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光藤先生との思い出 – 続き

大混乱の中、デルタ航空にマシンで check inして、今ようやく Delta Loungeに入り込みました いやあクリスマスシーズンだからでしょうか、Minneapolis-St.Paul空港は大混雑です。こんな混雑見たことありません。

さて、その 1992 or 1993年のことですが、僕と光藤先生は、二人であの有名な Mayo Clinicそしてカナダのこれもまた有名な、Toronto大学のカテ室に見学に行くことにしたのです。そして、そのアレンジをしてくれたのが、当時の ACS社、日本にはこの会社設立されず、かわりに G兄弟社という商社がその販売を担っていたのです。もっとも ACSはその後 Guidantという会社に買収され、またそのGuidantは現在の Abbott社に買収され、今に至ります。

その ACSがこの時のアメリカ-カナダ訪問をアレンジしてくれたのです。そして、Mayo Clinicと Toronto大学カテ室およびカテ室チーフの先生に連絡してくれ、日にちがおさえられ、それに併せて僕と光藤先生は飛行機の予約をしたのです。最初の目的地は、Mayo Clinicのある小都市 Rochesterでした。Rochester空港は少なくともその当時は日本の地方都市空港よりも小さな空港ビルディングでした。

事前の打ち合わせでは、Rochester空港に到着すれば、Mayo Clinic担当の ACS営業社員が僕たちを待っていて、そしてそのままホテルにつれて行ってくれることになっていました。

何処で乗り継いだかは覚えていないのですが、成田空港から18時間ぐらいかけてようやく Rochester空港に降り立ちました。そこで迎えの人、当然初めて会うことになっていたのですが、その男性と覚しき人が待っているはず、しかし、待てど暮せど、1時間は待っていたのですが、誰も現れません。そしてついに小さな空港待合室には僕たち二人以外誰もいなくなりました。

「これはすっぽかされたな」と思ったのです。しかし問題は、その時宿泊するホテルが何処で、連絡先は何処か、あるいは担当者の名前や電話番号、そして日本側での連絡先、それらの情報が全く無かったのです。もちろん、そのような情報をきちんと確認せずに動いた僕たちが悪いのですが・・・・

当時は携帯電話も無く、また国際電話をかけるのはとてもとても大変であり、また高額だったのです。でも僕には光藤先生がおられるし、もちろん光藤先生には僕がいたのです。二人でこれからの策を練りました。まずはホテルの確保ですが、そこに移動するためには、レンタカーを借りる必要があります。幸い当時は保持していた国際運転免許証がありましたので、それで空港でレンタカーをまず借りたのです。多分11:00AMぐらいだったような気がします。まだ若かったのです時差ボケにもほとんどなっていませんでした。

とにかく Downtown Rochesterまで車を走らせ、何でもいいからホテルを探すと、交差点のところに、多分 Holiday Innがあったのです。そこのフロントに行き、「二人止まりたいのだけど」と二部屋確保したのです。それからまずは Family Restaurantで昼食を摂りました。そして、ホテルのフロントで City Mapをもらい、Mayo Clinicを探し、とにかくカテ室を探し、そこに行くことにしたのです。そして、昼ごはん食べた後、二人で向かいました。病院駐車場に駐車し、二人で、Catheterization Laboratoriesという院内標識を探しました。今にして思えば無謀でした。何しろ世界でもっとも有名な大病院です。

幸い、僕たちはその標識を発見し、入り口まで行き、そこにいたナースか技師さんに、「これこれしかじかの者で、本日は見学の約束がある筈です」と申し出たのですが、「そんな約束は無い」と断られたのです。いくら言っても無駄でした。

仕方がないので、また二人でホテルまで車を走らせ、あっそうだ、光藤先生と二人でアメリカやヨーロッパを何回も、何千キロもレンタカーでドライブしましたが、その時は、何時も僕が Driverで、光藤先生が Navigatorをされましたが、とにかくホテルに戻ったのです。そして多分眠りました。流石に時差ボケが出てきたのですねっ。

