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 中国訪問記-II
はじめに
 僕は、前回の中国訪問記の後、セルビア、アイルランドそしてフィレンツェを経てから再び2003年10月25日に北京を訪れました。10月09日に 宮崎県都城市 藤元早鈴病院剣田先生と共に、院内ミニ・ライブを行い、その後に都城心血管懇話会で講演を行いました。そして、翌10日に名古屋空港経由で北京に入り、前回の中国訪問記となりました。そして、この09日に始まり、本日27日まで続く強行日程には、多くの外来患者さんにご迷惑をお掛けするのみならず、自分でもこの強行日程をこなせるのか?と、正直心配でした。

 21日にパリより関西空港に入り、そのままCCT(Complex Catheter Therapeutics)の開催されている神戸国際会議場に直行し、その夜の最終「のぞみ」で鎌倉に帰り、翌22日には当院からCCTにライブ・デモンストレーションの中継を行い、再び、23日早朝の飛行機に乗り、大阪空港経由でCCTの会場に行き、各種のDutyをこなし、その夜鎌倉に帰り、また24日金曜日には都市センター・ホールで開催された東京ライブ・デモンストレーションで座長を行い、そしてあっという間に25日の北京出発になる、ここ数日のスケジュールには本当に疲れました。

 そんな強行日程にもかかわらず北京に赴いたのはHu先生と並んで僕にとっては昔からの中国における深い付き合いの友人であるGao Runlin (高 潤林)先生が開催された、第一回CITに参加するためでした。

Gao先生
Gao Runlin(高 潤林)先生(写真左)
 Gao(ガオ)先生は僕が初めて中国を訪れた時(この時の模様は中国訪問記Iでも紹介しています)に、お会いした先生の一人です。僕は、この時に北京医科大学、安貞病院の他に、阜外(FuWai: フー・ワイ)病院を訪れました。今はさすがに記憶が曖昧となっていますので、正確には阜外病院をまず訪れ、その翌日に北京医科大学を訪れたような気もします。Gao先生は当時、阜外病院において循環器科の主任部長をされていました。阜外病院[右写真]は、日本で言えば国立循環器病センターに相当する施設です。当時阜外病院にはカテ室が二つあり、その一つは当時としては最新のSiemensのシネを備えていました。しかし、この二階にあるカテ室は完全に放射線科の管理下にあり、循環器科では用いることができませんでした。Gao先生達が用いることのできるカテ室は一階にあり、当時でも既に古くなっていた東芝のシネでした。この時、僕はこのカテ室で6例ぐらいのPCI(これは1990年であり、もちろんのことPOBAしか無い時代の話です)を行いました。しかも、何と左冠動脈前下行枝と対角枝に対する、Kissing balloonを行った記憶があります。そして、その後現像したシネをカテ室の横の廊下に投影しながら、集まった中国の若い先生方を前に"英語"で、どのようにガイドワイヤーを目標とする冠動脈に挿入するか? バルーンは何気圧で拡げるか? ヘパリンをどれぐらい投与し、何日続けるか? シースは何時抜去するのか? などなど、今では考えられないような初歩的講義を行いました。Gao先生は米国留学の経験があるので、非常に流暢な英語を話されます。しかし、当時、中国の若い先生方は文化大革命の行われていた「失われた中国の10年間」の世代に近く、ほとんどの先生方が英語を理解できませんでした。もっとも、正直に言いますと、真実は、彼らが英語を理解できなかったのではなく、僕の"英語"が理解不能な言語であっただけかもしれません。それはともあれ(これは重大な問題なので、「それはともあれ」という一言で済ますことではない!) 、この時にはGao先生が僕の喋る"英語"から北京語に通訳をして下さいました。

阜外病院
阜外病院
 当時、阜外病院[右写真]は主として先天性心疾患と心臓弁膜症を主体とする心臓疾患に対する、中国政府直属の循環器病センターでした。当時の中国においては、虚血性心疾患よりも先天性心疾患と心臓弁膜症が大きな問題でした。このため、この情勢を反映して、虚血性心疾患を主な目標とする循環器科の力は弱く、診断を行う放射線科と治療を行う心臓外科の力が強い時でした。PCIを終わった後Gao先生に案内して頂いたICUはとても大きいものでした。一体全体何例の開心術が行われているのか疑問に思い質問したところ、何とその答えは、「年間2,500例以上」というものでした。僕は、この数字をとても信じられなかったのですが、実際にその日にICUに術後入室した患者さんは10名であり、通常のICU滞在日数は術後1日のみである、ということからもこの数字が誇張ではない、と知りました。もっともGao先生がその時におっしゃられた言葉は、「それでもほとんどが先天性心疾患と弁膜症であり、冠動脈バイパス手術は年間100例にも満たない」というものでした。

