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 シンガポール訪問記
はじめに
 本年最初の外国訪問記はシンガポールです。実は、この前にも香港を訪れましたが、そこでの訪問記はスキップします。今回、2004年01月15 日17:25発のJAL便でシンガポールに向かいました。成田新東京国際空港とインチョン国際空港では昨年暮れから虹彩のチェックによる生体認証によるセキュリティー・チェックの実証試験を行っています。今回はこれによりチェック・インしました。別にこれによって利用者の利便が格段に増す訳ではありませんが、セキュリティー・チェックのゲートで長い行列が出来ている時には便利です。といいますのも、虹彩認証の場合には職員用のゲートを通過せねばならないので、長い行列に加わる必要が無いからです。

 飛行機の出発はアメリカからのトランジットを行う便が遅れた、ということで小一時間遅れました。また、この時期強い偏西風のために南西に向かう飛行機は対地速度がひどく低下しますのでシンガポール・チャンギ国際空港に到着したのは一時間の時差があるにもかかわらず現地時刻で16日の0:30amになっていました。


シンガポール
シンガポール
 シンガポールに初めて訪れたのはかれこれ10年ぐらい前のことです。それ以来何回もPCIを行うために訪れていますが、ここ数年はせいぜい年に一回程度しか訪れなくなりました。シンガポールは地理的にアジアのどの地域に行くにも6時間程度で行ける、ということを根拠として、”アジアの中心”として振舞おうとしています。また現実にこれまで多くの欧米企業はアジア・パシフィックの支店をこのシンガポールに置いてきました。シンガポールはこの写真で分かるように奇麗に整備された都市国家です。このため外国人、特に欧米人はシンガポールのことをとても好きです。

 その一方で、シンガポールには自由が無い、とも言われています。例えばインターネット用の高速通信網はとても整備されています。しかし、シンガポール国外の何らかのサイトにアクセスしようとしても、時に拒絶されます。これは国家の一番のフロントエンドにあるサーバーにサイトの情報を持っていて、シンガポール国家が”良くない”と定めたサイトにはアクセスできないようになっているからです。

 また、刑法の刑罰はとても厳しく、アムネスティ・インターナショナルがつい最近発表したデータでも世界のどの国よりも人口当たりの死刑執行率が高いのです。最近発表されたデータによれば、「1994-99年の死刑執行数は、人口100万人あたりシンガポールの13.57人が最高で、続くサウジアラビアの4.65人、ベラルーシの3.20人を大きく引き離している。」ということです。これはシンガポールが歴史的に麻薬犯罪に対して厳罰を処することから由来しています。しかし、いくら処罰を死刑という極刑にしたところで、現実には麻薬関連犯罪が減少の兆しを見せることはなく、2002年の麻薬事犯は3393人と、01年から16%増加している、ということです。またどのような理由であれ、ヘロインを15g以上所持していれば死刑になります。

 もっともこのように麻薬所持に対して厳しい姿勢で臨む国々は多く、身近な所では、台湾、タイ、マレーシアなど枚挙にいとまがありません。日本の若者の中にはこのような現実を知らずに、異国の地で麻薬遊びに手を染め、その結果一生涯現地の刑務所に繋がれている者もいる、と聞きます。

 良く言われることに、シンガポールでは道路に唾を吐いただけで高額な(日本円にして10万円程度の)罰金に処せられます。このような厳しい処罰と”奇麗な”シンガポールの両者をもじってシンガポールのことを”fine city”と呼ぶ人もいます。もちろんこれは、”fine”という言葉に「素晴らしい」という意味と「罰金」という意味があることをかけた言葉です。

APCC
 そもそも今回シンガポールを訪れたのは、当地で1月14日(現実にはOpening ceremonyとPre-meetingsのみ)より17日まで開催された第14回APCC(Asian Pacific Congress of Cardiology)よりFacultyとして招聘されたためです。この学会は日本を含めたアジア、オセアニア地域で開催されている心臓病学の学会であり、2年に一回開催され、各地を回ります。昨年は僕の記憶ではパキスタンだったと思います。パキスタンの学会からも招聘されたのですが、ビザも取得し、いよいよ出発という段になって、確か例の9/11がおこり急遽取り止めとなったように記憶していますが、僕の間違いかも知れません。

