はじめに

ホテル・ノルマンディー |
今回のPCI訪問はフランスです。もっとも今回は講演のみでPCIを行う機会は残念ながらありませんでした。9月3日に日本を出発し、同日夕方パリに到着しました。パリのシャルル・ドゴール国際空港から車で、2時間半かけて250Km西に移動すると、そこは北海を臨むノルマンディー地方です(すっ、済みません、昔から地理や歴史などの社会科が弱点であった私です。本当に北海なのか自信がありません。要するに、イギリスとの境にある海です)。このノルマンディー地方にある美しい町Deauville(ドビーユ)。その町にある名門ホテル、ホテル・ノルマンディー[写真右]に到着したのはかれこれ8:00pmぐらいでした。行くまでは全く知りませんでしたが、ドビーユはこのノルマンディー地方の中でも有名な観光地であり、丁度9月5日からはCannes(カンヌ)映画祭と並んで有名な国際映画祭であるAmerican Film Festivalが開催されるところでした。ホテルの隣にはカジノもあり、また近郊には有名なゴルフ・コースもあります。海岸は整備されておりますが、もう夏は終わりになり(今はもう秋、ですね)誰一人泳いでいる人はいませんでした。ちなみにこの日の気温は、朝方摂氏8度で、日中は25度でした。そして夜間には5度ぐらいまで気温が下がります。これでもフランスを襲った今年の猛暑の続きで、例年よりも大分暖かいそうです。そうそう、一般論ですが、暑い夏の年には総じて良質な赤ワインが採れるそうです。従って、フランスの人々は今年の暑い夏を恨む反面、おいしいワインができることを楽しみにもしています。
第二次世界大戦の欧州での勝敗を決したアメリカ軍によるノルマンディー上陸作戦が行われたのは、このノルマンディーであり、この史実は映画にもなり有名です。このため、この地には当時を記した多数の博物館があり、フランス全土あるいは米国からいつも多くの観光客で賑わっているそうです。残念ながらそのような場所に行く機会は今回もありませんでした。また、首都パリからは南海岸のニースやカンヌに行くのは距離が遠く、時間がかかって大変ですが、このノルマンディー海岸には比較的簡単に来られるため、パリ在住の多くのお金持ちがこの地に別荘を構えているそうです。そんな訳で、このドビーユには多くのブランド店があります。そしてそこで高価なブランド品の買い物をしているのは、日本から来た女性観光客の集団ということでした。

アモン先生(右)と |
今回の私の目的地はノルマンディー地方の中心地Caen(カーン)に存在するカーン大学病院です。ここには私の友人である、Dr. Martial Hamon(アモン先生)[写真左]がおられます。彼から院内の循環器科と心臓外科の合同カンファレンスでの講演を頼まれました。私は、この講演会の中で、"PCI for Chronic Total Occlusion(慢性完全閉塞病変に対するPCI)"と、"Is Allen test necessary for trans-radial approach?"という題の講演を行いました[写真右]。
これというのも、私が苦労して書いた論文、"Saito S, Tanaka S, Hiroe Y, Miyashita Y, Takahashi S, Satake S, Tanaka K.: Angioplasty for chronic total occlusion by using tapered-tip guidewires."が、アメリカのCatheterization and Cardiovascular Intervention 誌本年7月号に掲載されたからです(Catheter Cardiovasc Interv. 2003; 59: 305-11.)。

