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光藤先生との思い出 – 続き

大混乱の中、デルタ航空にマシンで check inして、今ようやく Delta Loungeに入り込みました いやあクリスマスシーズンだからでしょうか、Minneapolis-St.Paul空港は大混雑です。こんな混雑見たことありません。

さて、その 1992 or 1993年のことですが、僕と光藤先生は、二人であの有名な Mayo Clinicそしてカナダのこれもまた有名な、Toronto大学のカテ室に見学に行くことにしたのです。そして、そのアレンジをしてくれたのが、当時の ACS社、日本にはこの会社設立されず、かわりに G兄弟社という商社がその販売を担っていたのです。もっとも ACSはその後 Guidantという会社に買収され、またそのGuidantは現在の Abbott社に買収され、今に至ります。

その ACSがこの時のアメリカ-カナダ訪問をアレンジしてくれたのです。そして、Mayo Clinicと Toronto大学カテ室およびカテ室チーフの先生に連絡してくれ、日にちがおさえられ、それに併せて僕と光藤先生は飛行機の予約をしたのです。最初の目的地は、Mayo Clinicのある小都市 Rochesterでした。Rochester空港は少なくともその当時は日本の地方都市空港よりも小さな空港ビルディングでした。

事前の打ち合わせでは、Rochester空港に到着すれば、Mayo Clinic担当の ACS営業社員が僕たちを待っていて、そしてそのままホテルにつれて行ってくれることになっていました。

何処で乗り継いだかは覚えていないのですが、成田空港から18時間ぐらいかけてようやく Rochester空港に降り立ちました。そこで迎えの人、当然初めて会うことになっていたのですが、その男性と覚しき人が待っているはず、しかし、待てど暮せど、1時間は待っていたのですが、誰も現れません。そしてついに小さな空港待合室には僕たち二人以外誰もいなくなりました。

「これはすっぽかされたな」と思ったのです。しかし問題は、その時宿泊するホテルが何処で、連絡先は何処か、あるいは担当者の名前や電話番号、そして日本側での連絡先、それらの情報が全く無かったのです。もちろん、そのような情報をきちんと確認せずに動いた僕たちが悪いのですが・・・・

当時は携帯電話も無く、また国際電話をかけるのはとてもとても大変であり、また高額だったのです。でも僕には光藤先生がおられるし、もちろん光藤先生には僕がいたのです。二人でこれからの策を練りました。まずはホテルの確保ですが、そこに移動するためには、レンタカーを借りる必要があります。幸い当時は保持していた国際運転免許証がありましたので、それで空港でレンタカーをまず借りたのです。多分11:00AMぐらいだったような気がします。まだ若かったのです時差ボケにもほとんどなっていませんでした。

とにかく Downtown Rochesterまで車を走らせ、何でもいいからホテルを探すと、交差点のところに、多分 Holiday Innがあったのです。そこのフロントに行き、「二人止まりたいのだけど」と二部屋確保したのです。それからまずは Family Restaurantで昼食を摂りました。そして、ホテルのフロントで City Mapをもらい、Mayo Clinicを探し、とにかくカテ室を探し、そこに行くことにしたのです。そして、昼ごはん食べた後、二人で向かいました。病院駐車場に駐車し、二人で、Catheterization Laboratoriesという院内標識を探しました。今にして思えば無謀でした。何しろ世界でもっとも有名な大病院です。

幸い、僕たちはその標識を発見し、入り口まで行き、そこにいたナースか技師さんに、「これこれしかじかの者で、本日は見学の約束がある筈です」と申し出たのですが、「そんな約束は無い」と断られたのです。いくら言っても無駄でした。

仕方がないので、また二人でホテルまで車を走らせ、あっそうだ、光藤先生と二人でアメリカやヨーロッパを何回も、何千キロもレンタカーでドライブしましたが、その時は、何時も僕が Driverで、光藤先生が Navigatorをされましたが、とにかくホテルに戻ったのです。そして多分眠りました。流石に時差ボケが出てきたのですねっ。

