それぞれにとっての年月

自分も歳をとってきました 思えば、小学生の頃は一日がとても長く「早く明日になあれ」と毎日思っていました 明日になればまた皆の楽しく遊べるし、ご馳走も食べることができるかも知れない そんな期待で時間の流れが何時も遅く感じていました

しかし、この歳になり今はどうでしょうか? 今は、あっと今に一日が過ぎて行きます 結局自分の頭の中で「これぐらいはできる」とか思っていても、実は体力とか智力とかあるいは運気でしょうか 何しろ色々なことが自分のイメージと乖離して、その結果思っていたようにはできていない だから同じことをしながらすぐに明日になってしまう イメージの中では時間は同一に流れていても行った実績としては時間はあって言う間に過ぎていくのです

うーんバリバリで強気に満ちいた 30歳から 40歳ではどうでしょうか? あの頃は「これからの10年間 とっても長い時間が自分にはある どんなにか自分が色々なことを楽しみ、また進化していくのか」そんな期待に満ち溢れていましたよね

でも今となっては、「あと10年? そんな時間自分に残されているのかな?」そんなことを考えてしまいます

実際ある年齢の人の平均余命はプログラマの視点から言えば、これまでの生命予後の積み重ねと理論的考察から年齢を変数とした関数として定義可能な筈です 実際に同様の視点は確率されていて厚生労働省の Home Pageにも見ることができます

これによれば以下のような簡単な式で表されるようですね

平均余命計算式

ところが、この式、ぱっと見れば「おっ 自然対数の底が出てきている なんか科学という匂いがするなあ」と思いませんか?

違うのです 単に eというのは記号に過ぎず、自然対数の底 いわゆるネイピア数とは全く関係ありません 何か当たり前のことしか行っていません 要するに 「ある年齢 x歳の人々の平均余命」 = 「その集団の中で x歳以上の人々の人口 = 定常人口」を「その集団の x歳に達している人口」で割ったものに等しい と述べているのです 何だかこれってあまりおもしろくないですね そりゃあそれにより x歳の人が平均的に何年間生きることができるのか? という問いに答えることはできるでしょうか・・・ うーん 面白くない それにどうも本当にこれであっているのでしょうか? だって「人数」を「人数」で割れば、単位は消失してしまい、どうしたって「年」は出てきません ちなみにこのページでは実際に平均余命を計算しています ここの「平均余命の定義」は解りやすく 以下のようになっています

平均余命の定義を最初に説明します。まず、平均余命は年齢ごとに定まります。x歳の平均余命とは、現在x歳の人が平均してあと何年生きるかを表す数値です。平均と言いましたが、数学的に言うと期待値というものです。

このページで解説されている平均余命の計算は結構ややこしいですね 時間のある方はやって下さい

ところで何でこんなこと考えているか? と言えば 例えば、自分は経皮的冠動脈インターベンションの術者であり、冠動脈領域で治療をすることを天職の一つとしているのですが、こんなことを悩みました 「40歳の患者さんが左冠動脈主幹部を含む重症三枝病変であり、諸事情により冠動脈バイパス手術が困難で危険である時」このような時にも、もちろん患者さんのリスクは賭けるのですが、それだけか自分の医者としての自分の人生全体を賭けたリスクも取ることになるのですが、その時に「この治療で後何年間をその患者さんの人生にもたらすことができるだろうか?」 そんなことも考えます そして、「まだまだこの患者さんは少なくとも平均余命までの時間を得る権利がある」 そんなことも考えます 考えるだけでなく自分の心にとって大きな圧力となります

これが ご高齢の患者さんであれば、どうでしょうか? きっと自分は「今ここで亡くなられるようなリスクは犯したくない、そのかわりあと数年でも長く楽に人生を送って欲しい」と考えます

そして考えました、経カテーテル的大動脈弁置換術(TAVI)の場合にはどうだろうか? TAVIにおいてはこの数年間いや1 – 2年間でけでもディバイスの改良、医学としての知識の蓄積の増大、それぞれの経験の増大に伴い、著しく手技に伴うリスクが減ってきました そして、今や全世界的にも外科的大動脈弁置換術のりクスが低い患者さんに対してもTAVIを行う方向に向かっています その結果TAVIの世界で起きていることは、明らかに適応拡大なのです 適応拡大の中にはこれまでは 80歳以上の方々を対象としてきたTAVIですが、次第により年齢の低い方々も対象とするようになってきました この流れの中でこれまでの議論に立ち戻れば、少なくとも術者としての自分から見れば、TAVIという治療の後に与えられる時間が長くなってきているので、結果的に よりゆっくりとした時の流れが残される、そのようにも解釈できます

