Clipper and Puncturist

本日も TAVIに引き続いて MitraClip実施しました 非常に重症な僧帽弁閉鎖不全の方で、肺も悪く、以前より強くお勧めしている外科的僧帽弁閉鎖不全修復術はご家族も一緒にどんなに説得しても拒否、そのようなご高齢の患者さんでした

なかなか心房中隔穿刺はやりにくかったのですが、そこは Punturisの僕ですからOKです さらには Clippingもやりにくかたのですが、そこは Clipperの僕ですから これもOKです 結果的には IV/IV度であった僧帽弁閉鎖不全が2つの Clipping直後より全く消失し、その後も経過良好です

いやあ MitraClipはすごい効果を示しますね

本日の夕食

本日は 16:00発の ANA便で千歳空港に そして札幌東徳洲会病院心臓センターには 18:45頃到着しました それから明日のTAVIの検討と打ち合わせをしたのです

19:45には一人病院を出て、マンションの向かいにある MaxValueに入り、食事パンと、カップ麺を購入しました 今日の夕食はこれです ふふ

本日の夕食パン

昨日も MitraClip

昨日は火曜日 MitraClip植え込み いやいやここはかっこよく Clippingと言いましょう そして実際に Clippingを行う術者のことを かっこよく Clipperと呼びたいですね

と言う訳で これからは Clipper Saitoとカッコ良く呼んで下さいね

その Clipperが現在の当院で唯一 Clippingを行うことが許されている火曜日でした と言う訳で、これまたひどい しかし、外科的僧帽弁修復術が相応しく無いと考えられる患者さんに対して Clippingを行いました 非常に重症な僧帽弁閉鎖不全でありましたが、その原因は P2のひどい prolapseだったのです 手技的な問題点としては中隔穿刺の穿刺点として十分に良い場所を確保できるかどうか? ということでした しかしお任せあれ、僕は Clipperであると同時に、世界最高の「穿刺屋」でもあるのです うーん英語では何と言うのでしょうか?

Puncture -> Puncturer これだと舌がもつれそうです Puncture -> Puncturist うんこの方が良いですね

と言う訳で、僕は優れた Clipperであると同時に世界最高の Puncturistでもありますので、僕にとって穿刺での不可能とか、困難とか言う言葉はありません しかも無茶苦茶なスピードで行うのです

そんな訳で昨日も絶妙な一で穿刺を行い、実はこれが一番技術的には難しく、先日もある病院で穿刺したものの、タンポナーデを起こしたらしいのですが、それは僕の想像するに、このような経緯であったのだと思います 実は Brockenbroughで一番難しいのは、張り出した心房中隔です たとえば重度の僧帽弁閉鎖不全があったり、あるいは高度の僧帽弁狭窄症があると左心房に慢性的負荷がかかっていますので、心房中隔は右心房側に膨満し張り出します

ここで、なるべく僧帽弁からの距離を稼ぐために心房中隔の上の方で、しかも後方での穿刺を試みれば、穿刺点が盛りだした頂点よりも上ということになるので、しばしば穿刺針は坂道を下るように滑っていきます それに気づかねば、そのまま右心房上縁で外に穿刺し、タンポナーデとなります

しかし、MitraClipや左心耳閉鎖術 (LAAC: Left Atrial Appendage Closure)の場合には必ず経食道心エコー法により見ながら行うので まずこの合併症は無いと思います

そうでなく、ありえるのが心房中隔をうまく穿刺できた後、それが上後方であれば、その後左心房内での余裕がありません ここで分かっていない人が行うと、「あーっ、穿刺できた」という安堵感と油断の結果、そのままの角度で穿刺針も進めてしいます、何故ならば針は中隔を貫いても、Dilatorや Sheathはまだ中隔を貫いていないので、さらに数センチ左心房内に押し込まねばならないからです ここで、左心房天井は経食道心エコー法でも観察できない場所ですので、素人さんは そのまま左心房天井で心外膜を貫き、そのまま心タンポナーデになってしまうのです

