時差ボケ

時差ボケにより覚醒 2:30AMです。こんな時には本を読むに限ります。

と、いう訳で「JPEG 概念からC++による実装まで」をパラパラと読んでいます。この本は何回読んだことでしょう。そして常に持ち歩いているのです。内容は僕にとってはとても難しいのですが、C++の勉強にもなります。ほとんどの部分は読み飛ばししてきました。DICOM-XAには必要無い、と思っているからです。特に離散コサイン変換の部分は必要ありません。DICOM-XAでは「ロスレス」圧縮だからです。

こうして読み飛ばすことにより、重要なことも読み飛ばしていることに気付いたのです。それが

  1. スキャンセグメントの最初にはスキャンヘッダが存在する 従って SOS (Start of Scan)タグに引き続いての8 bytesは画像データではない
  2. DRI (Define Restart Interval) タグを確認することにより、ビット誤りを訂正するリスタート・インターバルの存在確認
  3. RSTm (Re-Start) タグをスキャン内で確認することにより、リスタートする部分があるか否かの確認
  4. スキャン内で、0xFFが存在する可能性があり、その場合、次に続くバイトが0xであれば、0xFF 0x00というバイト列の内の、0xFF部分を正当な値と見なし、0x00というバイトを読み飛ばさねばならない

これらの重大な事実に気付きました。そういう訳で、実際のDICOM-XA fileを binary editorで開き、2, 3について検証しました。 DRI = 0xFFDDですので、これがスキャン・インターバルの中に存在するかどうか調べたところ、ありません。念のため、RSTm (mはモジュロ8つまり、8で割った余りですから、0~7の整数です)の存在を調べました。RST0 = 0xFFD0、RST1 = 0xFFD1 ・・・・ ですので、それを検索しても存在しません。従って重大な事実として、DICOM-XAにはビット誤りに対するリスタートは存在しない、ということになります。

次に4について検証しました。ショックなことに、0xFF00というバイト列はスキャン・データ すなわち画像データ中に多数存在しました。今まで書いたプログラムでは、0xFF00というバイト列が来たとしても、そのままデータとして処理していましたので、これを修正せねばなりません。

さらに重要なのは、今まではスキャンヘッダの存在を全く無視していた、ということです。データでない部分から復号をしていたのです。もう無茶苦茶ですよね。どうりで SOS (0xFFDA)の後に、どのDICOM XA fileでも同じようなバイト列 0x00 0x08 0x01 0x01 0x00 0x01 0x00 0x00 が存在していた訳です。疑問には思っていましたが、そのささやかな疑問を心の中で無視していたのです。

まあ何れにしてもこれで前に進めそうですね。

これらか重要なのです

何じゃ これは!! — DICOM XA表示プログラム

さてさて遅々としてはいるものの確実に前に進んでいる DICOM XA表示用プログラムですが、この長い中南米PCI旅行の最中も暇を見つけてやっています。
やっと、MFC frameworkを用いて C++で一コマの絵を出すことに成功しましたが、いやいや決して成功していないのです。符号化のデコードがうまくいっていないのです。実際のDICOM XA fileを読み込み、10コマ目を表示したらばこんなになってしまいました。これからたくさんのステップがありますね。その道が楽しみです。

こんな絵が出てきてしまいました ?????

本日のPCI

朝から ISSSTEでPCIを行いました。一例目は 右冠動脈の慢性完全閉塞であり、大分以前に冠動脈バイパス手術を行い、LIMA-LADは良好であり、右冠動脈は冠動脈バイパス手術時から閉塞し、グラフトも閉塞しておりました。標的は右冠動脈の慢性完全閉塞でしたが、良く見ると、#1の慢性完全閉塞のみならず#3も長い範囲にわたって慢性完全閉塞でした。回旋枝より一本副血行が行っていたのですが、右冠動脈は分岐部でもう近位には造影剤が行かない状況でした。
一目見て、「これは難しい」と思いましたが、やるしかありません。まずは順行性に行きましたが、Conquest-Pro12でも全く閉塞部に入りません。すぐに左冠動脈回旋枝からの逆行性に移行しましたが、副血行路の選択が非常に難しかったのですが、何とか通しました。しかし、#3より近位に全くガイドワイヤーが進みません。これ以上の策はありませんので、すぐに中止しました。
二例目も右冠動脈近位部の慢性完全閉塞でしたが、これは順行性にさっさと終了しました。
という訳で今回の ISSSTEでの慢性完全閉塞コースは終了しました。一泊して、明朝早くの便でロス経由で帰国です。

