学会の詳細
私は2003年6月5日より7日までモスクワで開催された学会に、招聘演者および術者として参加してきました。学会の名称は"THE FOURTHS MOSCOW'S INTERNATIONAL COURSE ON ENDOVASCULAR SURGERY OF CONGENITAL AND ACQUIRED HEART DISEASES, CORONARY AND VASCULAR PATHOLOGY"という長いものです。直訳すると「先天性および後天性心疾患、冠動脈疾患および血管病変に対する血管内治療に関する第四回モスクワ国際学会」というもっと長たらしいものになります。
結局のところは私の専門領域である狭心症・心筋梗塞に対するPCI(経皮的冠動脈インターベンションのことです。古い言葉ではPTCA:経皮的冠動脈形成術、とも呼ばれます)や僧帽弁狭窄症に対するPTMC(経皮経静脈的僧房弁交連裂開術)などを主な対象とした国際学会なのです。このように学会に対して長たらして名前をつける、というのはいかにもロシア、という国だとは思いませんか?
私はこの学会に去年初めて招聘されました。従いまして今年は二回目の参加ですのでその雰囲気にも随分と慣れ、要領も把握できていました。
学会にはロシア全土のみならず、ウクライナやその他の旧ソビエト連邦の国々から500名くらいの循環器科医師が参加しました。また、アメリカからはGary Mintz先生、オランダからPatrick Serruys先生、イタリアからAntonio Colombo先生、フランスからYves Louvard先生、スイスからUlrich Sigwart先生といったこの世界の超大物の先生達も私同様招聘されて参加されました。その他にもヨーロッパの諸国から何人かの有名な先生方が招聘され、外国からの招聘講師は総勢25名でした。この中でアジアからの招聘医師は私一人でした。

ロシア医学会バコレフ心臓血管センター |
学会はロシア医学会バコレフ心臓血管センター(Bakoulev Heart Institute for Cardiovascular Surgery of Russian Academy of Medical Science)という巨大な病院[写真右]で開催されました。この巨大な病院にはこれまた大きな講堂が一階にあり、9階にある6つの心臓カテーテル検査室とインターネットテレビで結び、PCIなどの手技をライブ中継するとともに、その合間に招聘演者による講義が行われました。
私は初日の5日に3例の困難な症例に対するPCIと二つの演題に対する講義(慢性完全閉塞に対するPCI-そのTips & Tricks、そして急性心筋梗塞に対するPCIとdistal protection)を行い、翌6日にはライブデモンストレーション中継の司会をしました。用いられる言語はロシア語(全く理解できません)と英語です。私は英会話にそれほど堪能ではありません。従って、周りに誰も日本語を話す人がいない環境の中で、私がとても辛い思いをする、と皆様方は思われるかも知れません。しかし、私はそのような環境にこの10数年間何回も置かれましたので、いたって涼しい顔で役割をこなすことができました。私の講義は大きな反響を呼び、その場での質問に答えた後、壇上を降りてからも多くのロシアの先生方から質問と記念写真撮影を受けました。特に若いロシアの先生方は積極的でありロシアの明るい未来の一面を見る思いでした。
会場にはロシア国営テレビはじめ、いくつかのテレビ局が取材に来ていました。私は昨年に続きテレビ局の取材を受けました。[写真左下]
とは言いましても、特にPCIの手技を行うのはなかなか大変です。もちろん意識のあるロシア人の患者さんを実際に治療するのです。当然のことながら医師として患者さんに対して道義的、倫理的および法律的な責任を負うことになります。[写真右下]

取材の様子 |

PCI手技中 |
看護師、放射線技師、そして助手の医者、その全てがロシア人です。幸い多くの人々は英語が堪能であり、意思の疎通には不自由しません。しかし、最大の難点は、我々が持っている手技に関する色々な常識が、彼らの持っている常識とは大きくかけ離れていることです。どちらが良い、どちらが悪い、というのはなかなか難しい問題です。そのような中で、どこまで私自身の自己主張をするべきか、この点に関していつも私は悩みます。
私はそのような場合、どちらかと言えば、自分で身をひきます。そして、「違った常識の中で手技を行うのも私自身にとって勉強になる」と考えるようにしています。
ロシアにおけるPCIの状況
ロシアは巨大な国土を持つ国です。しかし、その割には人口が少なく特に、ロシア国土のほとんどを占めるシベリア地方には何と1,200万人しか住んでいない、ということです。そのため、この地域では労働力に不足しているためもあり、国境を接する中国から一説では100万人を超える不法中国人移住者が住んでいる、ということです。
ロシアにおけるPCIは10年程前から始まり、現在ではロシア全土で年間6,000例程度のPCIが行われているそうです(ちなみに日本では1980年頃から開始され、現在では1,000ぐらいの施設で年間15万例くらいのPCIが行われています)。驚くべきはこれらの症例が全土の1,000の病院で行われているそうです。従いまして各病院の年間平均症例数は6例にしかならないことになります。広い国土の中で病院が点在する状況では仕方無いのかも知れませんが、医師の技術向上という意味では好ましい、とは言えません。それだからこそ今回のような学会が、より必要とされるのだと思います。
ロシアの人から聞いた話ですが、ロシアの深刻な問題のひとつは、苦学して高等教育を卒業した人々に対する給与水準が非常に低い、という点だそうです。例えば大学院博士課程を修了した機械工学技術者の給与が月に100ドルにもならないそうです。物価水準は相対的に決して安いとは言えず、大都会での庶民が住むアパートの家賃は50ドルするそうです。この状況は医者に対しても同様で、医学部を卒業して15年間ぐらい臨床経験を積んだ医師ですら給与は月150ドル程度にしかならないそうです。従って、高等教育を終了した多くの者が、医学博士も含め、そのなるべき本来の仕事に就かず、あるものはドライバーをしたり、あるものは医療関係の外資系企業に勤めたりしています。これはロシアという国家から見れば、今後ボディーブロウのように長い間にわたって大きなダメージを残す知的損失だと思います。このような深刻な問題は社会主義国家の時代には無かったのかも知れません。もっとも社会主義国家の時代には他にもっと多くのもっと深刻な問題があったためにロシアの人々は社会主義を放棄する選択をされたのでしょう。現在ロシアでは数パーセントの大金持ちと、それ以外の貧しい国民が存在するのみで、中間層と呼ばれる人々はほとんど存在しないそうです。大都市部ではコンピューターを始め、多くの電化製品で満たされているものの、農村部には未だに電気もひかれていないそうです。もっとも、幸いなことに状況は徐々に改善しつつあるそうです。
ロシア第二の都市はサンクト・ペテルスブルグです。かつてロシア王朝の首都であった街で、ロシアの文化の中心です。第二次大戦中にはナチス・ドイツ軍が900日間にわたって完全に包囲し、当時250万人ぐらいいた住民のうち100万人が死亡した、ということです。また美しい街並みの80%が完全に破壊されたそうです。しかし今はその街並みは完全に再建され、人口も500万人にまで達しているそうです。ロシア現大統領プーチン氏はこのサンクト・ペテルスブルグ出身です。街が開かれて今年(2003年)は丁度300年目です。これもあり、今年5月終わりには先進国首脳会議(サミット)がこの街で開催されました。今、ロシア政府はこの街に積極的に投資を行い、モスクワとの経済的格差を解消しようとしています。
モスクワという街

