昨日のTAVI

昨日は二例のTAVIを行いました 久しぶりの TA (Trans Apical)でした 結構難しい判断が必要な症例でしたがとてもうまいこと行きました 手術室で抜管こそできませんでしたが、数時間後にはICUで抜管され、今朝もお元気です 良かった良かった

OSX YosemiteでのMacBook Proリカバリーに苦労した話

OSXの10.8以降になってから(現在は10.10 Yosemiteですね)は、TimeMachineを用いて、他のマシンに完全にこれまで使っていたマシンと同じ環境を移行することができるようになりました

「同じ環境」とは何を意味するかと言えば、もちろん各種書類、写真、動画、メールなどなど全てのデータだけでなく、それを動かすいかなるプログラムも、そしてパスワードや、各種設定など全てです 要するにOSX Yosemiteの下で動作している全てがそのまま移行可能となったのです

通常マシンを新たに変更した場合、これまで使用していたデータを移し、プログラムを新たにインストールし、パスワードやライセンスの設定を行ったり、とにかく大変な作業が必要ですが、TimeMachineを行えば、これらの面倒な作業をぶっ飛ばして快適に新しいマシンに移行することができるのです

以上は、多分 Appleが言っていることです そして、実際に1.5年前にもMacBook Pro –> MacBook Proに移行した時、これはうまく行き、とても満足しました

そして今回はですが、マシンを立ち上げ、TimeMachineでバックアッブした外付け2TB Diskからのリカバリーを行いました

しかし、しかし、失敗に終わりました あーーーーー どうしようーーーー

すぐにGoogle博士に問い合わせたところ、色々出てきましたねえ 同じように苦労されている方が

そこで、新たなマシンをCMD + Rを押しながら電源Onとして OSX Yosemiteをインターネット経由で Clean Installしました そして、再びTimeMachineからのリカバリーを行いました 今度は自分の約650GBデータのリカバリーに20時間を要しました 途中「後何分」とかいうメッセージが出るのですが、この残り時間が段々と増加していくことに不安を覚えましたが、そのまま続行したのです 「きっと、この残り時刻表示部分にパグがあるけど、本体の rsyncを用いたプログラムは大丈夫だろう」と楽観的に解釈したのです それが功を奏しました 見事にリカバリーに成功したのです

この感激に昨夜は3:00AMまで寝付けませんでしたよ

と言う訳で現在は新たな MacBook Proで快適生活です

苦難の末ようやく復旧

苦難の末ようやく復旧しました 都合48時間費やしました 何の話かと言えば、僕の愛機 MacBook Proがダウン寸前となり、新たに購入した MacBook Pro (現在入手できる最高スペックのもの)に全てのデータを移行する作業に思いの外手間取った、ということです

さて、3/21 (SAT)では、かれこれ2年ぶりとなる北京で、いやいや2週間前にも行ったのですが、その時は会合が目的であり、とんぼ返りだったので、それを除いての話ですが・・・、安貞医院においてライブデモンストレーションを行いました もちろん CIT (China Interventional Therapeutics)という学会での話です もちろん事前には症例について聞かされておらず、14:00からの transmissionに向けて、13:00頃に病院に行ったのです(午前中はみっちりと rolesが入っていました TAVI, TRI) そして、症例を紹介して頂きました

症例は、他院において、不成功に終わった左冠動脈前下行枝の慢性完全閉塞症例であり、慢性完全閉塞は左冠動脈前下行枝近位に存在し、長さ30mm程度で石灰化高度な病変でした

とても順行性には無理と判断し、一本可能性の高い中隔枝を介する Primary Retrograde Approachを選択したのです この戦略は功を奏し、放映開始前の 13:45にはもうワイヤーが慢性完全閉塞をクロスし、順行性ガイディング・カテーテル内に入り、後は型の如く、という流れとなりました しかし、しかし、しかし・・・

何と、Corsairが全く慢性完全閉塞を通過しません このため、Corsairにトルクを加えたのですが、もちろん、順行性ガイディング・カテーテル内でワイヤーに対してバルーンでアンカーをかけているのですが、全く通過しません このため、Corsair抜去し、Finecrossないし、1.0mm balloonを使用しようとしました そこでCorsair抜去を試みたのですが、何と左冠動脈前下行枝の慢性完全閉塞部分に食い込んだまままったくびくともしません ワイヤーを抜去しようとしてもワイヤーもびくともしません これには少し焦りました