そもそもカテ室見学は二泊の予定でしたので、翌日は一日まるまる予定があきました。朝二人で地図を見ていたところ、ミネアポリスという街の名前が目に付きました。Rochester – Minneapolisは 135Kmぐらいです。Minneapolisは当時よりペースメーカー製造販売会社 Medtronic社があることで僕たちもその名前を知っていたのです。それで、別に Medtronic社を尋ねるつもりはありませんでしたが、とにかくその街に行こう! ということになったのですね。

例によって僕が運転し、連邦高速道路を一路西に Minneapolisの標識を目指し走り出しました。半分以上過ぎた頃には、これまで出ていた Minneapolisという標識が無くなったのです。道を間違えたか? と思ったのですが、やがて Twin Cityという標識が突然出てきました。そこで思いを巡らし、ひょっとして Minneapolis – Saint Paulと高速道路を挟んで並び立つ2つの都市をまとめて Twin Cityと呼ぶのだろうと推測しました。

さて、翌日も借りたレンタカーで、光藤先生と二人、「さあ、一日どうしようか?」と相談しました。その翌日には Rochester -> Toronto行きの便が確定しており、そのチケットは日本にいる時に入手していましたので、Rochesterでの日程最後は確定していたのです。結局、一日全くフリーとなりました。それで Minneapolisという聞いたことのある街に行ってみよう! ということになったのです。

高速道路を例によって僕が運転し、光藤先生は隣の助手席で navigateです。一時間以上も走った頃だったと思います。無性に眠く慣りましたので、路肩に車を停め、僕は仮眠しました。光藤先生はその間、車を離れ、ランニングされたのだと思います。仮眠から醒め、気づくと隣に光藤先生がおられませんでした。辺りを見回すと、高速道路とT字路に直行する砂利道が見えました。道の隣は川幅2mぐらいの川が2 – 3mぐらいの谷で上流に向かって右手に流れていました。道はゆったりとした上り坂だったのですが、これを見て、「あっ、みっちゃんはこの道をランニングして登っていったのだろうな」とピンときました。

そこでエンジンをかけ、その方向にゆっくりと登って行ったのですが、すぐにランニングして降りてくる光藤先生と合流しました。運転席は左手であり、僕はそちらに座り運転です。助手席の光藤先生側、つまり右手は崖となっており、僕の側は2-3mぐらいの深さの谷に川が流れているのです。道は舗装されておらず、砂利道でした。僕の運転するカムリでゆっくりとその道を降りて行きました。

カーブがあり、少しだけブレーキを踏みました。途端に前輪駆動のカムリが右に滑りながら曲がって行きました。ここからは目の前の景色が走馬灯のようにゆっくりと流れ出しました。全身からアドレナリンが大量に放出され、体感時間がゆっくりと流れだしたたのです。このまま右に行くと、光藤先生の座っておられる助手席は右手の崖にぶつかる! そう判断し、ブレーキ踏みながら左手にハンドルを切りました。とたんに車のコントロールが効かなくなり、そのまま左手の谷に向かって車は落ちようと進んでいきました。前輪駆動の前輪が両側とも谷に向かって踏み出しました。「あっ、このまま落ちてしまう」と思ったところで、谷の脇から生えていた木の枝に前輪が2つともひっかかり停止しました。

「助かった、でも下手に体動かすとバランス崩れ、谷に落ちてしまう」と二人で言いました。しかし、前輪駆動のカムリはバックしようとしてもできません。「もう頑張って車から外に出るしかない」と結論し、ゆっくりと外に出たのです。

何とか助かったのですが、自動車はそのままで、動かしようがありません。途方に暮れて二人で道端で呆然としていると、数分後に古い古いトラックがゆっくりと降りてきたのです。運転しておられたのは、左手を失っておられた60歳ぐらいの男性でした。とても強い訛りがあり、お互いに何を話しているのか身振り手振りでした通じないのです。それでも、どうやらトラックの後ろの荷台に乗れ、と言っておられるらしいとわかりました。それで二人で荷台に乗り込むと、トラックは少し高速道路を走り、近くの小さな街、というか色々な店が集まっている場所で止まり、そこのある一軒におじさんは僕たち二人を招き入れました。

