啓発されることがありました

ということで昨日は名古屋を忙しく日帰り、こんなことが可能となったのも新幹線が50年ぐらい前に開通したからでしょう 素晴らしき技術の進歩ですね

ということで本日は朝から成田に向かいました 成田発昼過ぎの便でコペンハーゲンに飛ぶのです 本来はもう飛び立っているのですが、飛行機が 2時間ぐらい遅れていますので未だ成田空港です
僕は暫く 日本を離れます 日本を離れて、自分の人生について考えます、色々な思いがあります、それらよついて考えます、あと 懸案のプログラミングですけどね

その結果、自分がインタベの世界から離れ、あるいは医師を捨てる、そんなこともありかな とも思います 

これまで 1981年にPCIの第一例目を行ってから、いやいや 実は 1979年に第一例目を行ったのでした、遠い記憶の彼方に全てが曖昧となりつつあります
1979年に Old Gruentzig On-The-Wire Balloonで第一例目から第四例目の合計四例を関西労災病院重症治療部脇のレントゲン機械(これはOld Siemens -> new cheap Hitachi)で行ったのです

それから何と 37年間が経過したのです そんな自分の人生、自分が人生を交差してきた患者さん、どんな患者さんにとってもそれぞれの人生であり、誰にも干渉を許されない人生なのです その人生と関わり、お互いに波紋を与え、それぞれの人生に影響してきたのです

そんなことを考えます そして、本日暫く日本を離れ、色々と考えたいと思います