人生の節目

昨日は大阪駅前ヒルトン・ホテルに宿泊しました。この界隈に来ると何時も思いだします。

丁度、25年前の今頃でした。当時関西労災病院に勤務していたのですが、大阪大学第一内科の当時の医局長より電話がかかってきました。「齋藤くん 近々 会って話がしたい」

僕はいわゆる入局を拒否し、非入局、早い話が一匹狼で動いていたのですから、本来医局長からのそのような申し出にこたえる必要はありません。しかし、何といっても第一内科の医局長です。それで会うことに決めました。

場所は、ヒルトン・ホテル一階のカフェでした。夜の7時ころだったと思います。彼はいきなり高槻にあるある民間病院のパンフレットをカバンから出し、僕に、「齋藤くん このまま関西労災病院に居ても、君の未来は無いよ、この病院に移動しなさい」と、言ったのです。その場で考えたのですが、そこまで医局長が言うのであれば、したか無いかな そんなふうに考えました。そして、

「分かりました、そこまで仰るのであれば、行きましょう、ところでその病院には心カテの設備はあるのですよね」

驚いたことに、医局長は、「いや無い、しかし循環器というものは、カテだけではない」、そのように回答されたのです。僕は即座に、「カテのできない病院に行くつもりはありません」、そのように答えました。これに対する彼の言葉、一生忘れません

「齋藤くん 包丁一本では生きていけないよ」

考えてみれば、この言葉がバネとなり、僕はその後の人生を生きてきたのかも知れません。その時は、ものすごくショックであり、またひどい、と思いましたが、今となっては感謝の気持ちです。この医局長は、その後、大阪大学第一内科教授選挙で敗れましたが、北海道大学循環器内科教授として君臨し、その後 日本循環器学会理事長まで務められ、現在は尼崎市のある民間病院の名誉院長をされているようです。

この話を、Kiemeneij先生にタクシーの中でしたところ、彼も自分のことを話ししてくれました。彼も丁度さっきの話と同じ頃、Amsterdamのある強力な教授と就職のことでもめ、そしてその彼から「今後絶対にアムステルダムで働けなくする、いやアムスだけでなくオランダにおれないようにしてやる」と、言われたそうです。その時の電話での会話を今もテープに録ってあるそうです。そして、彼もそのことを今は感謝している、あのことが無ければ、経橈骨動脈的冠動脈インターベンションを始めることは無かった、と

新幹線で神戸に移動

昨日は朝 博多駅より新幹線で新神戸駅に移動しました。そして、神戸の高橋病院で院内ライブを行ったのです。

一例は Virtual 2Fr TRIそして、もう一例は 6Fr TRIでした。高橋先生は歓迎の垂れ幕を作成され、最後に皆で記念写真を撮影しました。昨夜泊りは大阪駅前のヒルトン・ホテルでした。

夜の講演会前に大坂名物の「お好み焼き」を食べたのです。そのおいしさに彼も感激していました。講演会の後は、「天平」の餃子を食べたのですが、これにも感激されていました。

今朝はこれから兵庫医大に移動し、近畿トランスラディアル研究会でのライブデモンストレーションを行います。

中洲屋台での楽しい一時

昨夜は、小倉記念病院での院内ライブの後、新幹線で博多に移動し、博多のホテルで講演会がありました。平日だというのにたくさんの先生方に九州各地より集まって頂きました。

20 Years Anniversary of TRI

その後、中洲の屋台に移動し、そこで夕食となったのです。楽しい一時でした。

記念すべき日

:今朝は 6:30AMにホテルを出て、仙台空港に向かいました。仙台空港で簡単な朝食を取り、そして 8:00AM発の便で福岡空港に入りました。福岡からは新幹線で小倉に移動し、そして小倉駅近くの鰻屋さんで、鰻を食べました。

