淡々と時は流れ

パリ行き夜行便に乗り、パリ空港に到着したのは10月29日の 5:00AMでした

それからタクシーで パリ南心臓病センターに直行したのですが、予想よりも高速道路はガラガラであり、 6:00AMには病院に到着してしまいました 病院の玄関は開いていましたが、何しろどうしようもなく 林田先生と待ちぼうけしたのです

7:00AM前になるとカテ室職員も集まり、何とかコーヒーを飲みこれからおこる興奮すべき日々に心を馳せたのです

そして、8:00AMよる第一例目のTAVI これは Thierry先生のグループが我々のために患者さんの予定を合わせてくださったのですが、その患者さんの SAPIEN-3を用いた治療を行わせて頂きました

とにかく当方はS3に関しては初心者というか、全く経験が無い者でしたが、Thierry先生の素晴らしい Proctoringにより素晴らしいできで植えこみを行うことができました

引き続いて林田先生も S3の最初の患者さんの経験をされました

何しろ羽田空港からパリに飛んできてそのまま病院に行き S3の実地トレーニングを受けたことになります 流石に僕らは疲れており、この二症例が終了してから、例の「来々軒」に直行し、来々軒に到着したのは 12:30頃になっていました 来々軒は満席であり 20分ぐらい待ってからようやく席に座ることができたのです

ああ ああ 何て何ておいしいのでしょう 多分どんなフランス料理よりも来々軒の和風中華料理はおいしいのです

そしてようやくホテルにチェックインして、そして2時間ぐらいの至福の睡眠をとったのです

光藤 和明先生の思い出2

最初にお会いした時より盟友でした 二人ともその研究会でいわゆる大物達にぼろくそに攻撃されたのです 僕なんかは、「君は何処でカテーテルを習ったんだね? 何処の馬の骨かね?」とまで言われました 明瞭に覚えているのですそのことは

ただ多分32年前、1983年のことだったのです だから自分では明瞭に覚えているつもりでも何が何だか分からなくなっている部分もあります それは光藤和明先生や僕が何の発表をしたのか? それが不明確となっているのです

僕の発表は多分、右冠動脈の慢性完全閉塞に対して経皮的冠動脈インターベンションを行い、開通させた、そのような発表だったように思うのです 当時 ACS (現在の Abbott、その前身は Guidantそしてその前身が ACSであり、当時はゲッツ・ブラザーズが日本国内の販売などを扱っていました)が世の中に出していた Hartzler-PDTというバルーンがあったのですが、これを用いて右冠動脈の慢性完全閉塞を開通させた 多分日本国内では初めて慢性完全閉塞に対して経皮的冠動脈インターベンションを行った症例だったと思います

ちなみに PDTというのは Pressure, Dye, Torqueの頭文字であり、何というか特殊な構造をしたバルーン・システムであり、基本的には OTW balloonなのですが、シャフトが 0.010、先端レントゲン不透過部分が 0.014あるいは 0.012だったかも知れません という特殊なワイヤーとセットで使用するシステムだったのです 従って OTWと言ってもワイヤーをバルーンから引き抜くことはできません 何故 0.010としているかと言えば、OTWのワイヤー・ルーメンは 0.004以上あり、そこの隙間からバルーン先端圧を測定することができ、しかも先端から頑張れば造影剤を注入することができる、という代物でした これ故 Hartzler-PDTという名前がつけられたのです まあ考えてみれば決して慢性完全閉塞向きのバルーンではありませんよね それでも天下の Hartzler先生が開発に携わられたのですから良い物に決まっています!!(実際はそうではなかった)

要するにその発表を行ったところ、前列に陣取っていた大物 Y先生、そしてその取り巻きの今は大阪で開業し、経皮的冠動脈インターベンションで簡単に治療できるような患者さんも未だにある東京の心臓外科医に冠動脈バイパス手術目的で紹介し、閉塞したバイパス血管で戻ってくる そんなことを10年ぐらい前までは続けていた大阪K病院、これは京都の某公立有名大学医学部の御三家病院と呼ばれていた病院ですが、その病院に勤務していた名前忘れた先生の二人で僕を攻撃というか罵倒したのです その時に延吉正清先生が一人弁護して下さったのです そして、それが終わり階段教室の横の廊下に出たところ、僕の前に同様に罵倒された光藤和明先生がおられ、お互いに「ひどいね」と言い合い、慰めました それが僕にとって光藤和明先生の記憶に残る最初の思い出です