ISSSTE in MexicoCityでのPCI

日本メキシコは東アジアでの日本の立場とは逆に、非常に良好な関係となっています。この両国間には既に FTA (自由貿易協定)が締結されております。メキシコは中南米ラテン・アメリカ諸国の中心です。この地域ではブラジルを除く全ての国々でスペイン語が用いられており、自由に会話ができるのです。メキシコはマヤ文明に代表される古い歴史と伝統があり、かつスペインから渡来した西洋文明をうまく取り入れて発展してきました。中南米諸国から多数の留学生がメキシコに留学し、医学をはじめ多くの分野で勉強し、そして母国に戻り母国の発展に尽くしているのです。私自身、このメキシコとの関わりは未だ数年ですが、既に僕の弟子と呼べる医師も育っています。その一人が ISSSTE (公務員社会保険病院)のカテ室長である Marco先生です。彼は既に日本に二回来日されたことがあり、毎週一回日本語スクールに通い、既に相当日本語が話せます。メキシコのInterventional Cardiologyの次代を担う人です。
ISSSTEの警備は非常に厳しく、ゲートにはサブ・マシンガンを構えた警備の人が立っています。その構内に入るためには、通りを隔てた保安室に行き、自らの ID (パスポートなど)を預けねばなりません。ISSSTEには何と驚いたことに動物実験設備があり、そこでブタなどを用いてMirco Surgeryの練習などを行うらしいのです。
その施設でまずメキシコ人の若い先生達がブタでPCIのトレーニングを受けました。
僕は講義したりしたのですが、その後 3:30PM頃から一例慢性完全閉塞に対する経皮的冠動脈インターベンションをしました。右冠動脈#1角の慢性完全閉塞であり、丁度屈曲部で非常に難しそうでした。
案の定順行性にはすぐに外側にワイヤーが行ってしまい、血管の外にでます。逆行性を開始しました。一本のみ可能性のある中隔枝がありましたが、左冠動脈前下行枝遠位であり、分岐角度が90度以上あり、しかも、中隔枝に入ってすぐに再び90度に屈曲していました。ワイヤーをその中隔枝入口に挿入するのも困難でしたが、何とか入りました。しかし、すぐに血流と一緒に左冠動脈前下行枝本幹に抜けてしまいます。Fielder-FCに交換し、じっくりと 0.05mm/Secぐらいの進行速度と、180度/30Sec程度の微妙な繊細なワイヤー操作を行い、心臓の拍動を感じながらその拍動に同期させてやっとこの二段階直角を越えていきました。そして、ついに右冠動脈遠位にまでワイヤーが通過したのです。
Micor catheter (Corsair)を右冠動脈近位部にまで持ち込み、両側性に粘りました。順行性にReverse-CARTOを行いましたが、どうしてもワイヤーがつながりません。造影剤使用量が 450mlとなった時点で give upしました。
うまくいかず残念ではありますが、非常に勉強になった症例と思います。僕としては満足です。
本日は朝から出かけ、明朝早朝の便でロスに飛び、そのまま帰国します。