講演会ポスター |
ここで話は飛びますが、フランス語では、単語の頭にある"h"は通常発音しませんし、また単語語尾にある"s"や"t"も発音しません。従って、フランス語で"Paris"はあくまでも"パリ"ですが、英語になるとこれが"パリス"となってしまいます。また、別の特徴として、フランス語の発音は、韓国訪問記で記しましたように、リエゾンします。リエゾンする場合には、この語尾の子音が次の単語の母音と合わさって復活します。誰でも知っているフランス語だと思いますが、"Je vous aim.(あなた様のことを愛しています。)"というのがあります。この二つ目の単語"vous"は単独だと"ブゥ"であり、語尾の"s"は発音しません。しかし、ここでは次の母音"ai"とリエゾンし、"ブゥ・ゼム"となります。このリエゾンがフランス語独特の美しい響きを作り出すのです。「あーっ、阪大教養学部の時にフランス語を続けておけば良かった」、と今更後悔しきりです。
フランスの大学病院は全て国立大学であり、一つとして私学の大学付属病院は存在しません。そして、これらの大学病院はフランス全土に30余り存在し、パリ市内を除いて全てCHUと表記されます。これはCentre Hospitalier Universitaire(=中央病院大学 = 要するに地域の中核病院であり、それが自動的に大学付属病院になっている)のことです。従ってこのカーンの大学病院は正式には、CHU de Caenと表現されます。ちなみに、カーンとカンヌというのは日本語では全く別のように感じますが、これは無理やりカタカナに当てはめた表現だからです。実際のフランス語の発音では、カーンという発音の中の"ー"という伸びる音は短く、カンという発音に聞こえます。また、カンヌの最後の"ヌ"は"ン"に近い発音で聞こえます。結果的に日本人にとっては、フランス語の発音から両者を区別するのは難しく感じます。
カーンはノルマンディー海岸から15Km余り内陸に位置する人口200,000人の中心都市ですが、市街地を離れると周りは広大な牧草地や農作地ばかりです[写真右上]。フリーウェーを車で走っていると、ひときわ大きな建物が目の前に出現します[写真右下]。
これがCHUです。ここカーンのCHUは1970年に建てられた建物ですが、20階以上の高さを有する高層ビルであり、巨大なものです[写真右]。このような病院の形態は最近フランスでは流行らず、最近建てられた病院は、広い敷地に診療科毎に別の、せいぜい三階建てぐらいの建物が分散していることが多いそうです。ここのCHUがカバーする診療圏は人口150万人になるそうです。その巨大な診療圏の中で、PCIを行う施設はCHUと、同じくカーン市内にある私立病院の二ヶ所しか存在しません。しかもこの私立病院はあまりアクティブではないため、事実上CHUがほとんどのPCIを行っているそうです。
フランスでは各CHUの診療圏は厳格に決められています。ノルマンディー州は5つの郡から成立します。即ち、下ノルマンディー地方(Basse-Normandie)にある3つの郡、CALVADOS(このCalvadosの最後の"s"はフランス語の中でも例外的に発音され、"カルバドス"と呼ばれます。ちなみにこのカルバドスはアルコール成分が40%以上にも達する有名なリンゴ酒、"カルバドス"の産地です。), ORNE, MANCHEの3つの郡と、上ノルマンディー地方(aute-Normandie)に属する2つの郡から成ります。このうち、CHU de Caenの診療圏は下ノルマンディーの3つの郡に限定されます。この中で発生した全ての急性心筋梗塞は、緊急電話番号15ないし18(日本の119に相当する)をかけることにより、発生現場に最も近い病院から医者の乗った救急車がかけつけ、まず最寄りの病院においてTPA(組織プラスミノーゲン活性化因子)投与による経静脈的冠動脈内血栓溶解療法を受けます。そしてその後、全例CHU de Caenに転送されます。

トゥルビーユの町 |

トゥルビーユ漁港 |
昼間に転送された患者さんに関しては、そのまま緊急冠動脈造影が行われますが、夜間の場合には翌朝まで待つそうです。冠動脈造影の結果、残存狭窄があったり、再開通が得られたりしていない場合にはそのままPCIに移行し、ステント植え込みが行われます。そして、数日間の入院の後に落ち着いていれば、Trouville(トゥルビーユ)にある病院にリハビリのために転送されます。トゥルビーユは本来漁港ですが[写真右]、小さな町並みはとても美しく[写真右]、同時に観光地でもあります。

