昨日のPCI

何時間もかかってペルーのリマに入ったのは一昨日真夜中でした これで中南米の諸国でその国の首都に入ったのは、1999年に初めて訪れてからの順番で サンパウロ、サンチャゴ、ブエノスアイレス、メキシコシティー、ハバナ、ボゴタそして今回のリマと7番目です。ハバナ以外の都市は全て激しい渋滞であり、かつてのバンコクのようです。
リマに行く前は、何となく小さな街だろうと思っていたのですが、来てみると大都会です。しかし、極端な高層ビルはそれほど無く、低層の建物が多く、何となく落ち着いた街並みでした。ペルーにはブラジルよりも数年早く日本人が移住したということですので、日系人も多い、ということですが、サンパウロと異なり街中では日系人らしい方々にはお会いできませんでした。リマには有名な日本食レストランが三軒あります。「TOSHIRO」「FUJI」そして「ICHIBAN」です。TOSHIROというのが一番人気でリマ最古の日本食レストラン、ということですが、僕からすると今一つ、という感じでした。FUJIは格式高いような印象です。一番良かったのはICHIBANです。メニューにはもちろん日本語がありますし、全て写真付きというのも嬉しいものです。そして、メニュー内容には日本の「メシ屋」で食べるようなものもあり、親しみが湧きます。また、その中の三点に関しては、キャッチフレーズが付いていて思わず注文したくなるのです。味噌ラーメンには「店を支えたラーメン」、「歴代総理が認めた逸品」というのが、一番風カルパッチョに、そして宮様弁当には、「宮様ご接待記念弁当」という説明文がついているのです。