光藤 和明先生の思い出

光藤 和明と初めてお会いしたのは大阪で開催された研究会ででした その研究会は「冠動脈造影研究会」というもので、当時虎の門病院におられた Y先生、この先生は Cleaveland Clinic留学中に、選択的冠動脈造影開祖である Mason Sones先生に師事され、多分日本人として最初に選択的冠動脈造影を行われ、その後日本に帰国され、虎の門病院で選択的冠動脈造影を初められた先生ですか、その先生およびその部下の虎の門病院グループの先生方と、そして多分 延吉 正清先生らが初められた研究会でした

前に向かって

昨日の衝撃から立ち直れません

しかし、世の中の現実に対応せねばなりません 本日は二名の患者さんをTAVIにより治療させて頂きました お二人とも完璧な出来で終了しました

医者として目の前の現実に対処していかねばなりません 強くならねばなりません

衝撃

昨日は予定されていた外来診療を患者さんには申し訳無かったのですが、早々に打ち切り、倉敷まで出かけてきました

僕の親友であり、同士であり、ライバルであったある著明な先生が急逝されたのです 電話で連絡受けても実感が無く、そんなあ と思っていました

しかし、実際に旅立たれた姿を目にして、僕は崩れてしまいました

1983年からお付き合いさせて頂いてきました 色々なことで意見を戦わせ、また共通の目標のために頑張ってきました

何時までたっても、追いつけない存在でもありました 何時も目標にしてきました

残念です、しかし現実なのです 僕もいずれ行くのでその時までしっかり待っていて欲しい

TRI 20周年

先週土曜日 10/17には東京でTRI 20周年と銘打って有志のみの集まりが開催されました

1995年 10月12日に当院で僕の手により日本第1例目のTRI(経橈骨動脈的冠動脈インターベンション)が行われてから 20年経過したことを Radialistが集まり皆で祝いました 皆僕のことを祝って下さりました それは嬉しいのですが、何だか嬉しいのみでは過去に取り残されそうで恐ろしいのです

まあ、とは言ってもお祝いを皆でしてくださったのですから感謝感激というところです ありがとうございました

これからも経橈骨動脈的冠動脈インターベンションの普及に務めて行きたいと思います

d3.js

ここ一ヶ月ぐらい d3.jsという Javascript Libraryというか Frameworkを勉強しています この歳で新たなものを勉強・習得するには大変な努力が必要です 何しろ今までと全く違う世界を生きる、ということに等しいからです

しかも d3.jsはとても癖がある Frameworkなのです それでも頑張っているのは、このライブラリは今後ものすごく発展しそうだからなのです 何故 d3.jsと呼ばれるか、と言えば 後ろの .jsというのはこれが Javascriptで書かれたプログラムであることを示します 要するに OSが認識できる拡張子なのです

そして d3というのは Data-Driven Documentsの頭3つをとったものらしいのです 何をするのか、と言えば ファイルやサーバーからデータを読み込み、それに応じてブラウザ上に動的にグラフを描く、そのようなソフトウェアなのです

これまでと全く違う世界に入るためには、要するに馴染まなければならないのです そのためには数多くプログラムを眺め、書き、理解しようとせねばなりません なかなか前に進まないのですが頑張るしかないでしょう

各種の問題

今回の TCT 2015ですが、開催場所が San Farnciscoという誰しも訪れたい場所でしたが、期待した参加者は集まらなかった、と思います

さて、世界からの参加者はどうでも良いのですが、日本からの参加者はどうだったのでしょう? もちろん未だ公式発表はありませんので、それについては分かりません ただ、印象としては随分と減った感じがあります

日本からの参加者が減少した理由、もちろんここではそのような印象が正して、と認識しての話ですが、それはいくつか考えられます

  • 既に TCTには魅力を感じない
  • 従って自費で参加するにはその価値が無い
  • 参加を援助してくれるスポンサーが減った

これぐらいの理由をlist upできます

さて、最初の理由ですが、これは僕も感じますし、主催者である CRF groupつまり、具体的には Martin Leonや Roxana Mehranと話をしていも彼らも痛切に自覚しているのです そもそも Internet発展の中でこのような形式の会合が必要なのか? あるいは成り立つのか? という本質的な問題に誰しも回答を持ちあわせていなのです