タラソセラピーの施設 |
トゥルビーユでは時間がゆっくりと流れ、そこに滞在する人々は全てから解放されます。この荒ぶる世界のストレスによって傷付いた人々は、心身共にここで癒されるのです。あーぁ、僕も癒されたいです。トゥルビーユと、先のドビーユは細い川一本で隔てられた隣町同士であり、ドビーユには海水を温泉のように用いてリハビリを行うタラソセラピー(Thalassotherapy)の施設も存在します[写真右]。ついでのことながら、語尾のville(ビーユ)というのは、フランス語においては英語でのtown、日本語での町に相当するものです。これは推測ですが、多分英語のvillage(村)と、語源は同一だと思います。

Dr.Khayat(右) |
CHU de Caenでは、年間2,600例ぐらいの冠動脈造影が行われています。そして、そのほとんどが経橈骨動脈アプローチにより行われています。そして、この中の1,200例ぐらいがPCIだそうです。80%ぐらいの症例がAd hoc(ここでのAd hocという意味は、診断的冠動脈造影に引き続いて、そのままPCIを行うこと)だそうですが、DESを用いる場合には次項で述べる理由により、Ad hocで行うことはできません。PCIのほとんどは5Frのガイディング・カテーテルを用いて行われています。この病院には優秀な心臓外科医も存在します。彼の名はKhayat(カヤット)[写真右]と言い、1971年にアメリカのクリーブランド・クリニックにおいてCABGの訓練を受けたそうです。ですから推測するに彼の年齢は既に60歳ぐらいだと思いますが、未だに非常にアクティブで、年間開心術症例数は650例だそうです。その中には、CABGのみでなく、心臓移植も含まれます。そして、新しいLVAD(=Left Ventricular Assist Device: 左心室補助装置)の開発も行っているそうです。
フランスのPCI
フランスでは現在、年間100,000例ぐらいのPCIが行われています。冠動脈バイパス手術よりも2倍から3倍くらい多い症例数だということです。フランスはかつて社会主義国でもありましたので、医療福祉に関しても比較的手厚い制度があります。従って、PCIを受ける患者さんの自己負担もほとんど無いようです。もっとも、これは公立病院(Public hospital)での話であり、私立病院(Private hospital)においては、医療費の半額程度を支払う必要があるようです。いや、正確に言うと、公立病院の中でも私立病院と同様の診療を行うことができます。例えばCHU de Caenにおいては、Hamon先生は大体25%の患者さんに対して、私的診療(Private practice)を行っています。これらの患者さんにかかる医療費は公的診療の倍以上になるそうです。そして、その医療費の相当な額が、その医師の直接収入となります。フランス政府は、このような制度を許すことによって、優秀な医師が公的病院を辞めて、皆私立病院に去ってしまうのを防いでいるのだそうです。
残念ながら、患者さんがどのようにして、私的診療と公的診療を選択するのかについては伺うことは出来ませんでした。しかしながら、予想されることは、診療圏が政府によってきっちりと管理されている医療制度なので、恐らくは私的診療であれば、すぐに希望の先生の診療を受けられる、のではないでしょうか。公的診療では、CABGやPCIの場合でも、イギリスやカナダのように半年から一年も待たねばならないのではないでしょうか。
フランスでもDES(薬剤溶出性ステント)を自由に用いることができます。現在、世界的に(勿論、日本以外の国々ですが)認可市販されているDESとしては、CypherとTaxusがあります。フランスにおいても然りですが、やはり他の国々と同様に、Cypherに関しては、供給が不十分であるのみばかりか、病院に対する納入価格が高いそうです。ちなみに、CHU de Caenの場合には、この理由により、Cypherはほとんど用いず、DESに関してはTaxusのみだそうです(もっとも、ここでは新しいDESに関して国際的な臨床試験を多く行っているので、この臨床試験に組み込まれる患者さんに関しては自由にDESを使うことができます)。しかも、Taxusに関しても病院に在庫はおかず、用いる患者さんがいる場合には二日前にメーカーに電話して取り寄せるそうです。ですから、DESの使用は、非常に高い再狭窄率が予想される病変に限られます。
フランスの健康保険は医療費増加に対して非常に厳しい姿勢で臨んでいます。このため、CHU de Caenなどの公的病院においては、通常のステントは500ユーロ(約65,000円)程度でメーカーから入手でき、DESに関してもTaxusの場合には1,500から2,000ユーロで入手できるそうです。しかし、私立病院の場合には、これらの値段はもっと高いそうです。まあ、何れにしても日本での価格よりも相当に安いのは間違い有りません。日本では幾ら払わないと病院に入らないのかな? 厚生労働省の方々ならばご存じですよね。
Hamon先生