 アジアを中心として心臓病学に関する大きな学会としてはこの他にも、ACC (ASEAN Congress of Cardiology)というものが存在します。これはASEAN諸国が集まって開催されるもので確か4年に一回開催されているように思います。ところでASEANというのは東南アジア諸国連合と日本語に訳されていますが、タイを中心として、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーそしてカンボジアが加盟している政治的色彩を弱めた経済連合のことです。また、これらの他に、APSC (Asian Pacific Society of Cardiology)というものも存在します。ただ、正直のところ、どれがどれ、ということは私にもなかなか判別つきかねます。

 また、これとは別に延吉正清先生が理事長、私が事務局長(Secretary General)を3年間勤めたAPSIC(Asian Pacific Society of Interventional Cardiology)というのも存在します。この会は、他の二つの会と異なり純粋にPCIなどのInterventional Cardiologyに特化した学会です。私がこの会の事務局長に就任した1997年にはAPSICという学会は実態の無いものでありました。それと言いますのも、学会には何ら学会としての規約が存在しなかったのです。そして、学会としての会計も不明確であり、その時の学会長が学会開催した時に得た余剰金の全てを暗黙の内に不正に取得することすら可能でした。このため、私の事務局長としての最大の仕事は、学会の規約(Constitution)作成でした。 もちろん、この仕事は理事長に就任された延吉正清先生から私に与えられた仕事でした。今思い出してもこの規約作成作業は大変でした。といいますのも、たたき台となるものは何一つ存在せず、全てが一からの仕事でした。また、折角苦心の上でたたき台(Draft)を作成しても、学会には多数の国が参加していて、そのほとんどの国が自分の国々に有利になるように規約を修正しようとするからです。
 僕自身が全く一人で規約のDraftを作成し、それを1998年07月31日にオーストラリアのPerthで開催された理事会で決議にかけ、最終的に修正承認されました。その理事会に参加するために私は何と、そのためだけに滞在時間12時間という超過激なスケジュールでパースを訪れたのです。本当に今思い出しても、とんでもないことをしていた、と思います。実際の会の討議は、英語がとても達者な連中ばかりですので、正直のところ、彼らの議論の1/2程度しか理解できません。でも何しろ、事務局長としての威厳を保ち続けねば何も決まりません。最終的に僕の提出したドラフトがほとんど修正されることなく可決されたのは、少し感激でした。そして、同時に、外務省の人々は毎日こんなことやっていて大変だろうな、とも思いました。今でもこのConstitutionはAPSICの中心憲法として存在しています。興味のある方は、この文章の最後にPDFでつけましたのでご覧下さい。

今年のAPCC
 さて、今年のAPCCはシンガポールのMichael Lim先生を会長として開催されました。どうやらAPSCが去年諸般の事情で開催できなかったために、APSCがAPCCにお願いして、こっそりと「共同開催」を掲げているフシがあります。

 また、例年この時期にはSingapore Heart Centerが主催しているSingapore Live Demonstrationが開催されていて、今年のAPCCとこのSingapore Live Demonstrationは共同開催される旨、当初アナウンスされていました。しかし、去年の10月になって、急遽、Singapore Live Demonstrationは3月に延期されました。この急なスケジュール変更に対しては誰もが訝り、「きっと政治的な対立がSingapore Heart CenterとNational University Hospital of Singapore (NUH)に間に存在するのだろう」、あるいは「ついに△△と、○○の間が仲たがいしたんだ」とかの色々な噂が飛び交いました。誰も真実は分かりませんが、事実として分離開催されることになりました。従って、当初はSingapore Live Demonstrationにおける術者をする予定(ここ7,8年間術者をしています)だったのですが、今回は講演のみでした。今回、私に声をかけてきたのはNUHにおけるPCIのトップであられるLim Yean Teng先生でした。彼からの招聘を受けたのは去年の秋ぐらいのことだったように思いますが、そのタイトルはMeet The Expert Sessionの中の、”Dealing with man-made coronary artery disease _ Saphenous Vein Grafts”の中の”Saphenous Vein Grafts”というタイトルでした。当初、このタイトルを受け取った時には、一体全体何についての講演をするのかが全く分かりませんでした。そこで彼にメールで問い合わせたところ、その答えは何と、「日本では、ディバイスの制限がきついので、そういう状況の中で日本のInterventional Cardiologistsは一体どのようにSaphenous Vein Graftsの治療を行っているのか?」というものでした。

