11月12日(水曜日)

ガソリン給油所

お墓 |
チムレ病院の皆と食事をとった後、釜山市内のロッテ・ホテルに宿泊しました。そして、この日は6:00amにホテルを出発し、タクシーで陸路4時間かけてチョンジュ(Jeonju: 全州)に向かいました。
韓国国内は高速道路網が発達しています。しかし、釜山とチョンジュの間には直行する高速道路網はなく、高速道路のみで行こうとするならば、一旦西の光州に出る必要があります。これは、ものすごく遠回りになりますので、この日は高速道路を途中で降りて、その後一般道を2時間近く走り、やっとチョンジュに辿り着きました。この一般道の途中は韓国の昔ながらの田舎の景色が残っており、トイレに立ち寄ったガソリン給油所[左写真]ものんびりしており、その道路を挟んだ向かい側の小さな丘には土葬によるお墓[右写真]がありました。
チョンジュはチョンラ(全羅)道北部、チョンラ・プク道、あるいは略してチョンプク(全北)道最大の都市です。人口は50万人余り。歴史的には李朝王朝始祖である李成桂の出身地であり、非常に歴史の古い都市です。このため、この都市には多くの遺跡が存在するそうです。この都市で開院以来105年の歴史を誇るチョンジュ最古の病院がエス病院です[下写真]。

エス病院

リュー(Ryu CheonYeon: 柳 済英)先生(左)と |
エス病院のエスというのは正確には「ィエス」という発音であり、「イエス・キリスト」のことです。英語名では、俗称Jeonju Christian Hospitalであり、正式英語名はPresbyterian Medical Centerとなります。Presbyterianというのは辞書によれば、キリスト教の中の「長老派」ということだそうです。何れにしても105年の昔に、米国から韓国に布教に来られた長老派教会の人々が興された病院です。初代の院長先生は米国人女性であり、このチョンジュで韓国人男性と結婚されたそうです。現在の院長先生はユー(Yoo: 兪)先生です。
この病院が心カテ室を開いたのは2002年9月16日のことです。その時に心臓カテーテル検査を立ち上げたのが、リュー(Ryu CheonYeon: 柳 済英)先生[左下写真]です。
彼は、これまた100年以上の歴史を誇り、以前は日本からたくさんの教授が就任していたクワンジュ(Gwangju: 光州)にあるチョンラ道第一の名門国立大学チョンナム(全南)大学医学部においてジョン(Jeong MyungHo: 丁 明鎬)先生の下でトレーニングされていました。リュー先生の成績は、皆の中でトップであり、チョン先生はリュー先生を大学に残したかったのですが、リュー先生ご自身が、「新しく心カテ室を立ち上げる仕事をしたい」と、強く希望されたため、このエス病院に赴任されました。
当日は12例の症例が用意されており、その中の三例がPCIとなりました。この三例はリュー先生が一度PCIをトライされましたが、うまくいかなかった症例でした。最初の症例は左冠動脈前下行枝近位部からの慢性完全閉塞でしたが、TFIにより7Fr EBUを挿入し、ExcelsiorでサポートしながらConquestで病変をクロスすることに成功しました。しかし、1.5mm balloon (Hayate, Maverick)は通過せず、このため鈍角枝に2.0mm balloonでアンカーをかけましたが、それでも通過しませんでした。仕方がないので、日本より持ち込んだAthlete Magic 6gにより先のConquestにパラレルにガイドワイヤーを挿入して病変部の軟化を試みましたが、それでもバルーンは通過しませんでした。結局この症例は断念しました。
次の症例は、80歳の女性で、高度に石灰化した左冠動脈前下行枝中部にある90%狭窄がターゲットでした。左冠動脈前下行枝は左主幹部より90度以上の鋭角で分岐していたため、ガイドワイヤーによる選択に苦労しました。最終的にはChoici-PTを90度以上曲げることにより、何とか左冠動脈前下行枝を選択することができました。
最後の症例は、やはり80歳以上の症例であり、石灰化した左冠動脈前下行枝に瀰漫性の75%狭窄があり、リュー先生がステントを持ち込めない症例でした。これに対しては、素材がステンレスでなくコバルト合金でできているArthos-picoステントを用いてステント植え込みに成功しました。
この病院には僕の神奈川県での仲間の一人である社会保険川崎病院の村松俊哉先生も二回訪れているということですが、僕は2002年12月6日に初めて訪れました[左下写真]。そして今回は、心臓カテーテル検査2,000例到達の記念行事[右下写真]のために僕が呼ばれました。この記念行事には光州からジョン先生も主賓として招かれ、お祝いの言葉を述べられました。また、同じチョンジュ市内の有名病院の院長先生が式典の司会をされました。この写真の上にかかっている看板から読めるように(勿論、ハングルが読める、と仮定しての話ですが)、この記念行事の正式タイトルは「冠状動脈造影並びにインターベンション2,000例突破記念シンポジウム (心血管センター開所一周年記念)」というものでした。