おじさんは、どうやらそこの店主に我々の置かれた状況を説明されたようです。僕たちにはその会話を聞き取る英語力はありませんでしたが、今度は、その店主がレッカー車を運転し、どうやら我々にそのレッカー車に乗り込めと身振り手振りで指示されました。

レッカー車は我々が落ちかけた現場に戻り、今度はそのレッカー車で僕たちの車を引っ張り上げてくれたのです。それで、レッカー車についてカムリ(ラッキー まだ正常に動作していましたよっ)でお店まで戻りました。僕たちを連れて来て下さったおじさんは既に姿を消しておられ、お礼の挨拶もする暇がありませんでした。お店につくと、随分と安い請求書を見せられ、多分 10ドルぐらいだったかなあ、それをお店で支払い、ようやく高速道路に復帰し、そしてやっとこさまず、St Paulの街に行き、そこで見つけた「寿司屋」さんに入り、ゆっくりと昼食を二人で食べ、そして Minneapolisに行ったのです。でも正直何も覚えていません。

覚えていて鮮明に記憶に残っているのは、親友 光藤 和明 先生と過ごした濃密な時間と空間です。何事にも代えがたい思い出です。

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今週はPCIに明け暮れ、そして行者になった

今週は新たな薬剤溶出性ステント治験や、Impellaを用いたCHIPによる治療、そして外来診療に明け暮れました 本当に忙しく自分の残された貴重な人生としての時間をどんどん費やしてしまいました

本当にこんなことでいいのだろうか? さらには MitraClipによる治療、これは大分と早く治療できるようになり、そんなには自分の人生の貴重な時間を費やしてはいませんが、まあTAVIに関しては既に部下に任しても全く問題ありませんので このような時には関わらないようにしていますし

そして昨日金曜日 11/09は伊勢志摩ライブで術者をさせて頂きPCIをまた行ったのです 何時もは土曜日の朝、あるいは金曜日の遅くに松坂に入るのですが、今年は行者としての修行がありましたので、金曜日午後遅めに松坂に入りました

そしてまずは講演を一つ行い、それから実際の症例治療に移りました 意外にもロータプレーターが必要となりましたが、結果的には満足の行く出来で治療が終了したのです この時点で 16:30ぐらいでしたが、すぐに松坂のホテルに向かい夕食を食べてバタンキューでした やはり疲れが溜まっているのですね

しかししかし結局 2:00AMに覚醒して、それからは一睡もできず本日に至ったのです

さて本日は自分の老境に向いつつある肉体を顧みずに無謀にも行者修行に挑んだのです

ここ伊勢にはものすごい昔から修験者が修行を行う聖域としての山があります 本当の意味での山伏が修行に入る山です その山が現在も残っていて、それは麓のお寺により管理されています その寺は 「伊勢山上 飯福田寺」というお寺であり、まだ40歳前後の住職さんが管理されています 飯福田寺というのはなかなか読めないと思いますが、「いぶたじ」と読みます

僕がこの寺と、その修験の場所を知ったのは、やはり伊勢山に当時は存在していた萎びた蕎麦屋さんに行ったからです それは丁度一年前のことでした

それからこの西暦 701年、つまり 1,300年前に開山した修験の山で少しでも修験者、行者に近付こうと、今日この日を一年間待ったのです

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昨日は金沢循環器病院PCI 10,000例記念ライブデモンストレーションおよび祝賀会

昨日 11月02日は朝から羽田発の小松空港行きの ANA便で金沢に飛びました 飛行機はビジネス・マンで満席でした 途中日本アルプスを横切るのですが、快晴のため美しいアルプスの山々を見ることができました

