何が僕を僕たらしめるか?

今回 Costa Ricaでは若手の Interventional Cardiologistsと何人か交流しました。皆とても優秀であり、しかもハングリーです。そして、皆それぞれ数年から10年間ぐらいの臨床および研究のための外国留学経験があります。

その先生方が一様に僕に言われたのは、”I read you CTO book, and am learning from that book.”というようなことでした。これが何を指しているかと言えば、Washington Hospital Centerの Ron Waksman先生と共同で出版している本のことでした

CTO1

この本は、第一版であり、とても大変でしたが何とか編集と出版ができました。

そして、続いて第二版も出版することができたのです。それが、この色違いの本です。Amazonで購入することができますよ。

CTO2

結局、このような実績の積み上げが、僕を僕たらしめているのであって、単なる名前とか、そんなものではないのですね。何だか実存主義のような主張でした。

公け ということ

公け(おおやけ)ということはどんなことか考えています

公け、ということはきっと社会の一部に完全に組み込まれている、そのような意味でしょうか 抽象的に考えていも哲学者ではないので難しい、あっ、そう言えば日経新聞の確か日曜日ですが、連載されているコラム 「哲と学」というのは哲学の世界に素人が入っていくには良いかも知れませんね、もとい話を戻します 具体的に考えましょう

「公」という文字が頭に着く組織は世の中にたくさんありますね、例えば公立病院、公立学校、公共交通機関、公会堂、公立図書館、公立公園、 うん こうして列挙すれば、世の中の誰しもが利用できる組織ないし機関ということになりますね

かな漢字変換しても良く分かるのですが・・、公立といのは得てして「効率悪い」と同義だったりすることもありますね へへへ

「公」が頭についても、「公立」と「公共」とは意味が少し違います 前者は女将でなくお上が「公」のために設立したものであり、後者は女将であっても良く、誰がつくったかは関係無く、「公」のために設立されたものです

さて、「病院」というのはどうなんでしょうか? 日本においては、医療サーピスは国民皆保険制度の下で提供されます この国民皆保険制度というのは、一種の税のようなものです 税を国民に広く必要に応じて分配するようなものです ということは、日本においては 医療機関というのは程度の差こそあれ、公共のものです

最近ニュースを騒がせている事件の一つに私が人生の中の25年間を捧げてきた組織の法律違反事件があります この組織は、一人の偉大な人物によって設立され、日本最大の組織となりました その間には数々の障害、しかもその多くはいわれの無いものであったのですが、障害があったのですが、強烈なリーダーシップの下で、「命だけは平等だ」という強力な理念のもとに職員一丸として乗り越えてきたのです しかしながら間違いがおこりました その設立の歴史の中で、組織が一人の偉大な人物のもの、その人物の商店のようなものと職員もみなすようになっていたのです

医療機関、特にその組織のように巨大化した組織は日本という国家の中で、実は完全に公共のものであり、今や設立者と言えど、その個人のものでは一切ないのです この重大な真実に皆気づかなかったのです 僕は今それを強く認識しています

ああ こんなこと「公け」にしてしまえば、どんな罰を受けるでしょうかね? まあどうなるかそれに身を任せるのも良いでしょう

いざとなれば純粋仮想世界のプログラミングの世界に埋没してそこで生きていきますから ああ でもそうなるとTAVIができなくなって特に日本人の患者さんがたくさん困りますね

インドの食事

インドの食事と言えば、「辛い」というのが印象でしょう 確かにそうですが、その辛さは、日本のカレー程ではありません 世界最強の辛さは、多分 わさびだと思います これはメキシコの辛さとか、色々な辛さを味わった経験から言えます

本日は、Gala Dinnerを欠席し、ホテル近くの中華料理店に行きました 確かに中華料理のようには見えるのですが、味は何を食べても同じです 多分インド人の繊細な味覚が我々には無いのでしょう インドの人々は、あの我々から見れば同じ味に感じる辛さ(とはいっても僕には物足りない辛さですが・・・)の中から味の違いを感じることができるのでしょう

多分これは、日本人がわさびをつけて刺し身を食べてもその魚の味の違いを感じ取ることがと同じ能力なのでしょう

味から世界の違いが見えたかな?

ガーァンッ

実は明日土曜日から水曜日までタイトなスケジュールでバングラデシュに慢性完全閉塞に対するPCIとTRIの普及のために、行く予定でした 現地の日本国大使館も動いて頂き、大使公邸での食事会も開催されるという それこそ日本国とバングラデシュの今後の友好にも寄与するはずでした
しかし、突然昨日、この予定そのものがキャンセルこととなったのです 急速に高まる現地の情勢不隠のためです
このように僕の外国訪問が現地情勢でキャンセルとなったのは今から15年ぐらい前、パキスタンで開催された国際学会に、日本から僕がリーダーで何人かの先生方を引き連れて訪問する予定の時以来です この時は、現地の情勢不隠に対して、僕の判断で中止しました 先生方にはそれでも行きたい、と言われる方々もおられましたが、僕は止めました これが正解だったのです 数日後軍事政権によるクーデターが起こり、外国人は少なくとも一か月間パキスタン国内から出国できなくなったのです
いかに誰でも喜ばれるような医療支援活動といえども国際情勢とは無関係ではありません その意味でも昨今の中国や韓国との関係は心配です もうこれから50年間はもとのような関係に戻らない、そのように思います