手技の様子

頭腹部アンギオ共用機 |

心血管センター開所一周年記念 シンポジウム会場にて |
開始してからたったの15ヶ月で2,000例というのはものすごい数です。ただ、この2,000例の中にはこのカテ室で行われた全ての検査・治療(それこそ腎臓バイオプシーも含まれるようです)が含まれているようです。アンギオ装置はPhilipsの頭腹部アンギオ共用機です[左上写真]。
4:30pmから病院内のチャペルで開催された記念式典では、数人の挨拶に引き続いて僕の特別祝賀講演が行われました[左下写真]。

特別祝賀講演の様子 |

記念式典の様子 |
僕はこの前の北京CITで行った"Transradial Coronary Intervention for Chronic Total Occlusion" をもとに少し変更を加えたものを講演しました。実は、前日まで僕が講演を行わねばならない、ということは知りませんでしたし、またどのような趣旨の会において講演をせねばならないのかも当日昼過ぎまで知りませんでした。このため、看護師さんはじめ病院職員多くが集まられていた記念式典[右下写真]にはあまり相応しくない学術的な内容すぎたかも知れません。

リュー先生によるこれまでの実績発表 |
僕の講演に引き続いてリュー先生による、これまでの実績発表が行われました[左下写真]。その中で、彼は冠動脈造影件数1,400例余り、PCI件数1,100例余り、と発表されました。何れにしてもすごい数だと思います。この病院は歴史があり、ここで育って周辺で開業されている医師が数多く存在します。このため、多くの紹介患者さんがあるとのことです。今後とも発展する病院だと思われます。

サービス・エリア |
式典の後には、院長先生はじめ近隣の先生方も同席されて近くの日本料理屋さんで食事会が開催されました。その席を8:00pmぐらいに退席させて頂いて、今度は高速道路を2時間半かけてソウルのホテルに戻りました。高速道路には日本と同じように50Kmぐらい毎にサービス・エリアが整備されており、そこでトイレに行ったり、ガソリンを補給したり、また食事をとることもできます[上写真]。ホテルの部屋に着いたのは10:30pmをまわっていました。この日は結局一日で韓国の南東から北西を車で6時間半かけて縦断したことになります。流石に疲れました。そんな訳ですぐに寝てしまえば良いのに、部屋にあるテレビでNHK衛星放送を見てしまいました。最初はニュースだけのつもりでしたが、BS2で12:00頃から「モンテ・クリスト伯」をやっていました。このフランス製のテレビ番組は初めて見たのですが、引き込まれてしまい、結局番組が終了した1:45amに寝ることになってしまいました。
ジョン先生