記念の署名

昼に蕎麦を食べ、 14:00より一例 右冠動脈と左回旋枝の二枝慢性完全閉塞の症例のPCIを行わせて頂きました その模様は院内の会議室にライブ中継され、その様子を NHK金沢がテレビカメラで取材に来ていました

NHK中継カメラ

前日に症例の CDを見て、「これはものすごく難しい」と思いました 両方の冠動脈に対して既にPCIが試みられていたのですが、不成功に終わっていたのです それにその間の数年の中で心機能悪化し、解剖学的にはもっと困難になっていたのです 昨日の造影で左回旋枝のCTOはまず不可能 (間に CYPHERが植え込まれ、その前後で double CTO)と判断し、少しでも可能性のある右冠動脈に対して中隔枝経由の retrogradeで入りました なかなか目標とする中隔枝を選択できず、ようやくのことで選択でき、Corsairを中隔枝の中に挿入したのですが、その中隔枝は hair-pin curveを描いて #PDに対して遠位に向かって合流していたのです 以前のシネではそのような所見は無く素直に合流していたのですが、これは心臓の expansionによる解剖学的変位のためだと思います 何れにしても Sion/Sion-Blue/Sion-Black/XTRなどでは全く #PD近位に向けてワイヤーを進めることはできなかったのです SUOH-03は無かったので試すことはできませんでしたが、おそらく SUOH-03でも不可能だったでしょう こういう時に僕はしばしば Ultimate-Bross 3 (UB3)を用いるのですが、もちろん肝心の部分で硬いワイヤー先端による解離を引き起こしその時点で不可能・不成功になる危険性はあるのですが、そこはものすごい慎重で大胆なワイヤー操作でなんとか乗り切るのです そして昨日もそれを行いましたが、それが功を奏してワイヤーは右冠動脈近位部に向かって進めることができました このワイヤー操作が昨日のテクニックのキモでした

その後、CART/Reverse-CARTを行いようやくのことで順行性にワイヤーを #PD真腔に導入でき、最終的に 3.0 x 38mm + 3.5 x 38mmと二本のDESを植え込み成功裏に終了しました

そしてその開通した右冠動脈よりの造影で左回旋枝のCTOに対する可能性を検討したのですが、先に書いたように double CTOで collateralも poorですので、成功する可能性は限りなくゼロに近い、という判断でその時点で終了しました 使用造影剤量 < 300ml, 被曝線量 2Gyであり患者さんに対して悪影響をもたらすことなく成功したと思います これで少しでも心機能改善すれば良いと思います

うまく行きました

このライブの後ホテルに入り 18:00より講演を行い、夜は「太平寿し」で食事をしました

金沢循環器病院PCI10,000例記念

金沢市から飛び地となっている野々市町にある「太平寿し」はとても有名で、その大将は石川県寿司協会会長をされていたのですが、今年春先に残念ながら亡くなられたのです その後はお弟子さんが立派に継がれていました

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それぞれにとっての年月

自分も歳をとってきました 思えば、小学生の頃は一日がとても長く「早く明日になあれ」と毎日思っていました 明日になればまた皆の楽しく遊べるし、ご馳走も食べることができるかも知れない そんな期待で時間の流れが何時も遅く感じていました

しかし、この歳になり今はどうでしょうか? 今は、あっと今に一日が過ぎて行きます 結局自分の頭の中で「これぐらいはできる」とか思っていても、実は体力とか智力とかあるいは運気でしょうか 何しろ色々なことが自分のイメージと乖離して、その結果思っていたようにはできていない だから同じことをしながらすぐに明日になってしまう イメージの中では時間は同一に流れていても行った実績としては時間はあって言う間に過ぎていくのです

うーんバリバリで強気に満ちいた 30歳から 40歳ではどうでしょうか? あの頃は「これからの10年間 とっても長い時間が自分にはある どんなにか自分が色々なことを楽しみ、また進化していくのか」そんな期待に満ち溢れていましたよね

でも今となっては、「あと10年? そんな時間自分に残されているのかな?」そんなことを考えてしまいます

実際ある年齢の人の平均余命はプログラマの視点から言えば、これまでの生命予後の積み重ねと理論的考察から年齢を変数とした関数として定義可能な筈です 実際に同様の視点は確率されていて厚生労働省の Home Pageにも見ることができます

これによれば以下のような簡単な式で表されるようですね

平均余命計算式

ところが、この式、ぱっと見れば「おっ 自然対数の底が出てきている なんか科学という匂いがするなあ」と思いませんか?