昨日は早朝にINCORに行きました。INCORというのはスペイン語で国立心臓センターという意味です。病院は2年前に新築されたそうで、とても綺麗な病院でした。入り口の警備は非常に厳しく、パソコンやカメラなど全て登録させられたのです。入り口のみならず、各階にはたくさんの警備の人が立っています。やはり20年前にペルーを覆っていた反政府軍によるテロの嵐、その記憶が残っているということです。もっとも、私達からすれば、街は安全で静かな感じで、こんな街にテロが吹き荒れていたなんて信じられません。そのような印象は、ボゴタに行った時にも感じました。でも実際にはその歴史は事実であり、現実世界の厳しさ、というものを思い知ります。日本人駐在員に対する自動車の防弾車普及率は70%ということです。食事を一緒にさせて頂いたブリジストンの中南米唯一の駐在員の方とお話していたらば、何とその前日夜も、ペルー人社員3名がレストランで食事をして、自家用車に三名で乗り込もうとしたところを三名の男に銃をつきつけられ、顔を殴られ、お金でなく、パソコンと書類を強奪されたそうです。こんなんではいくら防弾車があっても役に立ちませんね。ブリジストンは直径4Mにも達する鉱山用トラックのタイヤをたくさん販売しているそうです。日本人一人で何とこの地域で年間100億円の売り上げがあるらしいのです。ものすごく頑張っている日本人っておられるのですね・・
さてさてINCORでは1時間にわたって講堂で講義を行い、それからすぐに Hospital Edgardo Rebagiati Martins というペルー最大の病院に移動しました。この病院もペルー保健省が運営している国立病院であり、大学病院です。建物は巨大でしかも14階建です。その11階が循環器病棟であり、カテ室も一つあり、東芝のマシンが入っていました。
一例目は診断カテから開始しました。右橈骨動脈アプローチで開始しました。患者さんはインディオ系の方でしたが、右腕頭動脈が蛇行し、しかも上行大動脈が短くて、とても難儀しました。何とか造影すると右冠動脈#3の慢性完全閉塞でした。カテの種類も少なく、大変でしたが、そのままPCIに移行したのです。病変をワイヤーでクロスするのは難しくなかったのですが、その後が大変でした。ガイドカテのバック・アップも無く、空中戦のようでした。バルーンが通過せず、幸い持ち合わせていた5Frガイドカテを用いて、5 in 6を行い何とか拡張し、結局 TAXUS Express薬剤溶出性ステントを3本植え込みました。結果は良く、見学に来られていた近隣の先生方もお喜びでした。
ステントの選択も限られ、基本的に薬剤溶出性ステントはTAXUS Expressのみであり、しかも本数も種類も限られていました。
それから1.5時間ぐらいの患者さん入れ替え時間の次に用意されていたのは、右冠動脈近位部の慢性完全閉塞です。一回トライされ不成功だった方で女性の方でした。右冠動脈は入口部からすぐに直角に曲がり頭の方に向かい、そこでまた直角に曲がりすぐに下行する、といういわゆるShephard Crook typeのものであり、しかもその頂上部分で1CMぐらいの慢性完全閉塞なのです。こんなの順行性では絶対に不可能です。最初から逆行性アプローチで入りました。中隔枝通過は非常に難しく、うーん なかなか理解してくれる人は少ないと思いますが、繊細なワイヤーコントロールを行い、またSion BlueとFielder-FCを適宜入れ替えながらやっと通過させました。本当にものすごく難しいテクニックを使ったのです。もちろん右冠動脈の屈曲は逆行性でも同じなので、そう簡単には慢性完全閉塞を通過できません。右冠動脈に順行性ガイドカテを挿入しましたが、御理解頂ける方はなかなかPCIが上手な人だと思いますが、このようなケースではALでバック・アップをとるのが困難です。何故かと言えばあまりバック・アップを強くしようとすれば、容易に右冠動脈入口部から解離を起こしてしまいます。ぎりぎりで右冠動脈に挿入すれば簡単に落ちてしまいます。そんな中でまずは逆行性にワイヤー通過を試みたのですが、案の定柔いワイヤーではまったく通過できません。そこでConquest-Proを90度ぐらいdouble bendingとして、穿通を試みました。何とか穿通され右冠動脈近位部にこの屈曲を越えて通過したので、少しは右冠動脈が伸びた、考えられ、順行性を開始し、何とか通過できました。しかし、バック・アップがとれませんので、なかなか通過できません。何とか1.25mm balloonが通過し、最終的にはこれも3本の薬剤溶出性ステントを植え込み綺麗に仕上がりました。いやあ 正直 最高難度に属する慢性完全閉塞でしたがうまくいって良かったです。
この後また長い入れ替え時間の後、まあその頃にはオネムとなっていましたが、左橈骨動脈アプローチ、これほど僕の不得手はないのですが、その穿刺からやらされました。辛かったなあ、でもうまく行って良かった。その患者さんはLIMA graftしかない患者さんなのですが、そのLIMA graftを造影し、それだけで終了したのです。そしてホテルに戻ったのでした。
本日は昨日行った INCORでPCIをします。最善を尽くします。

1988年12月20日の第一症例

本日はある意味記念すべき日でした。湘南鎌倉総合病院が開院したのは、1988年11月01日でした。そして、Philips社製のデジタル・シネ・アンギオ装置 (懐かしい DCIと呼ばれる装置です)が稼働し、第一号の冠動脈造影が行われたのが、12月15日でした。
そして、12月20日に第一号のPCIを行いました。それから24年近くが経過し、現在では累積症例数は20,000例を軽く超えているのです。
そして本日、その記念すべき第一号の患者さんが20年ぶりぐらいに中国より帰国され、再び治療を行いました。それだけの年月、たくさんの患者さん、色々なことが目の前に浮かびます。そして何よりも、PCIの長期的有効性の証明です。以前治療した患者さんが戻って来られる、これは病気の進展に伴い、仕方の無いことです。もとより今回の病変は新たな病変であり、以前の治療の不完全さを意味するものではありません。何よりも以前に治療させて頂いた患者さんがその24年後にも人生を全うされていることに治療した者として大いなる満足を覚えました。
昔治療させて頂いた時には当然の如く7Fr or 8Frのガイディング・カテーテルを用いて経大腿動脈的冠動脈インターベンションによる治療でした。そして単純な風船治療(POBA)による治療でした。そして本日は 5Frのガイディング・カテーテルを用いて 経橈骨動脈的冠動脈インターベンションにより、FFR-guideによって薬剤溶出性ステントが植え込まれたのです。20年間のこの変化、これも感慨深いものがあります。
本日治療した患者さんがこれから先20年後に同様に有意義な人生を送られていることを望みます。その頃には私自身がどうなっているか分からないですが・・