うん? 何の話だ? そうか 昨日の MitraClipの話でしたね 僕は術前の経食道心エコー法の結果から一個の Clipでも僧帽弁閉鎖不全が消えるであろうと踏んでいました 実際そのとおり一個の Clippingで僧帽弁閉鎖不全は完全に消失しました しかしながら、ものすごい逸脱だったのです、その結果 Clippingを十分してもその部分で Clipが逸脱に引っ張られ、激しく動くのです このままであれば、長時間経過している間に折角うまくいった Clippingがその激しい動作により外れる可能性もあります このため、敢えてもうひとつ隣に Clippingしました

結果は大成功で僧帽弁閉鎖不全は全く消失 これは経食道心エコー法のみならず左室造影でも確認しました 何と中隔穿刺開始から止血完了まで 1.5時間です素晴らしいですねえ

もちろん患者さんもお元気です

ようやくサーバーの混乱が解消か?

先日来、kamakuraheart.orgあるいは tri-international.orgを運用している Zenlogicというサーバーがダウンし、その結果 これらのWeb Siteへの接続や、メール運用が間歇的にしかできなくなっていました

これはもちろん非常に困った状況でしたが、ようやく解決しています その詳細は、運営会社の謝罪と共に、下記にあります

まあ困ったものですが、もとに戻り良かったと思っています

思い出した!!

今思い出しました アイスコーヒーの大阪での呼び名、それは「レイコー」と「コールコーヒー」でした

最初にあれは1969年 大阪大学医学部進学過程に入学し、学園紛争ストライキのため講義が全く始まらず、僕たち学生はぶらぶら暇に過ごしていました 「これも慣れない大阪を知る機会だ」とばかり友人たちと、あるいは一人で街をぶらぶらし、そんな中で唯一の救いは喫茶店に入ることだったのです そして最初に「アイスコーヒー」と注文しても店員さんは「何を言っているの?」と全く通じませんでした そのうち、この2つの言葉 「レイコー」と「コールコーヒー」という呼び名が大阪では使われていることを知りました

いやあ 大阪はいいですねー 僕の第二のふるさとです

本日は母校大阪大学キャンパスへ

本日はもっとも忙しい月曜日でしたが、公用で大阪大学医学部先端医療イノベーション・センターに出かけました

ぎりぎり 11:30AMまで外来診療し、それから暑い日差しの中、そして海からの強い暑い南風にに逆らって一生懸命自転車で自宅に戻り、それから着替えて、実は普段「短パン+T-shirts」なのですが、この格好では流石に公的な会合には出席できませんので、いちおう半袖シャツと、スラックスに履き替えたのです そして 12:00には自宅近くまである会社のお迎えがあり、そのタクシーに乗り込み、新横浜駅までの道すがら色々な打ち合わせを行いました

そして、13:09新横浜発の「のぞみ」に乗り込み、一人で大阪大学吹田メインキャンパスまで向かったのです やはりこのあたりは学生時代の思い出が残る場所です それは何と 1969年から1975年の間でした あの頃は僕の可能性は  360度拡がり、世界は自分の手の中にありました しかし年齢を重ねるにつれ、自分の可能性の世界はどんどん狭まり、今やそうですねたった一度だけの可能性の拡がりしか残っていません 寂しい 自分がそのようにして社会の中から忘れられていくのでしょう 寂しい あがないたい、でも難しいでしょう

新大阪駅で下車し、少し時間に余裕があったので、北大阪急行 これは地下鉄御堂筋線の延長です それに乗り換え、終点の千里中央駅に行きました 学生時代から何度この駅を使ったことでしょう 妙に感傷的になります

そして、これは生涯で初めてと思うのですが、大阪モノレールに乗り換え、かつての大阪万博跡地の大阪万博公園の周りを回って大阪大学医学部付属病院駅で降りました まだ時間に余裕があったため、病院内の Subwayには入、アイスコーヒーを飲みました そう言えば最近は大阪でもアイスコーヒーのことをアイスコーヒーと言いますね でも僕が学生の頃は、大阪の喫茶店で「アイスコーヒー」と言っても店員さんは「何?」と全く理解できませんでした 大阪では正統派的呼び名は「レイコー」か、うーん忘れてしまいましたが、もう一つ呼び名があったような・・・ もちろんレイコーというのは、冷コーヒーのことなのです