兄弟の杯

昨日は症例を終え昼食をとってからホテルに戻りひと眠りして、19:30にホテルを出発し、その夜の夕食会に行きました。夕食会はペルーで一番高級と言われているホテル「ミラフローレス・パーク・ホテル」の一階にある、これまたリマで一番とも言われているレストラン「Mesa-18」で行われました。スペイン語でMesaとはテーブルのことです。このレストランは、いわゆるFusion和食という分類の店です。和食レストラン「TOSHIRO」を運営している小西紀郎(こにし としろう)氏が半分出資してオープンしたレストランです。
食事はおいしく、フュージョンと言っても日本人の舌に合わないものではありませんでした。小西紀郎さんがわざわざテーブルにも来て下さり、色々なお話を聞かせて頂きました。
彼は1975年 僕が医師となった年にあのニューヨークで有名な「ノブ」の松永さん(違うかも知れません TOSHIROさんは”松ちゃん”と呼んでおられるそうです)に和食を手伝ってくれ、と頼まれ2年間の約束でリマに渡ってきたそうです。ノブさんはその半年ぐらい前にリマで寿司屋さんをオープンしたのですが、ペルーの人は誰も寿司というものを知らないので、和食を追加するべく頼まれたそうです。しかし、そのノブさんはリマを見限りアメリカに渡り、その後大成功されたのだそうです。TOSHOROさんはそのまま37年間リマに残り今の店に仕上げられたのだそうです。その業績に対して、日本の農林水産大臣賞を2008年に受賞され、今年国家戦略大臣賞を受賞された、ということです。今では4 Haの農地を持たれ、そこで日本から待ちこんだ茄子の種を育てて日本種の茄子を自ら作り、また米も作っているそうです。食文化の勉強とペルーの歴史の勉強もされ、ペルー人のシェフ80名が今は弟子として呼べば何時でも飛んでくるということでした。
もともとロックの音楽家になりたく、実際にポリドールからCDも出したそうですが、親戚も誰一人買わなかった、ということです。日本を出国する前には新宿で2年間流しでギターを弾いていたのだそうです。
そんな小西さんと昨日は「兄弟の杯」を交わしました。日本人としてどう生きるべきか、日本の文化と伝統について色々なお話を聞かせて頂きました。現在 59歳、65歳までは今の時ごとにバリバリ頑張り、それから5年間は生涯のことを本に出す、そのように言われていました。
例の 1996年12月17日にリマの在ペルー日本大使公邸で起きた占拠事件の時にはたまたま公邸に呼ばれており、その後12月22日に解放されるまで6日間大使らと一緒に拘束されていたそうです。そして1月3日から夕食の差し入れを開始したそうです。

