兄弟の杯

昨日は症例を終え昼食をとってからホテルに戻りひと眠りして、19:30にホテルを出発し、その夜の夕食会に行きました。夕食会はペルーで一番高級と言われているホテル「ミラフローレス・パーク・ホテル」の一階にある、これまたリマで一番とも言われているレストラン「Mesa-18」で行われました。スペイン語でMesaとはテーブルのことです。このレストランは、いわゆるFusion和食という分類の店です。和食レストラン「TOSHIRO」を運営している小西紀郎(こにし としろう)氏が半分出資してオープンしたレストランです。
食事はおいしく、フュージョンと言っても日本人の舌に合わないものではありませんでした。小西紀郎さんがわざわざテーブルにも来て下さり、色々なお話を聞かせて頂きました。
彼は1975年 僕が医師となった年にあのニューヨークで有名な「ノブ」の松永さん(違うかも知れません TOSHIROさんは”松ちゃん”と呼んでおられるそうです)に和食を手伝ってくれ、と頼まれ2年間の約束でリマに渡ってきたそうです。ノブさんはその半年ぐらい前にリマで寿司屋さんをオープンしたのですが、ペルーの人は誰も寿司というものを知らないので、和食を追加するべく頼まれたそうです。しかし、そのノブさんはリマを見限りアメリカに渡り、その後大成功されたのだそうです。TOSHOROさんはそのまま37年間リマに残り今の店に仕上げられたのだそうです。その業績に対して、日本の農林水産大臣賞を2008年に受賞され、今年国家戦略大臣賞を受賞された、ということです。今では4 Haの農地を持たれ、そこで日本から待ちこんだ茄子の種を育てて日本種の茄子を自ら作り、また米も作っているそうです。食文化の勉強とペルーの歴史の勉強もされ、ペルー人のシェフ80名が今は弟子として呼べば何時でも飛んでくるということでした。
もともとロックの音楽家になりたく、実際にポリドールからCDも出したそうですが、親戚も誰一人買わなかった、ということです。日本を出国する前には新宿で2年間流しでギターを弾いていたのだそうです。
そんな小西さんと昨日は「兄弟の杯」を交わしました。日本人としてどう生きるべきか、日本の文化と伝統について色々なお話を聞かせて頂きました。現在 59歳、65歳までは今の時ごとにバリバリ頑張り、それから5年間は生涯のことを本に出す、そのように言われていました。
例の 1996年12月17日にリマの在ペルー日本大使公邸で起きた占拠事件の時にはたまたま公邸に呼ばれており、その後12月22日に解放されるまで6日間大使らと一緒に拘束されていたそうです。そして1月3日から夕食の差し入れを開始したそうです。

昨日のPCI

あいかわらず激しい時差ボケに襲われていますが、今朝は何とか6:00AMまで寝ることができました。
昨日はペルー国立心臓センター INCORに朝から行きました。
まずはカンファレンス・ルームで症例のシネを呈示されました。呈示されたのは5例でした。この病院の状況というかレベルというか、それが全く分からない状態です。2例の右冠動脈慢性完全閉塞症例は明らかにPCIの適応でしたのでアクセプトしました。1例はいったいどこを治療するのか分からず拒否しました。1例の多枝症例は、右冠動脈のみ治療することでOKしました。他の二枝に関しては瀰漫性であり、狭窄も50%無いので、治療すれば再狭窄リスクの方が病変進行リスクよりもはるかに高い、と判断しましたので、一枝のみ治療することを決めました。もう一例は先月右冠動脈の90%狭窄を治療しにいき、うまくいかず解離と穿孔のために病変部ぐちゃぐちゃとなり慢性完全閉塞となった症例で、左冠動脈前下行枝にも病変がありました。無理をすれば、まず左冠動脈冠動脈造影をやり、逆行性アプローチの是非を決めてから判断すれば良いのですが、カンファレンスの間に、「どうやらこの病院でのPCIは気を付けた方が良い」と自分で結論しましたので、この症例も拒否しました。冠動脈バイパス手術に回って頂いた方が良い、と判断しました。
そんな訳で合計3例を行うことにしました。前日の病院はPCIのレベルはそこそこだったのですが、患者さん入れ替えが非常に遅く1時間以上かかっていましたが、INCORはそんなことありませんでした。
最初の右冠動脈慢性完全閉塞はTFIで開始、しかしこの時に「あっ、何も無い、ガイドカテも無い」という現実を知らされました。本当に何も無いのです。いざとなれば逆行性アプローチを行うつもりで、両側大腿動脈から入ったのですが、まずは圧ラインを2チャンネル取れないのです。マシンはシーメンスのArtisが貼っていて問題無いのですが、運用に大きな問題あり、でした。スタッフの練度も低く、このような状況のカテ室です、孤立無援状態です。全く信用できません。体の大きな女医さんが助手について下さったのですが、この方は院内で大きな力を持っているようで、スタッフ皆がビビッていました。しかしながら、その手技はこれが鎌倉や札幌だったらば、1時間とカテ室には留まらせない、そんなレベルでした。基礎的訓練が全くできていません。三方活栓の向きがわからず何回も空気を吸い込むし、折角慢性完全閉塞を通過させたワイヤーを抜くし、折角困難の末に挿入したガイドカテを抜くし、とにかく邪魔しかしないのです。おまけに体が大きいので、立つ位置も僕の邪魔するのです。
何とその方が(結局最後まで自己紹介も無いので、この先生がじの人かも分からないのです、院内では自己紹介の必要が無い存在なのでしょう)、3例全ての助手をされたのです。辛かったなあ
2例の右冠動脈慢性完全閉塞は簡単に順行性でガイドワイヤーが通過し、数少ない薬剤溶出性ステント選択から、中国製薬剤溶出性ステントを植え込みました。さらに、左冠動脈に対しても治療しました。患者さんおよびご家族はものすごく喜んでおられました。何でも国立病院なので治療費はタダということでした。


最後の右冠動脈90%病変はTRIで入りました。しかし、右冠動脈が異所性なので大変でした。何とかfloatingでガイドワイヤーを通過させ、薬剤溶出性ステントを植えました。全ての手技終了は13:00頃でしたので、すぐに退散し、ペルー料理レストランに直行したのです。うーん メニューの写真は一皿たくさんあり、おいしそうなのですが・・・ このように見本写真というのは上手に作れるのですね
というのが感想です。ただ、紫トウモロコシから作ったジュースというのがかわっていました。まあ普通のジュースですが。何でもトウモロコシ、イモ、そして唐辛子の発症の地はペルーのアンデス山脈なのだそうです。それから世界中に広まったということです。日本の薩摩芋ももともとはペルーから来たのを改良し、鷹の爪も同様だということです。口直しに、日本料理Fujiに行き、ギリギリセーフで、ニラ味噌ラーメンを食べました。なかなかおいしいのです。
ホテルに戻り時差ボケで意識消失、それから夜はMesa18というペルーで一番のレストランに行きました。これについては次回紹介しましょう。刺激的な夜だったのです。兄弟の杯を交わしました。