クレムリン宮殿と赤の広場 |
モスクワは巨大な街です。社会主義の時代に今の街並みの多くが造られたそうですが、とにかく巨大で重厚な建物が街並みを形作っています。多くの通りもとても広く、初めて訪れる人は皆圧倒されると思います。中心にあるクレムリン宮殿[写真右]と赤の広場もとても美しい姿です。現在、全ロシアの富の80%がモスクワに集中しているそうで、ロシアの政治経済の中心です。住んでいる人は800万人ですが、常に500万人の人々が仕事を求めて訪れているそうです。街は巨大すぎて歩行者には優しくなく、あくまでもアメリカのように車本位にできています。自動車は街に溢れ、交通渋滞と、違法駐車、そして排気ガスに満ちています。街の匂いは30年以上前の排気ガスに満ちていた東京の匂いです。タクシーは走っていますが、英語は全く通ぜず、さらに料金も乗る前に行き先を告げて各自交渉するシステムなので我々旅行者にとっては非常に危険です。従って時間的な制約が厳しい私などはホテルで運転手つきの自動車を頼むしかありませんでした。先の、ロシアが抱える深刻な問題、というのは実はこの時の運転手さんから聞いた話だったのです。
そういった点を別にすればモスクワはすばらしい街です。東京でも考えられないような超高級レストランがありますし、また芸術の最高峰であるボリショイ劇場もあります。もっとも両者とも私は未だ訪れたことはありません。街中には数多くの和食の店があり、また多くの回転寿司があります。何とそこではキャビアの軍艦巻きもあります。ちなみにキャビアの軍艦巻きは二巻で500円程度です。
モスクワに北から入る時、小高い丘を越えねばなりません。かつてモスクワには幾多のロシア正教の教会があったそうです。そして、その丘の上からは夕日で金色のロシア正教のドーム屋根が燦然と輝き、モスクワ全体が黄金の街に見えた、ということです。ナポレオンはこの黄金の街を我が物にしようとしました。しかし、その丘を決して越えることはできませんでした。また、第二次大戦の時にはナチス・ドイツ軍が同様にこの丘を越えようとしました。しかし、やはりこの丘を越えてモスクワに入ることはできませんでした。今、この丘を越えてまっすぐにモスクワに入る片側5車線の大通りがあります。そして、丘の上には戦勝の記念碑が立ち、勝利を記念して戦車や大砲がその大通りに沿って陳列してあります。
モスクワにこれで二回目の滞在ですが、例によってほとんど観光というものをしたことがありませんので、私のモスクワに対する知識とはこの程度のものです。
学会に参加して感じた点
この一年間でモスクワの街は大きく変わりました。街並みのものすごい変化スピードは、北京には及びませんが、それに近いものがあります。この広い国土が本格的に開発されるようになれば、近い将来ロシアは中国に並んで世界の経済に大きな影響を与える国となるでしょう。最近の日経新聞にも欧米の自動車企業が既にロシア国内に工場を建設し、いよいよトヨタもロシアに工場進出することを決定したそうです。ロシアは中国に次ぐ市場として大企業も注目しつつあるようです。今回の学会には世界から超大物の医師が何人も参加されました。皆、非常に忙しいスケジュールの中でこれを実現することはものすごく大変なことです。日本で開催されるいかなる学会においてもこれだけの大物を揃って招聘することは不可能です。どうしてモスクワでそれが可能だったのでしょう。これはモスクワがヨーロッパ主要都市から空路4時間程度しかかからない、という地政学的な利点のみによって可能だった、とは思いません。私はもっと深刻に日本の現状を捉えています。既に日本という国は世界の人々から見て、魅力のある国としては見られていないのではないでしょうか。日本の実体経済は強い、日本はすばらしい国だ、などと何時も同じようなことしか言わないどこかの国の政治家の人々は、今、このように日本が危機に瀕している、ということを分かっていないのでしょうか。
私は、次の世代の日本の人たちのためにも、この愛する祖国日本をもっと世界の人にとって魅力のある国に映るべく、自分でできる限りの努力をしていきたいと思います。
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