昨日のライブ

韓国全羅南道の道都 光州 (GwangJu)にある全南国立大学 (Chonnam National University)で開催された第10回GICS (GwangJu Interventional Cardiology Symposium)は当然のことながらそのメインはライブデモンストレーションでした。しかしながら、韓国で運用強化が開始された外国人医師による冠動脈インターベンションに対する規制、その事実上最初のテスト・ケースのため僕を含め、外国人医師は手技を行うことができませんでした。

何でも、去年後半から日本人医師が韓国のあちこちで冠動脈インターベンションを行い、その際に日本のメーカーが韓国で認可のとれていない医療機器を持込み、患者さんをPCIにより治療した例が相次ぎ、それに対して何処かの病院でどこかの医療機器代理店が KFDA (Korean Food and Drug Administration)に告発し、規制が強化された、という噂です。

僕は最初にカテ室内に入り、マイクをつけて しかし清潔にはならずに韓国の先生が手技をされる後ろに立ってアドバイスをする、そのような感じでライブデモンストレーション放映が開始されました。もとよりその症例は僕が治療することになっていた症例であり、70歳の男性労作性狭心症患者さんでした。他の病院で造影が為され、左冠動脈回旋枝末梢の慢性完全閉塞と、非常に発達した右冠動脈の慢性完全閉塞が発見されました。その病院で右冠動脈に対するPCIが試みられたのですが、ワイヤー不通過で失敗に終わり、全南国立大学病院に転送となった患者さんです。SPECT (Single Photon Emission Computed Tomography)では右冠動脈領域の虚血が証明されました。

韓国の先生により、両側大腿動脈穿刺で手技が開始され、順行性アプローチで開始となりました。当初、マイクロカテーテルと Fielder Xtreamで入り、次にWhisper-MSそしてMiracle3と変えて行きましたが、ワイヤーは通過しません。その辺りで放映は別のカテ室に変わりました。その時、神様が降りてきました。その神様が術者に乗り移り、ワイヤー先端の形状を変え、再度試み、それでも通過しないと見るや、素早く Conquest-Proに変更され、非常に硬い石灰化したかつ強い線維性組織からなる慢性完全閉塞病変を通過し、通過したと見や、高速回転を加えることにより病変によるワイヤーのトラップ抵抗を低下させながら右冠動脈末梢#4PDに通過させました。

しかしながら神様を持ってしても、病変は非常に硬く、1.0mm balloonでも通過できず、かといって Tornusは認可されておらず、このため 5Fr子カテを用いて再度 1.0mm balloonが試みられましたが、これも全く効果がありませんでした。神様はそこで素早く対側造影 5Frを 7Frに交換し、おもむろに前下行枝からの逆行性アプローチを開始し、素早く逆行性ルートから #4PDに 2.5mm balloonを挿入し、そこで順行性Conqeust-Proをアンカーし、これによって順行性にバルーンを通過させたのです。そして最終的には 2.75mm stentが病変部に入ることまで確認し、そこで神様は去って行きました。そして、再度中継が開始され、この韓国人の患者さんは無事治療が成功したのです。

その間僕は一部始終を見ていましたので、中継カメラに向かってもちろんガウンも手袋もはめてない状態で会場に向かってこれまで神様が行われた手技について解説しました。要点は、限られたデバイスしか無い状況でどうやって局面を打開していくのか?ということでした。

その後、すばやく会場に入り、そして自分の割り当ての講演を行い、そしてすぐに光州空港に向かい、金浦空港経由で羽田に戻りました。自分の体からはホンオとにんにくの匂いが漂っていた筈ですが、自分では臭わないのですよね。