何れにしても時間に対する感覚は絶対的なものと信じがちですが、実は相対的なものなのです 大切なことは、そのような自分の見方により変化する時の重みに対して常に時間の流れを大切に考えることかも知れません

投資コンサルタントのお話

シカゴの Sheraton Grand Chicagoホテルのバーで飲もうとしていたところ、外国人に別々に二人から呼びかけられました 当初は相手が誰が認識できなかったのですが、二人目の方は、2005年にお会いしたきりの再開でした その方は Wall街のどなん中、ものすごく有名な証券会社で投資コンサルタントをしている方です

彼から、僕が今は無くなってしまった St. Vincent’s Catholic Medical Centerというマンハッタンの下の方のものすごく良い場所にあった伝統ある歴史的病院で院内ライブを何回かした時に面会の依頼が来ていたのです 最初何の用事かさっぱり分からなかったのですが、ホテルに迎えに来てくれ、連れて行かれた先は、入り口からがっちりセキュリティされた Wall街のど真ん中の超有名証券会社だったのです 彼にエレベーターで連れて行かれた先は、10数階にあったと思うのですが、ある部署の小さな会議室でした その部屋には僕、彼、彼の同僚の三名で入り、17:00 – 18:00色々な会議というか何というか話がありました

要するにその内容は、2005年 DES(薬剤溶出性ステント)が新たに日本市場にも投入される予定であり、そのことが日本の医療市場にどんなインパクトを与えるのか? そしてそれがポジティブであれば、米国の投資家にもそのような動きに投資を勧めるのがコンサルタントしての重大な使命であり、そのためには日本での状況をつぶさに調べたい、そのような趣旨だったのです

まあ正直自分ごときの意見が何百億円のお金を左右に動かせるほどには重要ではないと思ったのですが、自分からすればその後のご褒美期待もあったのです 通常このような多分インタビューには契約書や秘密保持の取り決めしたりして、某かのお金のやり取りがあると思いますが、この時にはそのようなややこしいことは無く、口頭で、「はいお礼はお金でなく、おいしい寿司ですよ」と、もちろん英語で言われました これは魅力ですよね

そして終了後連れて行かれたのが当時も今もマンハッタンでは一二を争う寿司の名店「jewel bako」だったのです これって要するに「宝石箱」ですね その内容はそれはそれは素晴らしいものでした そしてその後連れて行かれたのが、典型的な日本の居酒屋「matsuri」これは祭りですね でした ここもすごい居酒屋でしたが、残念ながら今は閉店しているようです

まあそのようなことがあったのですが、要するに言いたいのは、彼はこの TVTという最先端の学会に顔を出し、色々な人々に接触し情報を入手試みていたのです TVTでは世界の最先端の医療機器が出てきます もちろんそのような中で 100の Venture Companyが出てきてその内の多分一つから2つぐらいしかものにならないのです そのようなチャレンジを支えるのが投資家と投資資金のまわりにある色々な職種の人々なのだと思ったのです

翻って日本ではどうか? 残念ながら日本の大手医療機器メーカーは僕が考えるにほんの一つあるいは2つの非常に challengingな姿勢を維持しているメーカー以外、とても消極的で単に M&Aしか考えておらず、その中から自らの頭脳を伸ばそうという姿勢が無いのです これが日本の問題点である、そのように思いました

本日のTAVI

本日は二例のTAVI 自己拡張型で行いました 重症例でしたが非常に良好な結果でした

バルーン拡張型と自己拡張型を比べれば、多くの日本の先生方はバルーン拡張型に馴染みがあると思います それには理由があります その理由とは バルーン拡張型が日本で保険診療下で使うことが出来るようになったのは 2013年10月ですが、自己拡張型を使えるようになったのは確か 2014年の暮ぐらいからではないでしょうか

結果的に多くの医師にとって自己拡張型は馴染みが無い、それが最大の理由でしょう

僕自身はと言えば、治験段階から自己拡張型を用いていたので馴染みはあるのですが、問題は治験終了から保険診療下での使用まで数年間のブランクがあることです この間に全てそれまでに得た技術から遠のいてしまうのです それで結果的に僕自身自己拡張型に何となく抵抗感が出てきたのです でも最近はようやくその心理的バリアから脱出しつつあります