これから札幌

本日はこれから札幌です 先週の衝撃的な経大動脈的大動脈弁植え込み術の興奮が未だ冷めやらずでしたが、先週末は新たな薬剤溶出性ステント治験にも突入しました

これから先も治療成績向上のために絶え間なく新たな医療器具導入に組していくつもりです これは終わりの無い戦いなのです

それにしても再び権威主義が頭をもたげてきました 日本においては、PCIを行っている施設は圧倒的に民間病院が優勢なのです それは治療する対象症例数という意味だけでなく、対象とする患者さんの重症度という意味でも真実なのです

日本のPCIを固るのに大学病院なんかでは全く語ることはできません しかるに、医療器具開発メーカーあるいは、製薬企業は新たな医療器具開発、あるいは新薬開発に際して、これらの大学病院を偏重する悪しき伝統があるのです

昔、未だ僕が駆け出しの循環器内科医であった30年ぐらい昔の話です その頃の治験というのは、ひどいものでした 誰もひどいものだと思わなかったのですが・・・

それは狭心症新薬開発のための治験、その治験のKick-Offの会だったのです 当時僕は関西 尼崎の公的病院に勤務していましたが、その薬の会社の方に呼ばれ、東京で開催されたその会に出席しました 僕の病院からは上司二人と合わせて三名が参加したように思います 初めて参加する治験の会では、全国からたくさんの医師が集まり、超一流ホテルの一番大きな宴会場は満席で、それこそ何百人も集まっていたと思います

その中で、某女子医大の当時循環器を席巻していた有名教授が出てきて、「この薬は絶対にいいから、早く治験を終了して世の中に出しましょう」などと言うのです 何でもその起床じゅは自分自身狭心症があるけど、怖くて冠動脈造影は受けたこと無く、勝手に「自分の狭心症は冠攣縮によるものだ」と、皆に吹聴していました

要するに、治験と言っても結論が先にあり、治験というのは、単なるお飾り、そこに集まる全国の医者はそのお飾りの一部品にしか過ぎないのです

世の中に当時出ていた薬剤のほとんどはこんな感じで日本国政府の承認を受けていたのです まったくひどい話です 効きもしない薬剤に国民の財産である健康保険料が大量に消費されていたのです

今は違います 薬事法改正に伴い、このような科学に基づかない治験は完全に否定され、科学的な真理に基づいて独立行政法人 医薬品医療機器総合機構(PMDA)が厳正に審査し、認可あるいは却下するのです 当然時間もかかりますが、それでも無駄や危険が国民に及ぶことはできる限り排除されます

医療機器に関しても全く同様に現在は走っています しかし、ここで運用上の問題が発生します もしも日本の治療の現状を反映しない中で治験が行われたとすれば、そこでの成績というのは実際に多数の患者さんが受ける治療から乖離する、ということです

薬剤溶出性ステント治験に関しては、このようなことを可能な限り排除してこようとしました 年間200例ぐらいしか治療していない大学病院が治験に加わるのは、日本のPCI医療の実態を反映できません

しかし、世の中そんなに簡単ではありません、実際にはこれらの大学病院医局制度は再び復活し、「人事権」を盾にとり、支配力を強めているのです そして、企業によっては、それに組するところも出てきているのです

もちろん大学の全てが悪い訳ではありません 素晴らしい大学、大学教授も存在しますし、世界の医学発展に貢献している大学・大学教授も多いのです でも、残念ながら総合的には日本の大学が世界の科学に貢献している量は年々減少しています その原因は、大学が権威にばかり執着し、自らの本意を忘れているからだと思うのです 要するに、「大学および大学人、何時までも甘えてるんじゃないよ!!」と、言いたいのです

僕は大阪大学卒業間近から、ノンポリ、そして何となく青年医師連合となり、非入局のまま今に至っています 別に信念があった訳ではありません 何となくそれとなく流されて、というのが真相です でも今ここに至っては信念を持ってこのような悪弊への回帰に対して戦っていきたいと思います 今さら僕の人生に誰も干渉させまい 好きなようにやるぞーー

今朝一人の患者さんが逝かれました

昨日札幌より小樽に入り、小樽に宿泊しました 今朝、小樽市立脳・循環器・こころの医療センターで開催された、院内ミニライブデモンストレーションおよびワークショップに参加しました 8:30AMより開始の第一例目治療をさせて頂きました