そもそもカテ室見学は二泊の予定でしたので、翌日は一日まるまる予定があきました。朝二人で地図を見ていたところ、ミネアポリスという街の名前が目に付きました。Rochester – Minneapolisは 135Kmぐらいです。Minneapolisは当時よりペースメーカー製造販売会社 Medtronic社があることで僕たちもその名前を知っていたのです。それで、別に Medtronic社を尋ねるつもりはありませんでしたが、とにかくその街に行こう! ということになったのですね。

例によって僕が運転し、連邦高速道路を一路西に Minneapolisの標識を目指し走り出しました。半分以上過ぎた頃には、これまで出ていた Minneapolisという標識が無くなったのです。道を間違えたか? と思ったのですが、やがて Twin Cityという標識が突然出てきました。そこで思いを巡らし、ひょっとして Minneapolis – Saint Paulと高速道路を挟んで並び立つ2つの都市をまとめて Twin Cityと呼ぶのだろうと推測しました。

さて、翌日も借りたレンタカーで、光藤先生と二人、「さあ、一日どうしようか?」と相談しました。その翌日には Rochester -> Toronto行きの便が確定しており、そのチケットは日本にいる時に入手していましたので、Rochesterでの日程最後は確定していたのです。結局、一日全くフリーとなりました。それで Minneapolisという聞いたことのある街に行ってみよう! ということになったのです。

高速道路を例によって僕が運転し、光藤先生は隣の助手席で navigateです。一時間以上も走った頃だったと思います。無性に眠く慣りましたので、路肩に車を停め、僕は仮眠しました。光藤先生はその間、車を離れ、ランニングされたのだと思います。仮眠から醒め、気づくと隣に光藤先生がおられませんでした。辺りを見回すと、高速道路とT字路に直行する砂利道が見えました。道の隣は川幅2mぐらいの川が2 – 3mぐらいの谷で上流に向かって右手に流れていました。道はゆったりとした上り坂だったのですが、これを見て、「あっ、みっちゃんはこの道をランニングして登っていったのだろうな」とピンときました。

そこでエンジンをかけ、その方向にゆっくりと登って行ったのですが、すぐにランニングして降りてくる光藤先生と合流しました。運転席は左手であり、僕はそちらに座り運転です。助手席の光藤先生側、つまり右手は崖となっており、僕の側は2-3mぐらいの深さの谷に川が流れているのです。道は舗装されておらず、砂利道でした。僕の運転するカムリでゆっくりとその道を降りて行きました。

カーブがあり、少しだけブレーキを踏みました。途端に前輪駆動のカムリが右に滑りながら曲がって行きました。ここからは目の前の景色が走馬灯のようにゆっくりと流れ出しました。全身からアドレナリンが大量に放出され、体感時間がゆっくりと流れだしたたのです。このまま右に行くと、光藤先生の座っておられる助手席は右手の崖にぶつかる! そう判断し、ブレーキ踏みながら左手にハンドルを切りました。とたんに車のコントロールが効かなくなり、そのまま左手の谷に向かって車は落ちようと進んでいきました。前輪駆動の前輪が両側とも谷に向かって踏み出しました。「あっ、このまま落ちてしまう」と思ったところで、谷の脇から生えていた木の枝に前輪が2つともひっかかり停止しました。

「助かった、でも下手に体動かすとバランス崩れ、谷に落ちてしまう」と二人で言いました。しかし、前輪駆動のカムリはバックしようとしてもできません。「もう頑張って車から外に出るしかない」と結論し、ゆっくりと外に出たのです。

何とか助かったのですが、自動車はそのままで、動かしようがありません。途方に暮れて二人で道端で呆然としていると、数分後に古い古いトラックがゆっくりと降りてきたのです。運転しておられたのは、左手を失っておられた60歳ぐらいの男性でした。とても強い訛りがあり、お互いに何を話しているのか身振り手振りでした通じないのです。それでも、どうやらトラックの後ろの荷台に乗れ、と言っておられるらしいとわかりました。それで二人で荷台に乗り込むと、トラックは少し高速道路を走り、近くの小さな街、というか色々な店が集まっている場所で止まり、そこのある一軒におじさんは僕たち二人を招き入れました。