TAVIを終わってからPCIを一例自分でしました そしてその後夕方に外来診療です そしてその後院内の委員会に出席、僕は早めに帰宅しました 外は小雨が降っていましたが、自転車で戻りました

TAVIもCTOも、そしてプログラミングも僕の心にとっては同程度の心の障壁です その心の障壁を乗り越えればこれまでに鍛えてきた能力により結果は成功という型でついてくるのです

本日は日曜日

昨日 小樽より鎌倉に戻り、その途中で Kindle入手した「素粒子論はなぜわかりにくいのか」を読み始めました

今日はしばらくしたらば出発し、鎌倉で夜会食があるのですが、何とかそれまでに読破しました 「読破」と言っても、理解は困難、著者の吉田 伸夫氏が分かりやすく書き下ろして下さっているのですが、それでも理解困難 最後の付録で、場の量子論に関連した重要公式やら、計算が出てくるのですが、そこは全く理解できません

それでも読んで良かった、もう一度読むと思います 何となく世界が広がった気がするのです 著者が盛んに言われているように、「素粒子」という言葉から、我々は粒子を連想しますが、それがそもそも現代物理学では間違いでありり、波動が形作る「場」が本態であり、波動した時に、外部には「粒子」として認識される、そのような漠然とした理解に至りました こんなこと何の役に立つのか? そんなふうに思われる方も多いでしょうが、僕にとっては生きる糧です

素粒子論はなぜわかりにくいのか

新しい時代の始まりか

昨日はある治療を二例で行いました ここでは詳しくその内容について記載することはできません

新しい治療を新しい医療器具を用いて行ったのです これはとてもストレスのかかることです 何故ならば

  1. 何しろ未経験なことなのでそれ自体リスクを伴う
  2. 新しいことを行う、ということはこれまでの治療よりも少しでも良い結果がもたらされることを要求される
  3. 新しいことを行った結果、これまでの治療よりも少しでも悪い結果がでてはいけない
  4. もしもうまく進まなければ、それは術者としての私自身の大きな責任となり得るばかりでなく、私自身を否定するものとなり得る
  5. もしもうまく進まなければ、その本来は有効である可能性が高い治療器具・治療概念そのものが否定されかねない

などなど色々なことを考えてしまいます それは巨大な重圧となって僕の心に振りかかるのです これをどのように乗り越えて前に進むか? それには人生のコツが必要なのです それについては何れ機会があれば述べましょう

そして、その後は横浜で講演会があり、講演を行いました そして、昨夜は羽田東急エクセル・ホテルに宿泊し、今 6:30AM発の千歳行きの便に乗るため羽田空港ラウンジにいるのです

圧倒的に睡眠時間が少く制約され、体力的に辛いです そんな中でも頭脳は冴え渡り、今も つい今使用した「制約」という言葉から、「制約理論」という言葉につながりました 「制約理論」と言えば堅苦しい言葉に聞こえますが、世間一般では TOCという言葉で使われることが多いようです TOC = Theory of Constraint のことであり、この混乱した社会の中で生きていくためには、色々な制約の中で最善の結果をもたらす必要がありますが、それをいかに一定の方法論に従って効率的に行っていくか? という方法論の集大成なのです

いやこの表現が正しいかどうか、そこまで僕は未だ勉強していませんが、大筋では正しいと思います そろそろ出発時刻でしょうか

そして得た教訓 改めて

さて NEXに置いてけぼり事件、その対処の過程、これは教訓めいていますね

当たり前のことであり、普段のPCIやTAVIにも当てはまりますが

  1. 普段より準備をしておく – 具体的には全力疾走に耐える体力を維持しておかねば、今回絶対に乗り遅れていました
  2. 危機に際しては冷静に分析・決断する – 今回は iPhoneを用いた分析と決断が有効でした
  3. 最後は行動力 – 間に合う可能性があると判断すれば、全力で走る これには行動力が必要です

ということでしょうか

何だかがっかり

夜寝る前に聞きながら寝込んでしまうPodCast番組がいくつかあります お気に入りは、ニッポン放送がやっている「ザ・ボイス そこまで言うか」、「WoodStreamのデジタル生活」、「Space News Digest」、「宇宙と素粒子の夜」そして、「Rebuild」です