違うのです 単に eというのは記号に過ぎず、自然対数の底 いわゆるネイピア数とは全く関係ありません 何か当たり前のことしか行っていません 要するに 「ある年齢 x歳の人々の平均余命」 = 「その集団の中で x歳以上の人々の人口 = 定常人口」を「その集団の x歳に達している人口」で割ったものに等しい と述べているのです 何だかこれってあまりおもしろくないですね そりゃあそれにより x歳の人が平均的に何年間生きることができるのか? という問いに答えることはできるでしょうか・・・ うーん 面白くない それにどうも本当にこれであっているのでしょうか? だって「人数」を「人数」で割れば、単位は消失してしまい、どうしたって「年」は出てきません ちなみにこのページでは実際に平均余命を計算しています ここの「平均余命の定義」は解りやすく 以下のようになっています

平均余命の定義を最初に説明します。まず、平均余命は年齢ごとに定まります。x歳の平均余命とは、現在x歳の人が平均してあと何年生きるかを表す数値です。平均と言いましたが、数学的に言うと期待値というものです。

このページで解説されている平均余命の計算は結構ややこしいですね 時間のある方はやって下さい

ところで何でこんなこと考えているか? と言えば 例えば、自分は経皮的冠動脈インターベンションの術者であり、冠動脈領域で治療をすることを天職の一つとしているのですが、こんなことを悩みました 「40歳の患者さんが左冠動脈主幹部を含む重症三枝病変であり、諸事情により冠動脈バイパス手術が困難で危険である時」このような時にも、もちろん患者さんのリスクは賭けるのですが、それだけか自分の医者としての自分の人生全体を賭けたリスクも取ることになるのですが、その時に「この治療で後何年間をその患者さんの人生にもたらすことができるだろうか?」 そんなことも考えます そして、「まだまだこの患者さんは少なくとも平均余命までの時間を得る権利がある」 そんなことも考えます 考えるだけでなく自分の心にとって大きな圧力となります

これが ご高齢の患者さんであれば、どうでしょうか? きっと自分は「今ここで亡くなられるようなリスクは犯したくない、そのかわりあと数年でも長く楽に人生を送って欲しい」と考えます

そして考えました、経カテーテル的大動脈弁置換術(TAVI)の場合にはどうだろうか? TAVIにおいてはこの数年間いや1 – 2年間でけでもディバイスの改良、医学としての知識の蓄積の増大、それぞれの経験の増大に伴い、著しく手技に伴うリスクが減ってきました そして、今や全世界的にも外科的大動脈弁置換術のりクスが低い患者さんに対してもTAVIを行う方向に向かっています その結果TAVIの世界で起きていることは、明らかに適応拡大なのです 適応拡大の中にはこれまでは 80歳以上の方々を対象としてきたTAVIですが、次第により年齢の低い方々も対象とするようになってきました この流れの中でこれまでの議論に立ち戻れば、少なくとも術者としての自分から見れば、TAVIという治療の後に与えられる時間が長くなってきているので、結果的に よりゆっくりとした時の流れが残される、そのようにも解釈できます

何れにしても時間に対する感覚は絶対的なものと信じがちですが、実は相対的なものなのです 大切なことは、そのような自分の見方により変化する時の重みに対して常に時間の流れを大切に考えることかも知れません