おじさんは、どうやらそこの店主に我々の置かれた状況を説明されたようです。僕たちにはその会話を聞き取る英語力はありませんでしたが、今度は、その店主がレッカー車を運転し、どうやら我々にそのレッカー車に乗り込めと身振り手振りで指示されました。

レッカー車は我々が落ちかけた現場に戻り、今度はそのレッカー車で僕たちの車を引っ張り上げてくれたのです。それで、レッカー車についてカムリ(ラッキー まだ正常に動作していましたよっ)でお店まで戻りました。僕たちを連れて来て下さったおじさんは既に姿を消しておられ、お礼の挨拶もする暇がありませんでした。お店につくと、随分と安い請求書を見せられ、多分 10ドルぐらいだったかなあ、それをお店で支払い、ようやく高速道路に復帰し、そしてやっとこさまず、St Paulの街に行き、そこで見つけた「寿司屋」さんに入り、ゆっくりと昼食を二人で食べ、そして Minneapolisに行ったのです。でも正直何も覚えていません。

覚えていて鮮明に記憶に残っているのは、親友 光藤 和明 先生と過ごした濃密な時間と空間です。何事にも代えがたい思い出です。

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ただの現状記述 (Daily Activities)

リトマス試験紙

小学生の頃、理科か課外授業かで行った記憶がありますよね皆様方 それはリトマス試験紙です。

リトマス試験紙を色々な液体につけ、その色の変わり具合で、アルカリ性か、酸性か、あるいは中性か、そんにな風に見分けるだけなのですが、それでも物事の仕組みを直に学ぶことができて、「理科の心」を形成するのに役立ったと思います。

それで今朝フト思ったのですが、自分は今、「このカテ人生ずっと続けるしかないな」と、思っているのですが、それって一種のリトマス試験紙?

どうい試験をする紙切れか? と言えば、<<そんなこと言う年齢になった>>あるいは、<<それ以前の人生の中でとんとんカテに捧げた>>ということを試験するリトマス試験紙なのかな?

 

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ただの現状記述 (Daily Activities)

そんなものだったのですね

今、例の TCT2019 Master Operator Awardの件で、これまでの自分の人生を簡単に見返しています そのような人生のストーリーが必要なのだそうです

急にそんなこと言われても人生を見直している人なんてそんなにはおられないですよね 特に僕のようにともすれば怠惰に生きている人間にとっては振り返っても何も無い! そんなものですよね

でも今回は追い詰められてその作業をしていますどのようにすれば良いかな? と考え、結局 MS-Wordで文章を起こすことにしたのです そして子供の時からの色々な自分の記憶に残っていることを思い出し、それを自分の人生の転機と結びつけていきました そうしたらばね 愕然としたのですが、その文章は 11ポイントdouble spaceでA4縦書きで記録しているのですが、何と 何と たった14ページなのです

あああああ 自分のこれまでの人生ってそんなものなのですね それが衝撃の感想でした

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ただの現状記述 (Daily Activities)

年初来の超ストレス

自分は何処までできるのか? 自分は医者としてどうるのか?

色々なことを年初来考えてきました 結論は出ていません

しかし、その一方で年初来超危険で治療困難な患者さんが次々とご紹介されてきたのです 皆様方人生の最後の数年(いやもちろん神様は10年以上下さるかも知れません)、苦しみ、痛みの無い人生を過ごしたい、そのため医療機関受診しても、そこでは治療できないと断られ、僕を名指してご紹介して来られるのです

自分にして見れば、苦しんでおられる方々を治療することは最高の喜びです しかしながら、実際にはその治療は命と引き換えの治療となる場合もあり、そのような患者さんがご紹介されてくるのです もちろん医師として医療技術者としてそのような困難に直面することは新たな技術開発習得に役立つに違いなく嬉しい筈です

しかしながら、その結果命が失われるのであれば、何をしているのか分かりません したがってものすごいストレスの中で、「治療するか否か」の究極的決断をせねばなりません そしてその責任は全て僕一人の肩にかかってくるのです 言い換えればその患者さんのこれまでの人生そしてこれからの人生の全てをこの腕にかけるのです