もちろん、Lanceや、New England Journal of Medicine、JAMAなども聞くのですが・・・

ザ・ボイスは聞く人によれば内容が右翼的ですが、僕にとっては心地よく響きます 今はあまり使用していない Windowsの情報をいち早く仕入れるには WoodStreamが良いのです そして、宇宙関係や理論物理学のことを知りたければ Spance Newsや素粒子の夜なのですが、残念ながらここ半年間素粒子の夜は新たに配信が停止されていますが じっと待っています

さて、Rebuildなのですが、これは世界的に有名な料理レシピサイトを作成している CookPadに彼が転職した途端に CookPadの株価が上昇した、ということで有名な未だ若き日本が誇る Perl使いであり、いわゆる腕利きハッカーである宮川 達彦さんが行っているものです だいたい週一回ぐらい配信されるのですが、ソフトウェア開発の第一線で活躍している名前の知れたハッカー達が、現在のソフトウェアの話題について一時間ぐらい話をして下さる番組です 僕はこれを聞きながら現在ソフトウェア開発がどのように動いているのか その一端を知るようにしているのです 何しろ自分の周りにはソフトウェアの話をできる人間が一人もいないから 皆には聞きながら入ってくる情報も入ってこないので そのようにせねばなりません

さて、先週やその前には あの Rubyのオリジナル開発者である、これも世界的に有名な Matzこと まつも ゆきひろ さんが一緒に出演しており、Rubyの現状を話されました そして、二週目には何と全編英語で これまたアメリカの有名な開発者と三人でソフトウェアの話をされたのです

そもそも宮川さんは、現在サンフランシスコに在住で世界中を飛び回っているようです そして、何とサンフランシスコには日本人のその道の有名な開発者がたくさん住んで仕事しているらしいのです

さて、がっかりですが、最新の配信の中での話題ですが、何とALS (筋萎縮性側索硬化症}の話題が出たのです 今アメリカでは話題になっているのですが、有名人が氷水をバケツで浴びせられ、その人はまた次の人にそれをできる しかも、それを FaceBookとかで配信す、そのようなものが流行っているのです そして、浴びせられた人は ALS研究振興のために 200ドルの寄付をするのです これが、何と善意の行為として流行っており、それを行うのがナウいという風潮になっています

その話題から ALSの話になりました 何と宮川さん含め、その日本語名を知らず、また、 Wikipediaで調べてもひらがなのカナ振りを見つけるまで、「萎縮」という漢字を読めなかったのです これには唖然としてショックを受けました さらには、番組の中で、「だから漢字はダメなんだ 全部ひらがなにすべきだ」などという浅薄な議論を展開したのです 本当に馬鹿だと思いましたよ

漢字という文字がどれだけの情報量を瞬時に伝えるのか理解していません 所詮ビットの世界でしか生きていないのでしょうかね

ある重度障害者がひらがなからは意味を読み取れなかったにもかかわらず漢字を見て一瞬で意味を読み取りました この時に「漢字はすごい」と思いました

さらに、ひどかったのは ALSは日本ではあまり無いので一般の日本人は知らないから、バケツかけなんかは流行らないのでは? などという偏見的な発言が繰り返されたのです これには流石に僕は番組聞くの止めました 胸糞悪く 気分が悪くなりました

これまで Rebuildを聞きながら最先端の分野でトップで活躍している日本人がいて、しかも英語も流暢で、そのような人たちが集まる Rebuildに対してすごく好きで評価してきたのですが、難だか がっかり 宮川さんにもがっかりでした

結局、宮川さんのように素晴らしい才能がある方も、小さな自分を取り巻く世界にのみ囚われるしまうのでしょうか 多分僕自身もそうなのでしょう そしてその結果他人を傷つけることがあるかも知れない そのように意識せねばならないのですね

思想の違い? あるいは放射性物理学の違い?

昔から疑問に思っていたことがあります 色々な方々に質問しても明確な回答が得られません

それは、放射線を使用する医学領域の検査において、被曝線量表示として、Gy (グレイ)と Sv (シーベルト)の二通りが用いられていることです

Gyは、心臓カテーテル検査装置において表示すれますが、胸部レントゲンや CT scanなどでは Svが用いられます

その逆、というのは世の中で見たことありません 何でなのでしょうか? 同じ放射線被曝という言葉でひっくくられる概念なのに何故異なるのでしょうか?