昨日のPCI

あいかわらず激しい時差ボケに襲われていますが、今朝は何とか6:00AMまで寝ることができました。
昨日はペルー国立心臓センター INCORに朝から行きました。
まずはカンファレンス・ルームで症例のシネを呈示されました。呈示されたのは5例でした。この病院の状況というかレベルというか、それが全く分からない状態です。2例の右冠動脈慢性完全閉塞症例は明らかにPCIの適応でしたのでアクセプトしました。1例はいったいどこを治療するのか分からず拒否しました。1例の多枝症例は、右冠動脈のみ治療することでOKしました。他の二枝に関しては瀰漫性であり、狭窄も50%無いので、治療すれば再狭窄リスクの方が病変進行リスクよりもはるかに高い、と判断しましたので、一枝のみ治療することを決めました。もう一例は先月右冠動脈の90%狭窄を治療しにいき、うまくいかず解離と穿孔のために病変部ぐちゃぐちゃとなり慢性完全閉塞となった症例で、左冠動脈前下行枝にも病変がありました。無理をすれば、まず左冠動脈冠動脈造影をやり、逆行性アプローチの是非を決めてから判断すれば良いのですが、カンファレンスの間に、「どうやらこの病院でのPCIは気を付けた方が良い」と自分で結論しましたので、この症例も拒否しました。冠動脈バイパス手術に回って頂いた方が良い、と判断しました。
そんな訳で合計3例を行うことにしました。前日の病院はPCIのレベルはそこそこだったのですが、患者さん入れ替えが非常に遅く1時間以上かかっていましたが、INCORはそんなことありませんでした。
最初の右冠動脈慢性完全閉塞はTFIで開始、しかしこの時に「あっ、何も無い、ガイドカテも無い」という現実を知らされました。本当に何も無いのです。いざとなれば逆行性アプローチを行うつもりで、両側大腿動脈から入ったのですが、まずは圧ラインを2チャンネル取れないのです。マシンはシーメンスのArtisが貼っていて問題無いのですが、運用に大きな問題あり、でした。スタッフの練度も低く、このような状況のカテ室です、孤立無援状態です。全く信用できません。体の大きな女医さんが助手について下さったのですが、この方は院内で大きな力を持っているようで、スタッフ皆がビビッていました。しかしながら、その手技はこれが鎌倉や札幌だったらば、1時間とカテ室には留まらせない、そんなレベルでした。基礎的訓練が全くできていません。三方活栓の向きがわからず何回も空気を吸い込むし、折角慢性完全閉塞を通過させたワイヤーを抜くし、折角困難の末に挿入したガイドカテを抜くし、とにかく邪魔しかしないのです。おまけに体が大きいので、立つ位置も僕の邪魔するのです。
何とその方が(結局最後まで自己紹介も無いので、この先生がじの人かも分からないのです、院内では自己紹介の必要が無い存在なのでしょう)、3例全ての助手をされたのです。辛かったなあ
2例の右冠動脈慢性完全閉塞は簡単に順行性でガイドワイヤーが通過し、数少ない薬剤溶出性ステント選択から、中国製薬剤溶出性ステントを植え込みました。さらに、左冠動脈に対しても治療しました。患者さんおよびご家族はものすごく喜んでおられました。何でも国立病院なので治療費はタダということでした。


最後の右冠動脈90%病変はTRIで入りました。しかし、右冠動脈が異所性なので大変でした。何とかfloatingでガイドワイヤーを通過させ、薬剤溶出性ステントを植えました。全ての手技終了は13:00頃でしたので、すぐに退散し、ペルー料理レストランに直行したのです。うーん メニューの写真は一皿たくさんあり、おいしそうなのですが・・・ このように見本写真というのは上手に作れるのですね
というのが感想です。ただ、紫トウモロコシから作ったジュースというのがかわっていました。まあ普通のジュースですが。何でもトウモロコシ、イモ、そして唐辛子の発症の地はペルーのアンデス山脈なのだそうです。それから世界中に広まったということです。日本の薩摩芋ももともとはペルーから来たのを改良し、鷹の爪も同様だということです。口直しに、日本料理Fujiに行き、ギリギリセーフで、ニラ味噌ラーメンを食べました。なかなかおいしいのです。
ホテルに戻り時差ボケで意識消失、それから夜はMesa18というペルーで一番のレストランに行きました。これについては次回紹介しましょう。刺激的な夜だったのです。兄弟の杯を交わしました。

時代は中南米か

僕は中国 北京に1991年12月に初めて降り立ち、そのまま北京医科大学第一病院(現在の北京大学)そして、北京市循環器病センタへ安貞病院、さらに、中華人民共和国国家循環器病センター阜外病院でPCIを行いました。この時の辛い、日本語を全く離せない環境での数日間、それが僕の島国の中に閉ざされていた眼を国際的なものにしてくれたのです。このことには、ものすごく感謝しています。そしてまた、僕のそれからの中国での努力が今の中国の冠動脈インターベンションの発展に大きく寄与してきた、それも中国で循環器に関わる全ての先生が合意している事実であり、僕もそのように思っています。
多分僕の活動が無ければ、中国でのPCIの発展は少なくとも5年間は遅れいたことでしょう。
そのように僕の人生は中国との関わりが大きいのです。僕は基本的に日本国を愛する愛国主義者です。今、このように僕が何年間も努力して培ってきた日中間の関係が無残にも崩れ去りつつあります。
正直僕もこの問題に対する現実的で有効な解決策は持ち合わせていません。
無力な僕にしてみれば、このような自分では解決できない現実からは逃避するしかありません。それが仕事である政治家や外交官ではないのですから・・・
という訳で、僕にとってこれまで20年間注いできた中国あるいはアジアへのエネルギーを中南米に注ぎたいと思います。それが翻って日本の国益にも合致すると信じています。そんなことをこのリマで強く確信しました。