ジョン先生
(左)、リュー先生(右)と |
ジョン先生[右写真]は非常に紳士で、温厚な先生です。しかし、学問に対する情熱はものすごく強く、数々の学問的業績を挙げられています。彼の所属するチョンナム大学付属病院はチョンラ道の中心的存在です。このため、年間1,000例の急性心筋梗塞患者さんが搬送されてくる、ということです。この結果、今年のPCI症例数は年間2,000例に達するということです。この症例数は間違いなく韓国国内一だと思われます。ジョン先生と親しくなったきっかけは、僕がTRIを指導するために彼の病院を訪れたためです。初めて訪れたのは、2,000年頃だったと思います。
その時彼は僕に投稿間近の論文原稿を見せて下さり、僕の意見を求められました。それは、ステント再狭窄に対して何回PCIを繰り返すか?という内容のものでした。この論文は後にCatheterization and Cardiovascular Intervention誌に掲載されました。その時、また彼は「私たちは動物実験設備を持っており、動物専用の心臓カテーテル検査室もある。そしてブタを用いて色々な実験をしている。」と、仰られました。その時既に、放射性ホミウムをバルーンにコーティーングして再狭窄を抑制する試み、ステントにReoProをコーティーングして再狭窄を抑制するブタでの実験を行っていました。それらの成果は着々とあがり、ブタでの実験は何と最近Circulation Journal誌の巻頭を飾るそうです。
また、実際に韓国厚生省の許可の下で臨床試験も行い、特に100例の患者さんに対して行われたReoProコーティング・ステントの臨床成績はとても良く、「来年にはきっと大金持ちになれるよ」と、僕に語ってくれました。彼の部屋に行くと、彼はコンピューターを操作して、僕がその年にどれだけ論文を英文でpublishしたかを検索し、僕を奮い立たせます。彼の趣味はただ一つ、それは「論文を書くこと」だそうです。
昨年2001年の鎌倉ライブデモンストレーションには奥様、二人の息子さんともどもご参加され、皆で箱根から美しい富士山を見た後、湯河原のこじんまりした温泉旅館を借り切って日頃の疲れを癒しました。この時の、思い出はご家族皆の心に染みこまれており、今でも息子さん達はその時の楽しかった思い出を話されるそうです。その息子さんたちも大学入学検定試験にとても良い成績で合格され、二人とも医学部に行かれる、ということです。
ちなみに、韓国では共通の大学入学検定試験があり、そこを良い成績で通過しないと志望する大学・学部に行けないそうです。韓国で入学するのに一番難しいのが、ソウル国立大学医学部、その次がヨンセイ(延世)大学医学部、そして次々と全国30余りの医学部が並び、その終わりにチェジュ(済州)大学医学部があり、そしてその次に初めてソウル大学工学部などの他の学部が並びます。Gwon先生は、「今後韓国は知的レベルで大きな問題に直面するだろう。不景気も絡み、優秀な若者が工学部を志望しないで、医学部などばかり志望するから。」と、僕に言っていました。
韓国のPCI
今、韓国国内では大きな噂が飛び交っています。それは、いよいよ2004年初めからCypherとTAXUSという二つのDESが保険償還されることになる、というものです。そうなった時に、DESを持っていないステント・メーカーが生き残れるのか? 僕は日本の将来を占う意味でも強い興味を持ってこの事態を見守りたいと思います。
またその一方で健康保険制度は崩壊寸前であり、韓国の医療制度は大きな矛盾を抱えています。このため、保険機関による医療施設に対する締め付けは厳しくなる一方であり、私がサムソン病院を訪れた時も、保険機関および厚生省の5人の係官による10日間に渡る徹底的な査察が行われていました。これによって不正請求が発覚した時には、先のキム先生のように刑事告発される、ということでした。
今、韓国政界は潔癖を旨としていたノ大統領側近が行っていた不正資金疑惑で揺れています。また、韓国経済は再び大きな不況に覆われ、失業者は増加する一方です。このためもあるのでしょうか、韓国政府は国内に不法に滞在していた外国人労働者に対して、「今すぐの自主的国外退去」あるいは「逮捕による強制送還」のどちらかを選択するように、という布告を出しました。日本と同様に、韓国国内には東南アジア諸国などから多数の労働者が存在し、彼らはビザが切れた後も不法に滞在し、就労していました。この布告および取り締まりは徹底したものであり、将来を悲観した外国人不法滞在就労者が地下鉄に飛び込んで自殺したことが朝のニュースでも報じられていました。
また、今回韓国を出国する時も、インチョン空港出発ロビーは未だかつて無い程に混雑していました。これは、多くの不法滞在者が身の回りの物全てを抱えて、母国に帰国するためでした。
終わりに
今回の韓国訪問でも多くのことを学びました。その中から一つ気づいたことです。またまた発音の話です。ハングルでは映画のことを「ヨンファ」と言います。化学のことを「ファハック」と言います。花のことを「ファ」と言います。英字のことを「ヨンチャ」と言います。
どうでしょう、何かに気づかれたでしょうか? ハングルも基本は漢字「ハンチャ」です。パズルの謎解きをすれば分かるでしょうが、映画の「が」は「ファ」、化学の「か」は「ファ」、そして花壇の「か」も「ファ」となります。また、映画の「えい」は「ヨン」、英字の「えい」も「ヨン」となります。本来中国語の発音では、異なる漢字には互いに異なる発音が一対一で対応しています。しかしながら、ハングルと日本語ではこの原則から大きく外れ、異なる複数の漢字に対して同一の発音が対応可能なのです。そして、その組み合わせは、不思議なことに日本語とハングルでは全く同じことがあるのです。
でも組み合わせは同一でも、どう考えても「えい」が「ヨン」になるとは想像できません。一体全体この長い歴史の中で日本と韓国は対馬海峡を挟んで、どのように人の交流、言語の交流がなされてきたのでしょうか? 大学入試でも歴史や地理が大嫌いで「倫理社会」を選択科目にした僕にしてみてもこのように考えると、この二つの国が辿ってきた壮大な歴史と地理の物語に魅入られてしまいます。
でも、やはり分からない話。テグと言えば、人口が250万人以上ある韓国第四の都市大邱市のことです。でも全く同一の発音でテグ・タンというのがあります。これは何と「タラのちり鍋」のことです。やはり言葉というのは頭で考えるのではなく、覚える事かも知れませんね。
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