次の「価値」の問題ですが、これは深刻です、実際 TCTに参加せば世界の中で一番早く大切な情報を入手できる、ということは既にありません 従って、価値はどんどん低下しているのです

でも実際には最後の問題点が大きいと思います、今回も日本人の参加者をお見受けしましたが、彼らのほとんどは何の発表も無く、ただ参加するだけです それはそれで勉強であり否定はしません ただ、多くは途中から遊びに行っているだけでしょう 場合によってはサポートしているメーカーがその遊びの補助をもしているでしょう

こんなのは減ってしかるべきです

まあ色々と言えばきりがありませんが、僕は怒っています、「価「お前ら、もう少し真面目に生きろよっ!」

TCT2015での予定を全て終え

今年の TCT2015には 10月11日日曜日の夕方に San Franciscoに入りました そしてそのまま会場に向かい、翌日の発表の打ち合わせと、スライドの最終点検をしました それから軽く夕食を摂り、 22:00頃には眠りについたのです

しかし、やはり翌日の発表に緊張し、0:30AMには覚醒してしまい、どう努力しても再び寝付くことはできませんでした

そして月曜日の 6:30AMには会場に入り、Faculty Lounge横の Speaker Roomで最終的なスライドの uploadを行ったのです

最初の dutyは自身の発表の Press Releaseでした その会場には記者が何人も押しかけ、その数時間後にされる発表の内容を事前に確認し、すぐに全米に向けて配信できるように準備されていました また質問もされました

そして 11:00-12:00は Main Area壇上の一人となり、11:42 – 11:52の10分間での Main Arenaでの発表となりました これでTCT Main Arenaでの発表は三回目、ということになります

Main Arena Presentation
Main Arena Presentation

今回の発表は苦労の末中国を舞台に real worldでの TRI vs TFIを調べた DRAGON trialの発表でした

Main Arenaには 1,000人を軽く超える聴衆が立ち見で集まっているのです そこでの発表、というのはやはり緊張しますし、責任も大きいのです

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発表はまずまずの出来でした

そして、それに引き続き、TCT Radioでの数名での Talk Showを30分間やったのです 司会をされたのは、Roxana Mehran先生と、Michael Jaff先生がされ、僕以外にアメリカ人の医師2名、そしてイタリア人医師1名が参加されました 皆さん方 native English speakerであり、色々な話題について早口で喋られます しかし、その頃には耳も慣れ、全く問題なく話題についていき、そして自分からも随分と話をしました

アメリカでは現在TRI普及率が 15-20%と一般的にはされていますが、驚いたことには、2名のアメリカの医師は、それぞれの施設でのTRI率は 80%以上である、と発言されたのです 意外とアメリカでもTRIが普及しているのだ、と知り 驚きました

このTCT Radioの役割は 12:00-13:00でした、そして、13:15-13:25には別の発表、Century II trial 2 years resultの発表をしました

Century II
Century II

そして1 4:00- 15:00には今度は日本語での TCT Radioでした 前半は僕が司会役を行いました とはいうものの次の発表を控えていましたので、14:30にはその場を離れ、そして最後の Meet the Trialistといううセッションで発表をしたのです

夜はある革新的メーカーと夕食をとりながら今後の戦略の相談をしたのです

そして火曜日、そして本日と色々な meetingをこなし今に至ります もう暫くしたならば夕食を San Franciscoの街中でとり、そして空港に向かいます 飛行機は深夜 1:30AM発であり、結局金曜日の 4:30AM頃に羽田到着の予定です

非常に忙しく、また緊張の連続でした 何時までこんな生活続けられるでしょうかね?

ClinicalTrials.gov

大連を 13:10発頃の全日空便で出発し、成田到着は 17:00頃になっていました それから大森の寿司屋さんに行き、そこで 3時間ぐらい時間を潰し、そして現在は羽田空港国際線ラウンジにいます

これから JALサンフランシスコ便でアメリカに飛ぶのです

それにしても今回 ClinicalTrials.govにアクセスして、これまでの当方で行っている臨床試験の事前公開登録情報にアクセスしました

その結果、驚くべきことにほとんど updateされていなことがわかったのです これはまずい 至急 updateせねなばなりません