いよいよこのキャラバンの中でも大きなイベントである小倉記念病院院内TRIライブのため、112:15に記念病院に行きました。そして、13:00からいよいよTRIライブを開始したのです。僕と Kiemeneij先生でカテ室に降り、そして症例を拝見しました。症例は右冠動脈近位部の慢性完全閉塞であり、順行性にも造影されますが、どうやら Bridging collateralのようでした。CTがあったのですが、それでは慢性完全閉塞部分に大きな石灰化プラークが立ちはだかっていたのです。左橈骨動脈より6Fr AL1.5SHを挿入し、右橈骨動脈からは5Fr JL3.5により対側造影となりました。いざとなれば逆行性アプローチも考慮しながらライブに入りました。幸いにも Corsair + XTRにより何とか通過し、薬剤溶出性ステントを植えこんで終了しました。この後、小倉記念病院岩淵先生がライブを2例行われました。

鰻を食べました

それから小倉記念病院講堂において、主に九州の先生方が集まられている中でライブに参加し、また Kiemeneij先生の講演座長を行いました。世界に冠たる小倉記念病院は、これまでどちらかと言うと anti-TRIだったのです。その小倉記念病院においてこのライブが行い得た、ということは本当に Radialistにとっては記念すべきことだったのです。

Memorial Day for All Radialists

東北厚生年金病院での院内ライブ

今回は、仙台ネットワークドライブより東北厚生年金病院 片平先生、仙台オープン病院 加藤先生、そして皆様方のご協力を得て、東北厚生年金病院において 6例の院内ライブを開催することができました。

東北厚生年金病院は東日本大震災において地震により大きな被害を受けました。4階にあるカテ室も大きな被害を受け、当時あった2台のGE製マシンは使えなくなりました。すぐに東芝の最新マシン2台に更新され、ディバイスの供給が不十分な中 診療を継続されたのです。

東北厚生年金病院はスレンダー・クラブの本山の一つです。まず、片平先生がPCIを一例行われ、その後、僕と吉町先生が2例ずつ行い、最後に加藤先生が1例治療されました。もちろんすべての症例がTRIで治療され、しかもほとんどが Virtual 2Frあるいは5Frenchを用いて治療されたのです。まさしくTRI 20周年にふさわしいライブでした。

今回、 Ferdinandには日本のさまざまな文化、つまり食事を楽しんで頂くことも今回のキャラバンの大きな目的の一つでもあります。仙台と云えばやはり「牛タン」です。そこで、牛タンも味わって頂きました。その後、講演をして頂きました。

牛タン

 

三日目 仙台

今朝は 8:41AM札幌駅発のエアポート急行に乗り、千歳空港に向かいました。そして、仙台行き 9:50AM発のANA便で仙台空港に入りました。

Kiemeneij先生のたってのご希望に沿い、閖上町や仙台市荒浜地区の津波で被害を受けられた地域を回りました。閖上(ゆりあげ)中学校の生徒14名が亡くなられた墓標を見ると胸が熱くなります。

閖上中学校 正面の時計が、津波に襲われた午後2時46分で止まっている

それから

木原循環器内科医院での院内ライブに関しては、何しろ予定より早く終了しました。そういう訳で、時間ができてしまいました。「さてどうするか」ということになったのですが、検討の結果、美瑛に行く事にしました。旭川から美瑛までは車で 30分程度なので、まあ無難な線でした。美瑛では、「セブンスターの木」とか「ケンとメリーの木」などを見たのです。

それでも時間があったので、旭川駅前の「地ビール園」に行きました。その後 18:00からの講演会で、彼は熱くこれまでのTRI 20年の歴史について語られました。そして、 20:00発の電車で札幌に戻ったのです。木原院長先生との two shotsは良い思い出でしょう。

 