まあ、今はアイスコーヒーで大阪じゅう通用しますし、大阪の若い人たちも レイコーという言葉は知らないかも知れませんね

それで、会議は 17:00よりその先端なんとかの7階で開催されました それはそれはお偉い先生方がお集まりとなり、僕は小さくなっていました そして会は 18:40頃まで続き終了しました 戻りは再び一人でモノレール – 地下鉄 と乗り継ぎ、そして現在は新幹線「のぞみ」で途中駅名古屋に停車中です

あー疲れた 自宅に到着は 23:00は軽く回るでしょう 明朝はまた 7:00AMには病院に到着してそれからTAVIと MitraClipです 大変ですね

それはそうと本日午後はこの kamakuraheart.orgのサーバーがダウンして全く通じませんでした これも大変でしたよ

最後の日中友好TRIセミナー

さて、6月29日午後の 丘珠空港 – 函館空港便で函館に入りました 天気が悪く、小さな飛行機は無茶苦茶揺れ、これはひょっとして着陸できないかも? と思うほどでした

そのまま市立函館病院に向かい、まず 蒔田先生と翌日の日中友好TRIセミナーでの院内ライブデモンストレーション症例の検討をしました

そして、いったんホテルに入り、時間を潰して、ホテルからも歩いていける函館金森倉庫の向かいにある「ラッキーピエロ」に 19時前に到着しました ラッキーピエロは函館市内にのみ店舗を展開しているハンバーガー・チェーン店です その独特の感性には痺れます 何と、函館市内に添加のマクドナルドは 5店舗、そして日本国内一番人気のモスバーガーも店舗数を減らし現在 3店舗しか無い状況の中でその店舗数を増加させ、現在函館市内のみに 17店舗を構えている独特のすごい世界のお店なのです 主力はもちろん独特のハンバーガーであり価格も安く、しかもおいしい さらにはカレーや丼もあるのです

すごいぞ 17店舗

このチェーンは神戸で生まれた会長の王さんが、20歳の頃函館に引っ越し、それから一代で興したものなのです 王さんはパスポートが中国でありますが、中国語はほとんど話すことができません そのビジネス感覚から、東京12チャンネルでのビジネス講座番組にもしばしば呼ばれ、一回 90分の講演料が 30万円とのことでした ちなみにその30万円は全て全国盲導犬協会に寄付しているそうです 今回は、日中友好という趣旨に賛同して頂き、わざわざ王会長と、その娘さんの社長が来られ、最初にご挨拶をして下さりました

王会長のスピーチ

それから乾杯をして、そして中国の先生方と一緒にハンバーガーやら色々おいしく食べました

あいにくの天気でしたが

いやあとても楽しく過ごしました

翌日は市立函館病院で中国の先生方 11名と日本の先生方 5名で日中友好TRIセミナーを開催したのです ライブデモンストレーション症例は三例でしたが、難しい症例でした それでもうまくライブデモンストレーションをこなすことができました 市立函館病院スタッフのお力です

ライブを終えて

社会の仕組みが急速に変化する中、このような善意の催し、あくまでも日本と中国との友好を現場レベルで促進しようという意図の催しもなかなか企画・維持していくことが困難となってきました そして、TRIも僕が中国に 1996年に導入して以来既に22年間が経過し、現在中国は世界一番のTRI大国となりました そのような状況の中でこのような会を今後も続ける意義が薄れてきたのは事実です そのような経緯でこの今年で 12回目となる 13年間続けてきたこの日中友好TRIセミナーも最後となりました 少し寂しい、いやとても寂しいのですが、致し方ありません

しかし、今回のライブを術者として行いながらも、自分自身驚かされました それは、僕自身のPCIという手技、とても極め尽くしたレベルであるということにです 体が手が、指が自然と望ましいように動いていくのです このような感覚になるのは最近のことです そもそも頭脳の脳細胞から司令が神経伝達するには数10mSecはかかると思いますが、明らかに僕の指は予測的に動いています いったいどうなっているのでしょうかね

嬉しいな るんるん

昨日は経カテーテル的大動脈弁置換術 (TAVI)の新しいページを切り拓く世界に足を踏み入れました これはTAVIの適応拡大なのです もともとTAVIは心臓血管外科による確立した外科的大動脈弁置換術 (SAVR)が非常に危険あるいは不可能と考えられる重症大動脈弁狭窄症に対する新しい治療としてはじまりました