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投資コンサルタントのお話

シカゴの Sheraton Grand Chicagoホテルのバーで飲もうとしていたところ、外国人に別々に二人から呼びかけられました 当初は相手が誰が認識できなかったのですが、二人目の方は、2005年にお会いしたきりの再開でした その方は Wall街のどなん中、ものすごく有名な証券会社で投資コンサルタントをしている方です

彼から、僕が今は無くなってしまった St. Vincent’s Catholic Medical Centerというマンハッタンの下の方のものすごく良い場所にあった伝統ある歴史的病院で院内ライブを何回かした時に面会の依頼が来ていたのです 最初何の用事かさっぱり分からなかったのですが、ホテルに迎えに来てくれ、連れて行かれた先は、入り口からがっちりセキュリティされた Wall街のど真ん中の超有名証券会社だったのです 彼にエレベーターで連れて行かれた先は、10数階にあったと思うのですが、ある部署の小さな会議室でした その部屋には僕、彼、彼の同僚の三名で入り、17:00 – 18:00色々な会議というか何というか話がありました

要するにその内容は、2005年 DES(薬剤溶出性ステント)が新たに日本市場にも投入される予定であり、そのことが日本の医療市場にどんなインパクトを与えるのか? そしてそれがポジティブであれば、米国の投資家にもそのような動きに投資を勧めるのがコンサルタントしての重大な使命であり、そのためには日本での状況をつぶさに調べたい、そのような趣旨だったのです

まあ正直自分ごときの意見が何百億円のお金を左右に動かせるほどには重要ではないと思ったのですが、自分からすればその後のご褒美期待もあったのです 通常このような多分インタビューには契約書や秘密保持の取り決めしたりして、某かのお金のやり取りがあると思いますが、この時にはそのようなややこしいことは無く、口頭で、「はいお礼はお金でなく、おいしい寿司ですよ」と、もちろん英語で言われました これは魅力ですよね

そして終了後連れて行かれたのが当時も今もマンハッタンでは一二を争う寿司の名店「jewel bako」だったのです これって要するに「宝石箱」ですね その内容はそれはそれは素晴らしいものでした そしてその後連れて行かれたのが、典型的な日本の居酒屋「matsuri」これは祭りですね でした ここもすごい居酒屋でしたが、残念ながら今は閉店しているようです

まあそのようなことがあったのですが、要するに言いたいのは、彼はこの TVTという最先端の学会に顔を出し、色々な人々に接触し情報を入手試みていたのです TVTでは世界の最先端の医療機器が出てきます もちろんそのような中で 100の Venture Companyが出てきてその内の多分一つから2つぐらいしかものにならないのです そのようなチャレンジを支えるのが投資家と投資資金のまわりにある色々な職種の人々なのだと思ったのです

翻って日本ではどうか? 残念ながら日本の大手医療機器メーカーは僕が考えるにほんの一つあるいは2つの非常に challengingな姿勢を維持しているメーカー以外、とても消極的で単に M&Aしか考えておらず、その中から自らの頭脳を伸ばそうという姿勢が無いのです これが日本の問題点である、そのように思いました

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本日のTAVI

本日は二例のTAVI 自己拡張型で行いました 重症例でしたが非常に良好な結果でした

バルーン拡張型と自己拡張型を比べれば、多くの日本の先生方はバルーン拡張型に馴染みがあると思います それには理由があります その理由とは バルーン拡張型が日本で保険診療下で使うことが出来るようになったのは 2013年10月ですが、自己拡張型を使えるようになったのは確か 2014年の暮ぐらいからではないでしょうか

結果的に多くの医師にとって自己拡張型は馴染みが無い、それが最大の理由でしょう

僕自身はと言えば、治験段階から自己拡張型を用いていたので馴染みはあるのですが、問題は治験終了から保険診療下での使用まで数年間のブランクがあることです この間に全てそれまでに得た技術から遠のいてしまうのです それで結果的に僕自身自己拡張型に何となく抵抗感が出てきたのです でも最近はようやくその心理的バリアから脱出しつつあります