技師さんやプロの方々(つまりこれらの装置を制作しておられる企業の技術者)に伺っても、一様に「Svはあくまでも実際に放射線を受けた生体に吸収される線量であり、Gyはレントゲン装置が出す線量なのです」という訳の分かったような分からないような回答ばかりなのです

そんなことは物理学的定義として分かるのですが、何故それでは、CT装置ではGyで表示せず、また心臓カテーテル装置では Svでは表示しないのでしょうか?

この点についての回答は未だありません 僕の穿った見方としては、

  1. 心臓カテーテル装置では術者の被曝をも考慮しているため、術者に対する警告としてレントゲン装置が放射している放射線量を表示している
  2. 一方 CTでは放射線被曝するのはあくまでも患者さんだけなので、Svで表示する この際、術者の被曝というのはあり得ない

以上のような見解が現在の僕の理解です どなたか真実を教えて下さい

何が僕を僕たらしめるか?

今回 Costa Ricaでは若手の Interventional Cardiologistsと何人か交流しました。皆とても優秀であり、しかもハングリーです。そして、皆それぞれ数年から10年間ぐらいの臨床および研究のための外国留学経験があります。

その先生方が一様に僕に言われたのは、”I read you CTO book, and am learning from that book.”というようなことでした。これが何を指しているかと言えば、Washington Hospital Centerの Ron Waksman先生と共同で出版している本のことでした

CTO1

この本は、第一版であり、とても大変でしたが何とか編集と出版ができました。

そして、続いて第二版も出版することができたのです。それが、この色違いの本です。Amazonで購入することができますよ。

CTO2

結局、このような実績の積み上げが、僕を僕たらしめているのであって、単なる名前とか、そんなものではないのですね。何だか実存主義のような主張でした。

公け ということ

公け(おおやけ)ということはどんなことか考えています

公け、ということはきっと社会の一部に完全に組み込まれている、そのような意味でしょうか 抽象的に考えていも哲学者ではないので難しい、あっ、そう言えば日経新聞の確か日曜日ですが、連載されているコラム 「哲と学」というのは哲学の世界に素人が入っていくには良いかも知れませんね、もとい話を戻します 具体的に考えましょう

「公」という文字が頭に着く組織は世の中にたくさんありますね、例えば公立病院、公立学校、公共交通機関、公会堂、公立図書館、公立公園、 うん こうして列挙すれば、世の中の誰しもが利用できる組織ないし機関ということになりますね

かな漢字変換しても良く分かるのですが・・、公立といのは得てして「効率悪い」と同義だったりすることもありますね へへへ

「公」が頭についても、「公立」と「公共」とは意味が少し違います 前者は女将でなくお上が「公」のために設立したものであり、後者は女将であっても良く、誰がつくったかは関係無く、「公」のために設立されたものです

さて、「病院」というのはどうなんでしょうか? 日本においては、医療サーピスは国民皆保険制度の下で提供されます この国民皆保険制度というのは、一種の税のようなものです 税を国民に広く必要に応じて分配するようなものです ということは、日本においては 医療機関というのは程度の差こそあれ、公共のものです

最近ニュースを騒がせている事件の一つに私が人生の中の25年間を捧げてきた組織の法律違反事件があります この組織は、一人の偉大な人物によって設立され、日本最大の組織となりました その間には数々の障害、しかもその多くはいわれの無いものであったのですが、障害があったのですが、強烈なリーダーシップの下で、「命だけは平等だ」という強力な理念のもとに職員一丸として乗り越えてきたのです しかしながら間違いがおこりました その設立の歴史の中で、組織が一人の偉大な人物のもの、その人物の商店のようなものと職員もみなすようになっていたのです

医療機関、特にその組織のように巨大化した組織は日本という国家の中で、実は完全に公共のものであり、今や設立者と言えど、その個人のものでは一切ないのです この重大な真実に皆気づかなかったのです 僕は今それを強く認識しています

ああ こんなこと「公け」にしてしまえば、どんな罰を受けるでしょうかね? まあどうなるかそれに身を任せるのも良いでしょう

いざとなれば純粋仮想世界のプログラミングの世界に埋没してそこで生きていきますから ああ でもそうなるとTAVIができなくなって特に日本人の患者さんがたくさん困りますね