幸いそのようにご紹介となってきた全ての患者さんの治療を驚異的なテクニックを持って乗り切り成功裏に治療できました そして本日は休息です

今心から感じているのは、自分は間違いなく世界で一番のテクニックと治療戦略を有する Coronary Interventionalisである ということですただ、これを維持するのはとても心に重しをのしかけるのです 自分の心が壊れてしまうぐらいのストレスなのです もちろん自分が生きてから、このような心の問題とは常に直面してきました そして結果的に自分の心は誰よりも強い、と思います その強い心にものしかかるストレス 何時までそれに耐えられるでしょうか

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TAVI (経大動脈的大動脈弁植え込み術) ただの現状記述 (Daily Activities) 世界観 (Philosophy) 冠動脈インターベンション (PCI)

それぞれにとっての年月

自分も歳をとってきました 思えば、小学生の頃は一日がとても長く「早く明日になあれ」と毎日思っていました 明日になればまた皆の楽しく遊べるし、ご馳走も食べることができるかも知れない そんな期待で時間の流れが何時も遅く感じていました

しかし、この歳になり今はどうでしょうか? 今は、あっと今に一日が過ぎて行きます 結局自分の頭の中で「これぐらいはできる」とか思っていても、実は体力とか智力とかあるいは運気でしょうか 何しろ色々なことが自分のイメージと乖離して、その結果思っていたようにはできていない だから同じことをしながらすぐに明日になってしまう イメージの中では時間は同一に流れていても行った実績としては時間はあって言う間に過ぎていくのです

うーんバリバリで強気に満ちいた 30歳から 40歳ではどうでしょうか? あの頃は「これからの10年間 とっても長い時間が自分にはある どんなにか自分が色々なことを楽しみ、また進化していくのか」そんな期待に満ち溢れていましたよね

でも今となっては、「あと10年? そんな時間自分に残されているのかな?」そんなことを考えてしまいます

実際ある年齢の人の平均余命はプログラマの視点から言えば、これまでの生命予後の積み重ねと理論的考察から年齢を変数とした関数として定義可能な筈です 実際に同様の視点は確率されていて厚生労働省の Home Pageにも見ることができます

これによれば以下のような簡単な式で表されるようですね

平均余命計算式

ところが、この式、ぱっと見れば「おっ 自然対数の底が出てきている なんか科学という匂いがするなあ」と思いませんか?

違うのです 単に eというのは記号に過ぎず、自然対数の底 いわゆるネイピア数とは全く関係ありません 何か当たり前のことしか行っていません 要するに 「ある年齢 x歳の人々の平均余命」 = 「その集団の中で x歳以上の人々の人口 = 定常人口」を「その集団の x歳に達している人口」で割ったものに等しい と述べているのです 何だかこれってあまりおもしろくないですね そりゃあそれにより x歳の人が平均的に何年間生きることができるのか? という問いに答えることはできるでしょうか・・・ うーん 面白くない それにどうも本当にこれであっているのでしょうか? だって「人数」を「人数」で割れば、単位は消失してしまい、どうしたって「年」は出てきません ちなみにこのページでは実際に平均余命を計算しています ここの「平均余命の定義」は解りやすく 以下のようになっています

平均余命の定義を最初に説明します。まず、平均余命は年齢ごとに定まります。x歳の平均余命とは、現在x歳の人が平均してあと何年生きるかを表す数値です。平均と言いましたが、数学的に言うと期待値というものです。

このページで解説されている平均余命の計算は結構ややこしいですね 時間のある方はやって下さい

ところで何でこんなこと考えているか? と言えば 例えば、自分は経皮的冠動脈インターベンションの術者であり、冠動脈領域で治療をすることを天職の一つとしているのですが、こんなことを悩みました 「40歳の患者さんが左冠動脈主幹部を含む重症三枝病変であり、諸事情により冠動脈バイパス手術が困難で危険である時」このような時にも、もちろん患者さんのリスクは賭けるのですが、それだけか自分の医者としての自分の人生全体を賭けたリスクも取ることになるのですが、その時に「この治療で後何年間をその患者さんの人生にもたらすことができるだろうか?」 そんなことも考えます そして、「まだまだこの患者さんは少なくとも平均余命までの時間を得る権利がある」 そんなことも考えます 考えるだけでなく自分の心にとって大きな圧力となります