 正直の話、このようなタイトルの話は私にとってとてもきついものでした。理由は色々ありますが、いくつかを挙げれば:11日本人としてのプライドに抵触する、?科学的なデータとして出しにくい、そして?現状では日本でもDistal protection deviceであるPercuSurgeがシンガポールとほぼ同時に認可され、広く用いられているので彼らの期待にこたえることが困難である、といったところでしょうか。結局僕は、まだDistal protectionを用いることが出来なかった時のやり方、即ち単純にステントを植え込んでしまい、slow flowが発生すれば大動脈内バルーン・パンピングを挿入したり、昇圧を図ったり、Nicolandilなどを投与したり、血液パンピングを行ったりですが、そのようなことから始まり、次にCovered stentを用いる方法、そして現在のPercuSurgeを用いる方法まで文献による考察と自験例を出しながら15分間ぐらいの講演をしました。

APCC会場
APCC会場
 座長は、シンガポールのCharles Chan先生と、の二人で、私の前に講演を行ったのは、シンガポールのHuay Cheem Tan先生(現在シンガポール心臓病学会会長)、マレーシアのRobaayah Zambahari先生、というアジアを代表するInterventional Cardiologists達でしたが会場は[写真]のように閑散としていました。もちろんお互いに顔なじみですので和気あいあいと進行しました。私の講演の後にパネル・ディスカッションとなりフロアからの質問も受けました。私もいくつかの質問を受け答えしました。そして、質問の最後に日本人と思える方が立たれました。彼の質問は”Dr. Saito, could you tell me? Why covered-stent implantation is not effective in PCI for saphenous vein grafts?”というようなものでした。そして、彼は最初に”I am Dr. **** from **** hospital, Japan”と名乗りました。残念ながら私はその方のお顔を拝見するのは初めてで、面識かありませんでした。おまけに、残念ながらホールという非常に聞き取りにくい環境の中で、その方の名前と施設名を聞き取ることも出来ませんでした。周りが全て外国人という外国の学会においてフロアから質問に立つことがどれだけ勇気のいることか僕は分かります。

 僕は、その方の勇気と「外国の中で自分を主張する」という強い意志というか心がけをとても大切なことだと考えます。まさしく多くの日本人臨床研究者にかけている点です。本当に名前をキャッチできずに残念です。もしもこのホームページをご覧になっておられれば是非ご連絡下さい。

 ちなみに思い出しました。あれは1995年頃のAHA(米国循環器学会)かACC(米国心臓病学会)総会でのことです。当時、私は自分自身が行ったとても大きな業績である急性心筋梗塞に対する急性期ステント植え込みに関して、色々な学会や論文として発表していました。しかし、大きな壁を感じていました。それは、おぼろげですが、「湘南鎌倉総合病院などという名前も知らない日本の病院の名前も知らない齋藤 滋などの主張なんて、・・・・」というものでした。僕はその学会で、急性心筋梗塞に対するステント植え込みのセッションに参加しました。確か座長はフランスのMarie Claude Morice先生(女性の世界的にとても有名な先生)と、アメリカ人の誰かでした。演題は全部で5 or 6題だったと思います。そして、最後の4題はフランスからの演題でした。実はその年僕の演題ははねられていました。そのセッションで各演者が発表を終えた後の、それぞれの演題に対する質問時間帯に僕は全ての演題に対して、質問と批判を行いました。当時の僕の英語力は今よりももっと劣っていました。演者からは、”I am sorry. I could not understand your question.”と言われ、座長からは、”Could you speak clearly?”などと言われました。それでも僕はめげずに全ての演題に対して質問に立ちました。セッションが終了してから、僕はある米国人と小さなミーティングをしました。その時に、その医師は「そう言えば、さっきの急性心筋梗塞のセッションで多分、日本人だと思うが、しきりに質問に立っていた。あのフランスの発表は内容が問題あったので共感した。」というようなことを僕に言いました。もちろん、彼はそれが僕であったことは知りませんでした。その意見を聞いて、恥ずかしくてもがんばって質問に立って良かったと思いました。

 今回は滞在時間20時間を切るような慌しいものでしたが、それなりに得る物があった、と思います。

The Final Constitution of APSIC PDF
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