Hamon先生(右)と |
Hamon先生[写真右]はノルマンディーの西隣にある、ブルターニュのご出身です。ブルターニュはフランス語でBretagneと書きます。日本では"ブルターニュ"という呼び名が浸透していますが、英語圏では英語読みの"ブリテン"という呼び名が一般的です。ブリテンという発音から英語圏ではいつの間にかBritainと、つづり方も変化しました。
Hamon先生との会話の中で、彼は出身地を"ブリテン"と、私に何度も説明しました。「そうか、彼の英語が上手なのは、彼がイギリス出身だからなのだ。そう言えばMartialという名も、いかにもイギリスだよね。僕の英語が彼よりも下手なのは当たり前だよね。」と、勝手に納得していました。しかし、何とこれは真実では無かったのです。
僕が、「何故、UK(=イギリス)からフランスに渡ってきたの?」と聞くと、彼は、何言っているの?といった顔つきで、「違う、違う、UKはGreat Britain(大英帝国)だ。私はBritainの出身だ」と答えました。そこで地図を広げて確認したところ、彼の言うBritainは、何とブルターニュのことでした。そうです、彼は英語で僕と話をしていて、気を回して英語圏の人々に理解しやすいBritainという言葉をわざわざ僕に用いていたのです。
「でも、日本人に対してはBritainよりもBretagneの方が、馴染みがあって分かりやすいよ」との僕の一言で、この件は解決しました。
そもそも、私が彼のことを知るようになったのは、2002年のPCR(Paris Course on Revascularization)の会場において、5Frガイディング・カテーテルの集まりがあったのですが、その席で、何と非常に多くの症例を5Frのガイディング・カテーテルによりTRIで行っている施設があることを知ったからです。その施設はこれまでフランスの中でも無名の存在であったのが、一躍最前線に躍り出てきました。
この先生がHamon先生だったのです。僕は、TRIを最初に行ったKiemeneij(キムニー)先生に「Hamonって、知っている? ものすごい数のTRIを急に始め、しかも全例5Frでやっているよ。あなたが教えたの?」と、聞きました。しかし、彼も全くHamon先生の存在を知りませんでした。
そのような理由により、僕は2002年の鎌倉ライブデモンストレーションに彼をForeign Invited Facultyの一人としてKiemeneijと一緒に、招きました。この席で、TRI創始者のKiemeneij先生とHamon先生は初めて一同に会し、以来仲良く活動されることになりました。僕はTRIの世界でキューピットもしているのです。
幸のことながら、彼も、僕がこれまでにTRIに関して数多くの活動をしてきたことを知っていました。そして、何よりも1999年のTCT(ワシントンDC)や2000年のPCR(パリ)という世界を代表するPCIのライブデモンストレーションにおいて、アジア唯一の施設として湘南鎌倉総合病院心臓カテーテル室からPCIのライブデモンストレーションを飛ばし、しかもその全例をTRIで行ったことを知っていました。彼にとって僕はある意味でTRIの師匠的な存在でした。
Hamon先生はまだ若干39歳の新進気鋭の教授です。もともと、彼はアンギオテンシンIIのI型受容体遺伝子の多型性と、冠動脈疾患の関連について多くの論文を書いてきました。僕が調べた限り、彼のこの分野での最初の論文は"Hamon M, Amant C, Bauters C, Lablanche JM, Bertrand M, Amouyel P. ACE polymorphism, a genetic predictor of occlusion after coronary angioplasty. Am J Cardiol. 1996; 78: 679-81."です。彼は6年前にLille(リユー)心臓病院からこのCHU de Caenに移り、心臓カテーテル部門の教授としてPCIを指揮することを任されました。そして、何と比較的遅い1999年からTRIを開始し、今ではほぼ全例に対して経橈骨動脈アプローチにより、冠動脈造影を行っています。