これが ご高齢の患者さんであれば、どうでしょうか? きっと自分は「今ここで亡くなられるようなリスクは犯したくない、そのかわりあと数年でも長く楽に人生を送って欲しい」と考えます

そして考えました、経カテーテル的大動脈弁置換術(TAVI)の場合にはどうだろうか? TAVIにおいてはこの数年間いや1 – 2年間でけでもディバイスの改良、医学としての知識の蓄積の増大、それぞれの経験の増大に伴い、著しく手技に伴うリスクが減ってきました そして、今や全世界的にも外科的大動脈弁置換術のりクスが低い患者さんに対してもTAVIを行う方向に向かっています その結果TAVIの世界で起きていることは、明らかに適応拡大なのです 適応拡大の中にはこれまでは 80歳以上の方々を対象としてきたTAVIですが、次第により年齢の低い方々も対象とするようになってきました この流れの中でこれまでの議論に立ち戻れば、少なくとも術者としての自分から見れば、TAVIという治療の後に与えられる時間が長くなってきているので、結果的に よりゆっくりとした時の流れが残される、そのようにも解釈できます

何れにしても時間に対する感覚は絶対的なものと信じがちですが、実は相対的なものなのです 大切なことは、そのような自分の見方により変化する時の重みに対して常に時間の流れを大切に考えることかも知れません

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ただの現状記述 (Daily Activities)

睡眠不足

最近極度の睡眠障害に陥っています 意識が興奮状態にある、というかそんなことはなく常に眠たい ひょっとした時にコトっと眠りに陥ることも可能です そんなこと言えばまるで睡眠時無呼吸症候群(SAS)ですね

いや実はそうではなく、色々なことに常に頭をとられ、あれをせねば これをせねば、とか 色々な「あの時ああすれば良かったのでは?」とか。過去に対する後悔と反省 「自分は何をやっているのだろうか」「このまま自分はどうなるのだろうか」とかいう不安

これらの心の暗闇が睡眠を押しつぶし、その圧力の中で覚醒してしまうのです 決まってその直前には夢、決して悪夢ではないのですが、夢を見ています

何時からこんな状態に陥ったのでしょうか? もう数ヶ月あるいは一年二年かも知れません

今朝は仕事で何時もより一時感早起きし、今 新幹線で関西に向かっています きっと午前中で仕事が終わり、その後また鎌倉に戻ります 途中の新幹線で眠れるか?

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ただの現状記述 (Daily Activities)

患者さんに寄り添うということ

自分が医学部に進学しようと思ったのには実は何のきっかけも無かったのです 人は「医学部に進学して意思になろうとするには相当の思いがあっのでしょう」と言うかも知れません しかし、僕が思うにそのような強い動機付けで医学部に進学する人は実は少ないと思います まあこんなことアンケート調査した訳も無く、真相は闇の中ですね

何れにしても僕の場合にはもっと単純な理由です

1) その前年現役の時に、東京工業大学一本のみで受験し、物理、数学に関しては満点だったけど、化学、英語、社会科、国語に関しては惨憺たる成績で、結果的には入試に失敗し浪人生活となった

2) この年は日本の大学受験において際立った年であり、「安田講堂事件」があり、突然「東大入試」が取りやめとなり、結果的に全国の大学受験生があぶれ、無茶苦茶な大学入学試験となった それに引きづられて僕も受験先を変更した

3) 受験先を変更するといっても、いまさら社会科の選択科目の関係で、受験できる大学は少なかった 何しろ僕の選択科目は「倫理社会」だったのです その結果、大阪大学という選択肢が残った

4) 折角浪人時代受験勉強したのだから、その一年間の「楽しい」苦労に報いるためにはそれなりの大学を受験せねば自分として示しがつかない、落とし前をつけることができない そんな気持ちから医学部受験を選択した 何しろ当時も医学部受験が最難関であったから

思うにこんな理由で医学部受験を選択したのです そこには「醫學のため」とか、「苦しんでいる患者さんを助けるためむとか そんな高邁な理由は何も含まれていませんでした

この続きはまた・・・・・

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ただの現状記述 (Daily Activities)

どうして自分の人生は順調でないのか?