TRI 20周年記念キャラバンツアー二日目

本日は 9:41AM発のオホーツク特急に乗り、旭川に向かいました。旭川に到着して、そのまま「よし乃」に味噌ラーメンを食べに行ったのです。

そしてそれから木原循環器内科医院に歩いて出かけました。

木原循環器内科医院は 19床の有床診療所ですが、長年 木原院長先生が頑張っておられます。旭川において、多くの患者さんをPCIにより治療してきました。

僕がこの医院に関わるようになったのは、もう今から 16年ぐらい前のことでしょうか、あるいはもっと以前かも知れません。当時木原先生の下におられた先生からPCIをして欲しい、と呼ばれ、出かけました。朝一番の羽田-旭川便で出かけ、医院には 9:45AM頃に到着します。そして、そこからおもむろにPCIを開始するのです。最初から経大腿動脈的冠動脈インターベンションにより治療する気は全くありませんでした。マンパワーの状況に対する考慮やTFIに伴う出血性合併症の多さから、絶対にTRIでした。そして、当初はゆっくりと合計で 10症例ぐらいを昼食をはさんで行い、その夜は旭川に一泊していました。

しかし、慣れてくるに従い、ものすごいスピードでTRIを行い、最大で合計 20症例ぐらいを行っても 12:30頃には終了し、そしてその後 「よし乃」に寄って、味噌ラーメンを食べ、そして 16:00くらいの旭川-羽田便で日帰りするようになったのです。つまり、一例患者さんの入れ替えを含めて 10分から 15分で治療をしていたのです。こんな早いスピードは、もちろん僕のテクニックや経験などが最大の要因ではありましたが、その他には、病院職員のすばらしい動き、木原院長に対する患者さんの信頼の大きさ、そして患者さん方のご理解が大きかったのです。

そして、そのようなPCIを行っている内に、「何時かこの姿、この状況を Kiemeneij先生に見せたい、経橈骨動脈的冠動脈インターベンションのお陰でこんなことができるんだ」と、思うようになったのです。本日ようやく僕のこの念願が叶いました。

もうかれこれ 10年ぶりでしょうか、木原循環器内科医院において僕自身が治療を行ったのは・・・ 山崎君や八戸君が準備してくれた患者さん 6名を治療させて頂きました。ガイディング・カテーテル抜去から、次の患者さんの橈骨動脈にシースを挿入するまでの時間が何と 4分40秒でした。これは Kiemeneij先生がその一部始終をiPhoneでビデオに記録され、もうすぐYouTubeに uploadされます。何しろ 6例全ての治療にかかったのは、1時間 15分ぐらいだったのです。Kiemeneij先生はその一部始終を Twitterで報告されていました。さながらインターネットによるライブデモンストレーションだったのです。彼も本当に感激していました。

彼はその合間に現在の彼の病院の状況について話してくれました。病院は管理体制が強化され、PCIにおいてもmanagerと呼ばれる人々が入り込み、患者さんの入れ替えに関しても、そのmanager達が管理し、このため入れ替えには最低でも 30分かかるのだそうです。ですから、 Twitterでの時刻を入れた「ライブ」は衝撃的なことだったのです。

 

TRI 20周年記念キャラバン・ツアー初日

今年は Kiemeneij先生が 1992年8月にTRIを開始されてから 20周年の節目の年です。この間に色々なことがありましたが、今や世界中でTRIはブレークしています。

昨夜は札幌を舞台に記念の講演会が開催されました。彼は土曜日の夜から日曜日にかけて、知人達と家族ぐるみで、オランダの湖畔で船を浮かべて遅くまでパーティーに参加されました。遅くとは、日曜日の午前 4時までなのです。そして、その後自宅に戻り、そのままスキポール空港に向かい、そして成田行きの便に乗られ、来日されました。成田に着くなり、羽田に向かい、そして千歳に飛んだのですから疲れていない訳はありませんが、講演の後も札幌の皆さん方と楽しく歓談されました。皆、その親しみやすさに感激されていました。本日は 9時過ぎの特急オホーツクに乗り、旭川に入ります。

札幌東徳洲会病院心臓センター訪問

月寒じんぎすかんクラブでの昼食を終え、ホテル (JRタワーホテル日航札幌)に入る途中、札幌東徳洲会病院に立ち寄りました。皆、PCIに忙しそうでしたが、折角の記念に Ferdinandを交えて記念写真を撮りました。

札幌東徳洲会病院心臓センターカテ室での記念写真です。