TAVIを終わってからPCIを一例自分でしました そしてその後夕方に外来診療です そしてその後院内の委員会に出席、僕は早めに帰宅しました 外は小雨が降っていましたが、自転車で戻りました

TAVIもCTOも、そしてプログラミングも僕の心にとっては同程度の心の障壁です その心の障壁を乗り越えればこれまでに鍛えてきた能力により結果は成功という型でついてくるのです

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本日は日曜日

昨日 小樽より鎌倉に戻り、その途中で Kindle入手した「素粒子論はなぜわかりにくいのか」を読み始めました

今日はしばらくしたらば出発し、鎌倉で夜会食があるのですが、何とかそれまでに読破しました 「読破」と言っても、理解は困難、著者の吉田 伸夫氏が分かりやすく書き下ろして下さっているのですが、それでも理解困難 最後の付録で、場の量子論に関連した重要公式やら、計算が出てくるのですが、そこは全く理解できません

それでも読んで良かった、もう一度読むと思います 何となく世界が広がった気がするのです 著者が盛んに言われているように、「素粒子」という言葉から、我々は粒子を連想しますが、それがそもそも現代物理学では間違いでありり、波動が形作る「場」が本態であり、波動した時に、外部には「粒子」として認識される、そのような漠然とした理解に至りました こんなこと何の役に立つのか? そんなふうに思われる方も多いでしょうが、僕にとっては生きる糧です

素粒子論はなぜわかりにくいのか
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新しい時代の始まりか

昨日はある治療を二例で行いました ここでは詳しくその内容について記載することはできません

新しい治療を新しい医療器具を用いて行ったのです これはとてもストレスのかかることです 何故ならば

  1. 何しろ未経験なことなのでそれ自体リスクを伴う
  2. 新しいことを行う、ということはこれまでの治療よりも少しでも良い結果がもたらされることを要求される
  3. 新しいことを行った結果、これまでの治療よりも少しでも悪い結果がでてはいけない
  4. もしもうまく進まなければ、それは術者としての私自身の大きな責任となり得るばかりでなく、私自身を否定するものとなり得る
  5. もしもうまく進まなければ、その本来は有効である可能性が高い治療器具・治療概念そのものが否定されかねない

などなど色々なことを考えてしまいます それは巨大な重圧となって僕の心に振りかかるのです これをどのように乗り越えて前に進むか? それには人生のコツが必要なのです それについては何れ機会があれば述べましょう

そして、その後は横浜で講演会があり、講演を行いました そして、昨夜は羽田東急エクセル・ホテルに宿泊し、今 6:30AM発の千歳行きの便に乗るため羽田空港ラウンジにいるのです

圧倒的に睡眠時間が少く制約され、体力的に辛いです そんな中でも頭脳は冴え渡り、今も つい今使用した「制約」という言葉から、「制約理論」という言葉につながりました 「制約理論」と言えば堅苦しい言葉に聞こえますが、世間一般では TOCという言葉で使われることが多いようです TOC = Theory of Constraint のことであり、この混乱した社会の中で生きていくためには、色々な制約の中で最善の結果をもたらす必要がありますが、それをいかに一定の方法論に従って効率的に行っていくか? という方法論の集大成なのです

いやこの表現が正しいかどうか、そこまで僕は未だ勉強していませんが、大筋では正しいと思います そろそろ出発時刻でしょうか

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そして得た教訓 改めて

さて NEXに置いてけぼり事件、その対処の過程、これは教訓めいていますね

当たり前のことであり、普段のPCIやTAVIにも当てはまりますが

  1. 普段より準備をしておく – 具体的には全力疾走に耐える体力を維持しておかねば、今回絶対に乗り遅れていました
  2. 危機に際しては冷静に分析・決断する – 今回は iPhoneを用いた分析と決断が有効でした
  3. 最後は行動力 – 間に合う可能性があると判断すれば、全力で走る これには行動力が必要です