順行性に Conquers-Pro12により慢性完全閉塞部分周囲をつっついたのですが、石灰化が強く少しもワイヤーは刺入できません

これは緊急手術か? と思い、思い切って、右冠動脈逆行性ガイディング・カテーテル、Corsair、ガイドワイヤー一体に引っこ抜いたところ、心臓が反転しそうな程強くテンションをかけたところ、ようやくスッポ抜けました すぐに右冠動脈内にガイドワイヤーを挿入し、右冠動脈が閉塞する事態に備え、それからCorsairを点検したところ、先端部分が完全に twist市、ガイドワイヤーも噛みこんでいたのです!!! あああああ 危なかったー

既にこの時点で transmission開始され、座長の Alain Yang先生達皆大興奮でしたよっ 僕は冷静に受け答えしながら、淡々と再び逆行性アプローチを開始し、さっきの中隔枝は既に解離のため通過できないため、そらに末梢に中隔枝をクロスしましたが、この中隔枝は Corsairでも、Finecrossでも通過できず、1.0mm balloonにより中隔枝拡張して通過しました 今度は Finecrossが簡単に慢性完全閉塞を通過し、後は型の如く行い中継時間内の14:45には見事に成功したのです この中継を見ておられた先生方は皆大満足でした

僕も二年ぶりの北京でのライブデモンストレーション手技がうまく行き満足でした この日の夜は これも4年ぶりぐらいの中華海鮮料理「万龍州」でたらふくおいしい魚を食べました

そして、ホテルに戻りなり、MacBook Proの Timemachineによる完全 BackUpに挑みました 時間が足らず戻りの羽田行き飛行機の中でも行いました

そして、羽田に到着するなり銀座の Apple Store直行し、新しい MacBook Proを入手、そして自宅に戻ってから、この新しい MacBook Proに TimeMachineからのリカバリーを試みました

この顛末はまた・・・

一大事!!!

一大事一大事

ブエノスアイレスでの興奮の日々、そして「母をたずねて三千里」を巡る色々な思い 実はこの名作アニメは現在チリで放映され、誰でも知っている物語となっているそうです

ただ、残念ながらアルゼンチンの方々は知りません

ブエノスアイレスでの慌ただしい日々を経て、水曜日深夜の便でサンパウロ経由、ドーハ、そしてドーハから成田に到着し、今成田から北京に向かう飛行機を待ちラウンジにいます

それより何よりプログのuploadもままなりません なぜかと言えば、僕の MacBook Proが死にかかっているからです 早急に最新の backupをとり、何時駄目になっても良いようにせねばなりません 日曜日羽田に帰国してから Apple Storeに直行し、新しい MacBook Proを購入し、日曜日の夜にリカバーするつもりです

Bahia Blanca到着

前回9月の JICA programでアルゼンチンから研修に来られた中の一人、Alejandro(アレハンドロ)先生の住んでおられる Bahia Blanca (バイアブランカ)に夕方の便で飛んできました

この街は、天然の良港 港町として栄え、現在ではアルゼンチンの最大の輸出港の一つです ブエノスアイレスから南極に向かって 620Kmぐらいの海岸線に位置し、現在の人口は 40万人で急速に人口増加しています この40万人に対して、アレハンドロ先生を含め、Interventional Cardiologistsは全部で5名しかおらず、その5名でカバーしているのだそうです

バイアブランカは、僕が大阪大学医学部を卒業し、医師として働き始めて間がない 1976年一年間に放映された名作アニメ「母をたずねて三千里」の主要な舞台の一つです このアニメは確か日曜日の午前中に放映され、僕も随分と見て涙しました

その舞台の一つ(ブエノスアイレスも舞台の一つです)を訪問できたのはそれだけでも夢のようです

さてBahia = 海岸、Blanca = 白ですので、白い海岸という言葉の通り、ここから100Kmぐらいのところには美しいビーチが広がっているそうです

あっ、これからアレハンドロ先生のご自宅にディナーに呼びれていますので、行きます

今度試したい秘密のレシピ

さて、Rubaiyatで出てきたものに、もとはフランス料理だということですが、ポテトチップに似てはいるのですが、中に空間があるポテトのフライが出てきました 何でもフルーレとかいうそうです