昨日のPCI

何時間もかかってペルーのリマに入ったのは一昨日真夜中でした これで中南米の諸国でその国の首都に入ったのは、1999年に初めて訪れてからの順番で サンパウロ、サンチャゴ、ブエノスアイレス、メキシコシティー、ハバナ、ボゴタそして今回のリマと7番目です。ハバナ以外の都市は全て激しい渋滞であり、かつてのバンコクのようです。
リマに行く前は、何となく小さな街だろうと思っていたのですが、来てみると大都会です。しかし、極端な高層ビルはそれほど無く、低層の建物が多く、何となく落ち着いた街並みでした。ペルーにはブラジルよりも数年早く日本人が移住したということですので、日系人も多い、ということですが、サンパウロと異なり街中では日系人らしい方々にはお会いできませんでした。リマには有名な日本食レストランが三軒あります。「TOSHIRO」「FUJI」そして「ICHIBAN」です。TOSHIROというのが一番人気でリマ最古の日本食レストラン、ということですが、僕からすると今一つ、という感じでした。FUJIは格式高いような印象です。一番良かったのはICHIBANです。メニューにはもちろん日本語がありますし、全て写真付きというのも嬉しいものです。そして、メニュー内容には日本の「メシ屋」で食べるようなものもあり、親しみが湧きます。また、その中の三点に関しては、キャッチフレーズが付いていて思わず注文したくなるのです。味噌ラーメンには「店を支えたラーメン」、「歴代総理が認めた逸品」というのが、一番風カルパッチョに、そして宮様弁当には、「宮様ご接待記念弁当」という説明文がついているのです。


