25年来のモヤモヤ

昨日は二日続けての経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)植え込みがありました 火曜日にTAVI3例、経皮的僧帽弁接合不全修復システム (MitraClip)1例あったため、水曜日午前中にも一例経皮的僧帽弁接合不全修復システムを行うことになりました

実は火曜日午前中には他院でTAVIのプロクタリングを行い、それから鎌倉に戻ったのです

さて、その水曜日のMitraClipですが、25年間のモヤモヤが自分の心の中にはあり、それが患者さんのご協力で振り切れました

僕が鎌倉に来たのは 1988年10月からでした 実際に病院が新規開院したのはそれから一ヶ月後の 11月01日でした ゼロからの出発でしたので新鮮な喜びがあり、いろいろなことがありましたが、まずまず順調に立ち上がったと、今にして思えば思えます。

心臓部門も心カテという武器の下で順調に立ち上がり、やがて心臓外科も充実しようという時になりました しかし、そのような時に色々なトラブルは内部から発生するものです。1992年頃になり、心臓外科が中心になり、鎌倉市の隣の隣の町に心臓センターを独立して建設する、という話となりました ところが、その中心となっていた今はもう何処におられるのでしょうかねえ? その方たちが中心となり、循環器内科よりまあ ソースを集めるという下心もあったのでしょうか? 僕が中心の鎌倉の循環器内科に対する強い相当な圧力、それこそあること無いこと 色々な圧力を受けました。実際、そのような圧力の結果、当時循環器内科には僕を頂点に合計8名の医師が在籍していましたが、その内の 4名が他院に移籍しました。残ったのは僕も含め、4名のみでした。こんな状況にあっという間に追い込まれました。それはそれは辛かったです。

ちょうどそんな時に一人の患者さんにお会いしたのです。その患者さんは無事手術で治療され、そして 25年後の昨日今度は僕たち循環器内科により良くなられたのです。25年間という歳月を超えて患者さんも僕も歳を取り、そして再び元気にお会いすることができたのです。

1994年 大動脈炎症候群の瘢で、大動脈が全体石灰化あり、しかも上行大動脈が拡大し、それに伴い重症大動脈弁閉鎖不全となり、その結果心不全となっておられた女性がご紹介となり来られました。この患者さんの治療としては大動脈弁置換術しかありませんので、僕たちに圧力をかけ続けていた心臓外科医グループに手術を依頼したのですが、「この患者さんは手術は無理である」と断られたのです。それでも比較的若い患者さんであり、それから何年も人生を過ごしてしかるべき患者さんでしたので、しかも手術以外に治療法は無い患者さんでしたので思い悩み、その頃知り合った別の心臓外科医に相談し、手術を引き受けてくださることになりました。手術は、心臓外科医が既に隣の隣町に移ってしまっていた鎌倉の心臓外科で行ったのです。その紳士的な、人間味溢れる心臓外科医は、6時間に及ぶ手術を丁寧に行って下さり。その患者さんは 25年を経た今でもお元気にされているのです。その外科医は、後に「天皇を手術した外科医」として有名になられましたね。一方、僕を苛め続けた外科医グループはその後どうなったのでしょうか?

そして、昨日のMitraClipを行ったその患者さんというのは、その時の患者さんの 25年後だったのです。たくさんのたくさんの人生、

投稿者: (KAMAKURA & SAPPORO)Dr_Radialist

Expert Interventional Cardiologist and Amateur Computer Programmer

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