それがディバイスの改良、そして何より先人たちの経験と学問によりどんどんより外科的大動脈弁置換術低リスク症例にも適応が拡大されてきました そしてついに、外科的リスクが著しく低い、具体的には予想手術死亡率 3%以下の症例に対してTAVIが SAVRと同等の、あるいはより良い長期成績を有するか否か、それを検討する時期に来たのです

患者さんを対象として実験する訳にはいきません それでこのような場合には、臨床試験が厳しい倫理基準と科学的裏付けの下で行われます そしてそのような世界的臨床試験に医師として、あるいは患者さんとして参加することは、人類の歴史に新たな一ページを切り拓くという名誉なことです

昨日第一例目の患者さんは当院においてその臨床試験にTAVIとして参加できたお一人だったのです やはり僕はその興奮を隠せませんでした そしてもちろん非常にうまくTAVI植え込みが終了しました 何の合併症も無くです

それに引き続いて二例目のTAVI これも大変うまくいきました 患者さんはすぐにお元気で嬉しいことこの上無しです

そして13:30から 実際には14:00から MitraClipです この方はご高齢であり何回も心不全入院を繰り返してこられた重症僧帽弁閉鎖不全の方です まずは年齢が理由で、そしてその他の理由で外科的僧帽弁治療による手術死亡率が 12%ぐらいと予想された患者さんでした

まず僕が世界で一番うまい Brockenbrough 経中隔左心カテーテル法が非常に困難でした その理由は下大静脈が蛇行し、しかも石灰化していて伸びないのです それでそもそも中隔に穿刺針を当てるのが困難でした しかも中隔が体に対して縦に垂直であり、穿刺針の向きの同定も困難だったのです それでもエコーの助けもあり上手に穿刺しましたね この段階で 30分費やしました その後、とにかくひどい僧帽弁閉鎖不全であり Prolapseが P1, P2の二箇所あり まずどちらから clippingするか その判断に迷い、結局 P2で clipping,することにしました それでも左心房が小さく本当に難しかったのです

P2 clippingに成功しても僧帽弁閉鎖不全は P1/A1側にものすごく残り、左心房圧を見てみると40mmHgぐらいの大きな V波があり、これではとても駄目なので、P1にも苦労の上 clippingしました これにより V波は C波と同じ高さに低下し、ドップラーでの僧帽弁閉鎖不全はせいぜい 一度にまで改善しました

本当に良かったですしこんな難しい症例を大成功裏に終了でき 本当にルンルンです 終了は 18:00でした 疲れましたねえ

その後 鎌倉ライブデモンストレーション実行委員会を開催し、遠方からも委員の先生方に集まって頂きました 多くの委員の先生方は 6:30 AM羽田発の便でそれぞれの病院の仕事に間に合うように戻られるのです 本当にご苦労さまです ありがとうございます

本日は日曜日 ブックスペース栄和堂

本日は久しぶりの日曜日です 12時開店のブックスペース栄和堂で3.5時間ぐらい一杯のコーヒーでまったりとした時間を過ごしています

ここは電源とインターネットフリーなのでプログラミングするにはとても良い環境なのです 本日は珍しくお客さん少なく僕以外にはこれまで3名のみであり、しかも何れも1時間ぐらいで出ていきました

例の学会演題プログラムに関しては、共同演者登録の部分でデータベース構造を根本的に変更し、それに伴いプログラムも大幅に書き換えているのです なかなか基本的な構想がまとまらないのでプログラム書きながら変更しながらの作業です それでもローカル Web上ですぐに検証できるのでとても良いですね これがコンパイラーによる作業であればこうはいきませんよね

それにしても僕の持っている武器は PHP/jQuer/Bootstrap/MySQL/htmlぐらいの乏しいものですのでなかなか思いどおりには行きません 新しい世界観 たとえば今注目しているのは Vue.jsですが、これなんか多分永久に届かない世界かも知れません やはり圧倒的に新しい物に取り組む勢いが年齢と共に低下しているのを感じます そんなことに負けたくはないのですが、現実も見ねばならないでしょう どこかで妥協して結果的に自分の能力を最大限に引き出す戦略が必要なのかも です

でも、救いの一つは、本日も Airさんとやり取りしていて新たな世界の入り口に片足の足首だけ入れることができました ありがとうございます