治療は順調に終わり、会議室で次の症例治療を見ていた時に、電話が入りました

「◯さんが、自宅で心肺停止となられた、救急外来に搬送された」というものでした

あれは1989年だったと思います、鎌倉に来たのが、1988年10月01日、湘南鎌倉総合病院が開院したのが、11月01日でした 本当に最初は医者の数も10名であり、毎日外来に出ても患者さんが来られない状態が続きました

それでも、同年12月になってから、ようやくPhillipsの心臓カテーテル検査装置稼働と共に、本来の活動を開始しました 当時はステントなどというものは世の中に存在せず、POBA (単純な風船治療)のみの時代だったのです 徐々に僕の実力を発揮するようになりました

そうこうしている内 ある時、今はもうその病院は無くなり、名前が変わったのですが、鎌倉駅近くの昔からの病院にアルバイトで来られていたある公立大学病院の先生から電話があり、不安定狭心症の患者さんが紹介されてきました それが◯さんだったのです

診断カテーテルをすると、何と3枝 90%の狭窄を伴う病変でした しかも、当時は禁忌であった分岐部病変だったのです 患者さんやご家族と話し合いました、最終的に患者さんは僕によるPOBA治療を望まれました 非常に危険なPCIだったのです それでも僕も若かったのでしょうか? 立派にやり遂げました

その後かれこれ 20年間 一回の再狭窄も無く、何の心臓イベントも無くずっと過ごして来られました 有名な建築家であられたご主人は 90歳を超え、亡くなられました そのご主人が若いころ海に憧れ購入された 海を望む丘の上の邸宅も、歳をとられれば、街に買い物に行くのも大変 そんなふうにこぼされていました

最近はすっかり足腰が弱られ、数ヶ月に一回僕との面談を楽しみに来られる外来通院も車椅子になっていました

今月 2月にも来られましたが、その時は、「私もう死ぬのかも、でも頑張ってまた今度会いに来ます」とおっしゃられていました

その◯さんが今朝亡くなられました 既に 90歳をはるかに超え、大往生でしたが、やはり僕の人生も被り、寂しく思います 色々なことを学びました 一番学んだことは、束の間の外来診察、その中に人生の交絡があり、それこそが人生そのものである、ということです

どうぞ安らかにご主人の下に逝って下さい 合掌

緊急出動

本日札幌東徳洲会病院での外来終え一息ついていると、7月1日に新築移転開業した札幌徳洲会病院で緊急患者さんの話が飛び込んできました。緊急カテーテルそして必要あれば冠動脈インターベンションという段取りのため、応援に東病院より出動することにしました。
東病院との距離は自動車で25分ぐらいであり、千歳に向かう高速の道沿いにあります。もともと札幌徳洲会病院は白石区の中央に位置していましたが、手狭となりまた古くなったため、現在の地に新築移転したのです。大きな建物であり、今後の発展が期待されます。
既に部下の山崎君と、士反君がカテを開始していました。全く新しいカテ室で、スタッフの皆が未だ慣れていない状態で手技に入っていく、そのワクワク感に心が躍ります。24年前全てを捨てて鎌倉に入った時もこんなだったな、そんな感傷に浸ってしまいます。
あの時は未だ38歳でした。再び新規に開拓する話も出ています。新たな開拓地に挑むのは男として魅力的です。しかし、今この年でその元気があるでしょうか?
鎌倉に来て、ここまで色々なシステムを作り、患者さんも増やし、そして現在の色々なプロジェクトが走っているのです。そのようになるまで15年はかかったのです。今から15年経てば、とても現役を続けていられる年齢では無くなります。もちろん、これまで培ったノウハウがあり、そこに至るには15年はかからないでしょう、それでもその半分7-8年はかかるでしょう。
人生はやり直しがきかない、そして振り返ってばかりでは仕方ありません。前に進むしかありませんが、問題はどのように方向を決めて前に進むかでしょう。未だ迷える歳です。

弁証法とアウフヘーベン

昨日歓迎会があり、遅れて参加しました。どんな話の流れかは覚えていないのですが、酔った頭にも衝撃的なことがあったのです。
それは、僕が「アウフヘーベンすればいいじゃない」と言ったところ、その場にいた誰にもその単語が伝わらなかったのです。
それで、「えっ、この言葉知らないの? 弁証法って知らないの?」と皆に聞いたところ、誰一人として「知っている」と答えた者はいなかったのです。
これらの言葉、僕の世代以前の人々、少なくとも大学に行こうとしていた者にとっては、日常的な言葉だったと思います。全共闘運動の中で、あるいは高校生のホームルームでの議論でも 皆が知ったかぶりして使っていました。
今振り返って、ではそれは何を意味するの?と自答してみても、自分でも漠然としか分かっていなかった、というもう一つの衝撃的な事実に驚きます。
今は便利ですね、これらも Wikipediaですぐに分かります。理解できるか否か、あるいはそこでの記述が正しいか否かは別としてですが・・・
という訳で、アウフヘーベンはこちら弁証法はこちらです。

そうかあのへーゲルが言い始めたことなんでしたね。