昨日は早朝にINCORに行きました。INCORというのはスペイン語で国立心臓センターという意味です。病院は2年前に新築されたそうで、とても綺麗な病院でした。入り口の警備は非常に厳しく、パソコンやカメラなど全て登録させられたのです。入り口のみならず、各階にはたくさんの警備の人が立っています。やはり20年前にペルーを覆っていた反政府軍によるテロの嵐、その記憶が残っているということです。もっとも、私達からすれば、街は安全で静かな感じで、こんな街にテロが吹き荒れていたなんて信じられません。そのような印象は、ボゴタに行った時にも感じました。でも実際にはその歴史は事実であり、現実世界の厳しさ、というものを思い知ります。日本人駐在員に対する自動車の防弾車普及率は70%ということです。食事を一緒にさせて頂いたブリジストンの中南米唯一の駐在員の方とお話していたらば、何とその前日夜も、ペルー人社員3名がレストランで食事をして、自家用車に三名で乗り込もうとしたところを三名の男に銃をつきつけられ、顔を殴られ、お金でなく、パソコンと書類を強奪されたそうです。こんなんではいくら防弾車があっても役に立ちませんね。ブリジストンは直径4Mにも達する鉱山用トラックのタイヤをたくさん販売しているそうです。日本人一人で何とこの地域で年間100億円の売り上げがあるらしいのです。ものすごく頑張っている日本人っておられるのですね・・
さてさてINCORでは1時間にわたって講堂で講義を行い、それからすぐに Hospital Edgardo Rebagiati Martins というペルー最大の病院に移動しました。この病院もペルー保健省が運営している国立病院であり、大学病院です。建物は巨大でしかも14階建です。その11階が循環器病棟であり、カテ室も一つあり、東芝のマシンが入っていました。
一例目は診断カテから開始しました。右橈骨動脈アプローチで開始しました。患者さんはインディオ系の方でしたが、右腕頭動脈が蛇行し、しかも上行大動脈が短くて、とても難儀しました。何とか造影すると右冠動脈#3の慢性完全閉塞でした。カテの種類も少なく、大変でしたが、そのままPCIに移行したのです。病変をワイヤーでクロスするのは難しくなかったのですが、その後が大変でした。ガイドカテのバック・アップも無く、空中戦のようでした。バルーンが通過せず、幸い持ち合わせていた5Frガイドカテを用いて、5 in 6を行い何とか拡張し、結局 TAXUS Express薬剤溶出性ステントを3本植え込みました。結果は良く、見学に来られていた近隣の先生方もお喜びでした。
ステントの選択も限られ、基本的に薬剤溶出性ステントはTAXUS Expressのみであり、しかも本数も種類も限られていました。
それから1.5時間ぐらいの患者さん入れ替え時間の次に用意されていたのは、右冠動脈近位部の慢性完全閉塞です。一回トライされ不成功だった方で女性の方でした。右冠動脈は入口部からすぐに直角に曲がり頭の方に向かい、そこでまた直角に曲がりすぐに下行する、といういわゆるShephard Crook typeのものであり、しかもその頂上部分で1CMぐらいの慢性完全閉塞なのです。こんなの順行性では絶対に不可能です。最初から逆行性アプローチで入りました。中隔枝通過は非常に難しく、うーん なかなか理解してくれる人は少ないと思いますが、繊細なワイヤーコントロールを行い、またSion BlueとFielder-FCを適宜入れ替えながらやっと通過させました。本当にものすごく難しいテクニックを使ったのです。もちろん右冠動脈の屈曲は逆行性でも同じなので、そう簡単には慢性完全閉塞を通過できません。右冠動脈に順行性ガイドカテを挿入しましたが、御理解頂ける方はなかなかPCIが上手な人だと思いますが、このようなケースではALでバック・アップをとるのが困難です。何故かと言えばあまりバック・アップを強くしようとすれば、容易に右冠動脈入口部から解離を起こしてしまいます。ぎりぎりで右冠動脈に挿入すれば簡単に落ちてしまいます。そんな中でまずは逆行性にワイヤー通過を試みたのですが、案の定柔いワイヤーではまったく通過できません。そこでConquest-Proを90度ぐらいdouble bendingとして、穿通を試みました。何とか穿通され右冠動脈近位部にこの屈曲を越えて通過したので、少しは右冠動脈が伸びた、考えられ、順行性を開始し、何とか通過できました。しかし、バック・アップがとれませんので、なかなか通過できません。何とか1.25mm balloonが通過し、最終的にはこれも3本の薬剤溶出性ステントを植え込み綺麗に仕上がりました。いやあ 正直 最高難度に属する慢性完全閉塞でしたがうまくいって良かったです。
この後また長い入れ替え時間の後、まあその頃にはオネムとなっていましたが、左橈骨動脈アプローチ、これほど僕の不得手はないのですが、その穿刺からやらされました。辛かったなあ、でもうまく行って良かった。その患者さんはLIMA graftしかない患者さんなのですが、そのLIMA graftを造影し、それだけで終了したのです。そしてホテルに戻ったのでした。
本日は昨日行った INCORでPCIをします。最善を尽くします。

心臓病学会座長終了

無事 座長の仕事も終え、今サンダーバードで富山に向かっています。小牧からの便は満席だったので、富山から羽田に戻ります。
電車の中で大きな過ちに気付きました

typedef struct JPEGTAGTBL {
  BYTE *DHT;
  BYTE *SOI;
};

としていたのですが、以下のように変数を宣言すると訳の分からないエラーが出るのです

typedef struct JPEGTAGTBL {
  BYTE *DHT;
  BYTE *SOI;
} *jpegTagTbl;

どういうこと? と考えあぐね、やっとtypedefがいらないことに気付きました バカみたい