大阪で生まれた女

僕が大阪大学医学部を卒業し、医師となったのは昭和50年つまり 1975年のことでした 当初は免疫学の研究者になろうと思っていましたが、次第に心臓カテーテルの魅力にとりつかれ、卒業して一年してからは完全に心臓カテーテルの医師となることを決めていました

それから暫く経った昭和54年 1979年に BOROが歌い大ヒットした曲、それが「大阪で生まれた女」でした その全曲は18曲からなり、何と35分にもなる壮大な曲です その曲の内容は、大阪で生まれ、育った一人の女性が、その高校卒業前から やがて結婚して子供を授かり、幸せに生きていく姿を描いたものです その女性のその時期の人生に大きな影響を及ぼした一人の大阪出身の男性、その男性は東京で成功し活躍されていますが、もはやその女性とは別の人生を歩んでいる そのような内容です

これって誰の話だ? まるで自分のことではないか? などと幻想に陥ります

僕は正直この曲を聞きながら何度涙したことでしょう 曲の中には新宿西口騒乱事件のことも出てきます まさしく僕もその現場に居り機動隊がデモ隊を新宿駅西口地下広場で鎮圧するために催涙ガス弾を発射し、辺りには催涙ガスの独特の匂いが立ち込めていたのです

歌詞の最後は

大阪で生まれた女が今日大阪をあとにするけど
大阪は今日も活気にあふれ
また どこからか人が来る
振り返るとそこは灰色の街
青春のかけらを置き忘れた街

というものです 懐かしい僕の青春の思い出です

今回、日本循環器学会総会が大阪で開催されました 色々な役割を終えましたが、今回一番驚いたのは、あのくすんだ街大阪がガラリと変わった、ということでした 中之島界隈、堂島、土佐堀、肥後橋の辺りにはこれまで見たこともないような高層ビルが立ち並んでいました 僕が学んだ大阪大学医学部そして医師としてスタートを切った大阪大学医学部付属病院 その全てが跡形もなく無くなり、街の様相が全く変わってしまったのです

そして驚いたことには 何となく疲れきった街 大阪 というのがこれまでの印象だったのですが、今や元気に満ちて、若い人たちで賑わう街に変化していたのです 本当にこれには驚きました そして驚くと共に 19年間を過ごした街 大阪のこの変化にとても嬉しくなったのです

これまではあまり戻りたくないな と思っていましたが、今はすぐにでも大阪に戻りたい、そして大阪の独特の雰囲気に浸り心を癒やしたい そのように思うようになりました

投稿者: (KAMAKURA & SAPPORO)Dr_Radialist

Expert Interventional Cardiologist and Amateur Computer Programmer

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