その作り方をWaiterから聞き出したのです

どうも、Andes Potatoですから、日本で言えばサツマイモでしょうね それを短軸で厚さ 2mmにスライスし、まず冷凍庫で凍らせます

そして、それを 38度のオイルで5分間ぐらい加熱し、それから200度ぐらいの高温オイルでカラッと数秒間揚げるのだそうです

そうするとスライスの中心部で水分が凍ったものが、一気に蒸発し、スライスの中心部が空洞となるのです

とは言うものの何回やってもうまくいかないもので、テクニックが必要だそうです

慌ただしい一日

昨日は 8:30AMにホテルを出発し、Santa Cruz病院に向かいました この病院を訪問するのは 1999年、2007年、2008年に続いて四回目でした

Santa Cruz Hospital
Santa Cruz Hospital

この病院は日系移民がお金を出し合って、サンパウロ市(日本語では”聖市”と呼びます)の中心部に75年前に設立した病院です 第二次大戦中は、敵国病院としてブラジル政府に接収され、ようやく1990年に返還されて現在の型となっています しかし、長いこと経営難に喘ぎ、現在でも多額の借金を抱えているそうです

東芝マシン
東芝マシン

1999年にライブデモンストレーションで訪問した時には既に古くなっていた東芝製のシネが、2008年にライブデモンストレーションを行った時にも同じマシンでしたが、流石に1.5年前に最新型の東芝マシンに代わっていました

今回は手技を行わず、在サンパウロ日本国総領事館坪井領事、JICAサンパウロ駐在遠藤次長などと一緒に、サンタ・クルス病院が今後どのように発展していくかについて議論をしました

昼食は、「新すし」で辛し味噌ラーメンを食べましたが、まあまあうーん という味でしたね

新すし 辛味噌ラーメン
新すし 辛味噌ラーメン

その後 15:00より国際空港の近くにある日伯友好病院を訪問しました ここはサンパウロ日伯援護協会が開設している総合病院であり、黒字の病院でした ここでも遠藤次長を交え、今後の運営について議論をしました

サンパウロ日伯援護協会 日伯友好病院
サンパウロ日伯援護協会 日伯友好病院

この病院ではマシンはSiemens Artis Zでした

Siemens Machine
Siemens Machine

サンパウロで経皮的冠動脈インターベンションを行っている病院のほとんどを訪問しているつもりになっていましたが、実は未だ知らない病院もある、ということを知りました

さて、夕食はブラジル流ステーキ・ハウスである Rubaiyatで、JICA projectで鎌倉と札幌を9月に訪れた我が生徒達とその後の成果発表および会食をしました

Rubayatの 960gステーキ
Rubaiyatの 960gステーキ

流石にブラジル 何と 960gのステーキがありました 当然数名がかりで食べるのですが食べきれたものではありませんね

時差ボケでサンパウロ

結局羽田空港を飛び立ってから 29時間かけて サンパウロ国際空港到着、それは今までで一番はやい記録のように思います

サンパウロを初めて訪れたのは 1999年のことでした 当時一人飛び立ち、未だJAL直行便というのが存在し、まずロサンゼルスに一旦おり、狭い部屋に transitの間押し込められ、それから再びサンパウロに飛び立っていました ジャンボ・ジェットでした

その当時は32時間ぐらいかかっていたと思います 空港にはその時サンパウロ日本人会の方々が出迎えて下さり、到着するなりそのまま国内線でリオデジャネイに連れていかれ、例のキリスト像など観光し、その日の夜にサンパウロに戻り、日本人会の歓迎パーティーがありました

キリスト像
キリスト像
有江先生、日本人会とのパーティー
有江先生、日本人会とのパーティー

そして、翌日は朝から日系病院のサンタ・クルス病院でブラジル中の Intervetional Cardiologistsを50名ぐらい集め、一日ライブデモンストレーションをしました これがブラジルでのTRIのお披露目だったのです 合計5例ぐらいしたと思います