ということでしょうか

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何だかがっかり

夜寝る前に聞きながら寝込んでしまうPodCast番組がいくつかあります お気に入りは、ニッポン放送がやっている「ザ・ボイス そこまで言うか」、「WoodStreamのデジタル生活」、「Space News Digest」、「宇宙と素粒子の夜」そして、「Rebuild」です

もちろん、Lanceや、New England Journal of Medicine、JAMAなども聞くのですが・・・

ザ・ボイスは聞く人によれば内容が右翼的ですが、僕にとっては心地よく響きます 今はあまり使用していない Windowsの情報をいち早く仕入れるには WoodStreamが良いのです そして、宇宙関係や理論物理学のことを知りたければ Spance Newsや素粒子の夜なのですが、残念ながらここ半年間素粒子の夜は新たに配信が停止されていますが じっと待っています

さて、Rebuildなのですが、これは世界的に有名な料理レシピサイトを作成している CookPadに彼が転職した途端に CookPadの株価が上昇した、ということで有名な未だ若き日本が誇る Perl使いであり、いわゆる腕利きハッカーである宮川 達彦さんが行っているものです だいたい週一回ぐらい配信されるのですが、ソフトウェア開発の第一線で活躍している名前の知れたハッカー達が、現在のソフトウェアの話題について一時間ぐらい話をして下さる番組です 僕はこれを聞きながら現在ソフトウェア開発がどのように動いているのか その一端を知るようにしているのです 何しろ自分の周りにはソフトウェアの話をできる人間が一人もいないから 皆には聞きながら入ってくる情報も入ってこないので そのようにせねばなりません

さて、先週やその前には あの Rubyのオリジナル開発者である、これも世界的に有名な Matzこと まつも ゆきひろ さんが一緒に出演しており、Rubyの現状を話されました そして、二週目には何と全編英語で これまたアメリカの有名な開発者と三人でソフトウェアの話をされたのです

そもそも宮川さんは、現在サンフランシスコに在住で世界中を飛び回っているようです そして、何とサンフランシスコには日本人のその道の有名な開発者がたくさん住んで仕事しているらしいのです

さて、がっかりですが、最新の配信の中での話題ですが、何とALS (筋萎縮性側索硬化症}の話題が出たのです 今アメリカでは話題になっているのですが、有名人が氷水をバケツで浴びせられ、その人はまた次の人にそれをできる しかも、それを FaceBookとかで配信す、そのようなものが流行っているのです そして、浴びせられた人は ALS研究振興のために 200ドルの寄付をするのです これが、何と善意の行為として流行っており、それを行うのがナウいという風潮になっています

その話題から ALSの話になりました 何と宮川さん含め、その日本語名を知らず、また、 Wikipediaで調べてもひらがなのカナ振りを見つけるまで、「萎縮」という漢字を読めなかったのです これには唖然としてショックを受けました さらには、番組の中で、「だから漢字はダメなんだ 全部ひらがなにすべきだ」などという浅薄な議論を展開したのです 本当に馬鹿だと思いましたよ

漢字という文字がどれだけの情報量を瞬時に伝えるのか理解していません 所詮ビットの世界でしか生きていないのでしょうかね

ある重度障害者がひらがなからは意味を読み取れなかったにもかかわらず漢字を見て一瞬で意味を読み取りました この時に「漢字はすごい」と思いました

さらに、ひどかったのは ALSは日本ではあまり無いので一般の日本人は知らないから、バケツかけなんかは流行らないのでは? などという偏見的な発言が繰り返されたのです これには流石に僕は番組聞くの止めました 胸糞悪く 気分が悪くなりました

これまで Rebuildを聞きながら最先端の分野でトップで活躍している日本人がいて、しかも英語も流暢で、そのような人たちが集まる Rebuildに対してすごく好きで評価してきたのですが、難だか がっかり 宮川さんにもがっかりでした

結局、宮川さんのように素晴らしい才能がある方も、小さな自分を取り巻く世界にのみ囚われるしまうのでしょうか 多分僕自身もそうなのでしょう そしてその結果他人を傷つけることがあるかも知れない そのように意識せねばならないのですね