経橈骨動脈アプローチの教科書 |
彼が中心となり、この夏に私たちは経橈骨動脈アプローチに関する世界で最初、しかも唯一の英語の教科書をフランスから発刊しました[写真右]。私は彼より去年の12月終わりに、電子メールでこの本の出版のアイディアを知らされました。勿論、彼のアイディアに対して全面的に賛成し、この本の中の慢性完全閉塞に対するTRIの一章を担当しました。原稿の締め切りまで一ヶ月しかなく、正月最中も休み無く、苦労して英語で原稿を書いた記憶があります。しかし、私のこんな努力よりも数段上の努力を、彼はこの本の出版のために費やしました。
今回、彼と色々な話をしました。その話の中でもこの本を2年か3年後には改訂することを決めました。彼との会話の一端をご紹介しましょう。
1. 国際共同臨床研究について:今回、彼からTRIに絡めてある臨床研究をいくつかの施設で国際的に行おうという申し出がありました。その内容については、当然のことながらここで明かす訳にはいきません。もちろん、OKしましたが、あとは院内の倫理委員会での判断を待たねばなりません。
2. 次の臨床研究についてのアイディア:
お互いに、「次に何をしよう、何も無いね」、と妙に意気投合してしまいました。
3. どうやって若い人に論文を書かせるか:
「本当に、若い人たちの尻をたたくのが大変だ。中には有望な者もいるけど」、という点でも意気投合しました。

Hamon先生の自宅 |

Mont Saint-Michel |
Hamon先生は、僕よりも随分と若く、その溢れ出るエネルギーには圧倒されそうになります。しかし、彼は僕のことを色々な意味での師として尊敬し慕ってくれています。そのことが、逆に僕に明日へ向かってのエネルギーを与えてくれます。このような彼と知り合うことができたのも、これまでに数々の圧力の中でTRIやその他のPCIを精力的に行い、しかもその成果を苦労して英文の論文として出版してきたからでしょう。本当に良かったと思います。少なくともこの10年間ぐらいは無駄に人生を過ごしてきたのでは無かったな、と思います。
彼は、この講演会の後、自宅[写真右上]に私を招いて下さり、そのあと彼の運転する自動車(ベンツなのだ!)で、世界遺産にも登録されているMont Saint-Michel(モン・サン・ミッシェル = 聖徒ミカエルの山)[写真右上]に連れて行ってくれました。僕は、そこで彼と別れ、再び車でドゴール国際空港に行き、成田に向かいました。
今回の話の最後に、まったく無関係な話題ですが・・・・。フランスはEUに発足当初からその推進者として加盟していますが、EU発足後に登録された自動車ナンバーは写真[写真右]のようになっています。左にEUの星のマークがあり、その下に国を表す一文字。フランスの場合にはFです。そして、フランスでは3桁ないし4桁の数字、それに続いて2桁ないし3桁のアルファベットの組み合わせが並び、右の2桁は数字です。この右の2桁はフランス国内の地域を表し、ノルマンディー地方は14だそうです。こんな話もHamon先生から教えてもらいました。
|