ライブデモンストレーション手技
ライブデモンストレーション手技

以前も記したことがありますが、当時ブラジルにおける選択的冠動脈造影および、治療の父であられた日系二世の有江先生がご存命であり、僕の助手を務めて頂きました そして、その有江先生に、終了した後、「僕は今まで先生程 手の早い医師は見たことない」と言われたのです この言葉は今も僕の記念碑です

何しろ有江先生はあの Mason Sonesの一番弟子であり、そこ(Cleveland Clinic)で学んだ技術をブラジル中に広めた偉人であり、抜群のテクニックの持ち主だったのです

今回はそのサンタ・クルス病院を本日三度目ですが訪問します 二回目の訪問は 2008年の日伯友好移民100周年記念行事でサンタ・クルス病院からライブデモンストレーションを飛ばした時のことでした

サンタ・クルス病院の後、日伯友好病院を訪問します 今回のサンパウロでは経皮的冠動脈インターベンション手技はせず、今後のブラジル支援についての話し合いなのです それと勿論、ブラジルからの若手医師に対するJICAを通じた指導・教育の成果確認のために訪問しました

とは言うものの、やはり激しい時差ボケで 昨夜は 10:30PM頃就眠しましたが、やはり 3:00AMには覚醒 そして、Pythonの勉強です ここまで来ました

 

import numpy as np 
size = 200 
iterations = 100 
def mandelbrot_python(m, size, iterations):
    for i in range(size):
        for j in range(size):
            c = -2 + 3./size*j + 1j*(1.5-3./size*i)
            z = 0
            for n in range(iterations):
                if np.abs(z) <= 10:
                    z = z*z +c
                    m[i, j] = n
                else:
                    break

m = np.zeros((size, size))
mandelbrot_python(m, size, iterations)
import matplotlib.pyplot as plt
%matplotlib inline
plt.imshow(np.log(m), cmap=plt.cm.hot)
plt.xticks([]); plt.yticks([])

この Pythonコードで出力されるのは何とこれです

mandelbrot
mandelbrot

この図形は言わずと知れた有名なマンデルブロー図形であり、自然界の図形をそのまま模した無限繰り返し図形なのです

ちなみに、僕のMacBook Proでこの図形をPythonで描かせたところ、何と 2.3秒で描き上げてしまいました これはPythonが並列計算を行い、CPUの最高速度で演算するからなのです

いやはや凄い世界に入りつつありますね

 

ドーハ到着

快適な飛行 13時間余りの後、ドーハ国際空港到着 ここで2時間近くのトランジットの後、サンパウロに飛びます ここから再び13時間余りです

それにしても、このルート初めて使用しましたが、JALのマイレージもつくしとても快適です 惜しむらくは日本語の映画がほとんど無い点でしょうか

しかし、その分 Kindleで随分と Python Data Analysisの勉強を出来ました

どうも疲れています

何でしょうか 睡眠が不足しています 月曜日はたくさんの外来患者さんを診療し、終わったのが 16:30くらいでしたので、 実はその前に一人心臓カテーテル検査行い、8:15AMよりから外来診療を初めたので、ぶっ続けに9時間近く外来診療をしていたことになります もちろんこの間一切の休憩無しなのであり、しかも患者さんの訴えを読み取るために神経をすり減らしているのです

終わった時には疲れきっています でもいくつかの仕事をこなしそれから食事に行きました

そして、昨日のTAVI 例によって夜中覚醒してしまいました TAVI終了してから、経皮的冠動脈インターベンションをして、そして外来診療して、それで終わりでなくその後、治験関係の話し合いを幾つかこなし、これも日本の今後の医療を決めることになるので緊張を強いられます

そして本日水曜日は、またまた激しい外来診療を朝から行い、今度は終了したのは 3:00PMぐらい すっかり疲れきり、カテ操作室でしばし椅子の上で意識消失発作でした

そして、9:30PMには自宅を出て 現在羽田空港国際線ラウンジで、ドーハ行き飛行機を待っています ドーハ経由でそのままサンパウロに入り、お仕事

それからブエノスアイレスに移動しお仕事 それからドーハ経由で成田に金曜日に戻り、そのまま北京行き最終便に搭乗して北京へ移動です

最終的に日本に帰国するのは9/22の日曜日 15年ぶりぐらいの長い出張です その内元気になるかな