つくづく嫌になります

どうして自分の人生は順調に進んで行かないのか? 世の中の何が悪くてつまづきばかりなのか?

— そんなこと決まっているだろ おまえが悪いからうまくいかないんだよ

何をどうして行けばいいのだろうか?

— 決まってるだろ 自分の生き方を変えるんだよ

でも今更自分を変えることなんてできない

— じゃあ 今の自分を受け入れて自分の人生も受け入れなさい

 

ばっかみたい やってらんないよ あーあ こうしてずるずると時間が過ぎて何事もそのまま進んでいくんだなあ そうしてまた一つ歳とっていくんだ

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ただの現状記述 (Daily Activities)

あーん自分は何をやってるいのか

忙しく、日米を股にかけ重要な会議に出席し、世界を支配している先生方と対等に話をする、そして会議の目的に沿ってミッションを達成する それは非常に難しいことです しかし、このミッションをやり遂げればそこには幸せな満足があります

そんなことは分かっています だからこそ自分を追い込んでやるのです 普通であれば参加しているメンバーのリストを見ただけで体全体が縮み上がります

どうして自分自身をそんなにも追い込むのか?

毎回毎回こんな自分を繰り返すのです その光景は 10年前に見た自分の風景と重なります この 10年自分は何をしてきたのか?

重い課題を自らにつきつけるのです でも結局は、自分は自分 自分の道は自分で切り開くしかありません 今こうして生きていることが自分のあかしなのです

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TAVI (経大動脈的大動脈弁植え込み術) ただの現状記述 (Daily Activities) 冠動脈インターベンション (PCI) 慢性完全閉塞 (CTO) 経橈骨動脈的冠動脈インターベンション (TRI)

未だまだ未熟者

昨日そして一昨日とTAVIによりお二人ずつ、計4名の重症大動脈弁狭窄症の方を治療させて頂きました 本当に重症であり、一定期間治療を控えさせて頂いていた患者さん達です

それらの患者さんの全員を素晴らしい結果で治療させて頂きました 皆様方術後からすぐに非常にお元気であり、これが外科的大動脈弁置換術では絶対にあり得ない、という結果でした

医療は確実に進歩しているのですね その一翼に参加していることに本当に歓びを感じます

ただ、未だまだ自分は未熟です 多分想像ですが、意識せずに無駄な力が手に入っているのです 何故それを実感したかと言いますと、昨日はお二人をTAVIで治療させて頂いた後、引き続いて一人のこれがとても難しい右冠動脈の長い慢性完全閉塞の治療をさせて頂いたのです 両側橈骨動脈 6Frで治療しましたので、治療終了後直後から患者さんは自分で歩いてカテ室から病室に移動されました これは経橈骨動脈的冠動脈インターベンション(TRI)の素晴らしい所ですね

ところが、その手技中に、何と左手の母指球の裏側の筋肉が痙攣し、テタニー様の手になってしまいました もちろん過呼吸ではありません そして、それを我慢しながら騙し騙し手技を続けていたところ、今度は右手も同様となったのです

左手がそのようになることは、これまでも鎌倉ライブデモンストレーションにおいて多数の患者さんの治療を休みなく行っている最終日午後になるとありました

しかし、昨日のPCIは昨日初めての患者さんだったのです それも両手がなったのです

もちろん治療は様々な困難を乗り越えて合併症無く成功裏に終了しました

そして考えたのです 何故両手がテタニー様痙攣を起こしたのか? これはやはりTAVIを一昨日から続けざまに4例行ったからに違い有りません これが何を意味するかと言えば、ただ一言 「お前は未だ未熟だ」なのです

未熟が故に無駄な力を使っているのです だから痙攣したのです でも翻れば 「未熟」ということは「未だ進歩の余地がある」ということです もっともっと前に向かって進みますよ