 この阜外病院において体験したカルチャー・ショックとその他の精神的ショック、これが今の僕を形成した非常に大きな原体験であります。そのことは今振り返ってみても間違いありません。Gao先生は当時から非常に紳士的で温厚な先生でした。しかし、内に秘めた情熱はやはり中国という大きな国において循環器科の一翼を担うことのできる大きなものがありました。彼はこのような外科が強力な阜外病院の中で将来必ず重要になる冠動脈インターベンションを花開かせるために大きな努力を行っていました。この目的のために、Gao先生はそれまでに多くの著明医師をヨーロッパあるいは米国より招聘してミニ・ライブを行ってこられていたのですが、中国訪問記Iでも記しましたように、その結果は惨憺たるものだったのです。そのような事情とは知らず、僕はただひたすら異次元の環境の中で自分を失わないようにすることだけを考えて、普段通りに粛々とPCIを行いました。しかし、これは阜外病院において本当に初めて大成功に終わったPCIミニ・ライブだったのです。

 このように僕の人生とも深い関わりのある阜外病院ですが、その後も大きく発展し、2002年には何とPCI症例数は年間1,400例、冠動脈バイパス手術症例数は840例、その他を含めた開心術総数は何と年間3,000例という、日本のいかなる施設も到底手の届かない症例数を誇る循環器治療専門の中華人民共和国政府直属の病院となっています。

 さて、今回北京訪問の目的であったCITはChina Interventional Therapeuticsの頭文字であり、今年が第一回です。これまでにGao先生は毎年10月にISIC (International Symposium on Interventional Cardiology and Live Demonstration)という学会を主催されてきました。これを今年からCITと名前も組織も変えられたのです。この理由としては、多分Gao先生が阜外病院の病院長を退官されたことと無縁では無いと思います。中国では公職にある人は必ず62歳か63歳でその職を退官せねばならない、という決まりがあるそうです。これは政治家や官僚などにも原則として適用されるようです。何だか、先の自由民主党衆議院議員選比例代表候補公認での定年制導入を思い浮かべてしまいます。

 ただ、そのように定年になったからと言っても隠然たる権力はそのまま保持し、病院内での部屋や秘書などもそのまま継続します。ただ、流石に予算獲得権、人事権その他の明文化された病院内での権力は無くなります。


China Interventional Therapeutics 2003
 10月の北京というのは、通常本当に美しい時期です。しかし、今年はずっと雨が降り、惨憺たる天気でした。CITにはCCTから多くの世界的に著名な先生方が流れられました。このため、Marie Claude Morice、Spencer B. King III、Eulogio Garcia、Jean Marco、Bernard Chevalier、Maurice Buchbinder、Seung-Jung Park、Eberhard Grube、Jaap N. Hamburgerを初めとした諸先生方がゲストとして参加されました。僕は、ISICの頃からこの学会のCo-chairmanをしてきましたが、今回は例のSARS騒動のためにCo-chairmanという学会での公職につくことを遠慮しました。そこで、僕のタイトルはHonorary Scientific Consultantというものでした。

China World Hotel
China World Hotel
 学会場は北京市内の数あるホテルの中でも超一流の中国大飯店(China World Hotel)隣の会議場で行われました。参加人数は2,000人ぐらいだったと思います。この学会場と阜外病院の心カテ室をマイクロウェーブで結んでライブ・デモンストレーション放映が行われました。僕の学会中の役割は、1.25日16:15-18:30座長、2.26日朝ライブ・デモンストレーション第一症例の術者、3.26日12:30-14:00ランチョン・セミナーでの演者、4.26日14:00-16:15モデレーター、というとてもタイトなものでした。この間、もちろん全て英語で話さねばなりません。さすがに初めて北京を訪れた時に喋っていた"英語"と比べればうまくはなっていますが、それでも欧米の人々の話す英語とは比較になりません。また、座長としては外国の先生方の発言を全て聞き取り、理解し、そして応じなければなりません。とてもやり甲斐はあるのですが、大変な仕事です。

 この学会には今回日本から鈴木孝彦先生、加藤 修先生、光藤和明先生はじめ全部で7名ぐらいの先生方が参加されました。

 26日のランチョン・セミナーでは一時間30分の時間内に、三人の演者がそれぞれ25分間ずつ講演をしました。まず僕が「慢性完閉塞に対する経橈骨動脈冠動脈インターベンション」というタイトルで、ついでKing先生が「糖尿病患者さんに対する冠動脈インターベンション」、最後にGarcia先生が「小血管に対するステント植え込み」というタイトルで講演しました。僕の講演は最後の予定だったのですが、King先生のプレゼンテーションの立ち上げに時間がかかったために急遽、トップ・バッターとなりました。King先生というのは、循環器の医師ならば世界中の誰でもが知っている超有名人です。米国アトランタの名門Emory(エモリー)大学教授をされていました。そして、あのPCIを世界で最初に始めたAndreas Gruentzig (グルンツッィヒ)先生を招いて、米国内で初めてPCIを開始されました。現在では、Emory大学付属Andreas Gruentzig研究所所長をされています。このKing先生は、前回イタリア編でも僕の初めての英語発表の時に座長の席で僕を助けて下さった先生、として紹介しています。そんなKing先生と同席で講演を行えたことはそんな僕にとって格段の意味があり、また非常に光栄なことでした。

Luncheon
King先生(写真左から4番目)と、Garcia先生(写真右から2番目)
 King先生はご自身が主導された世界に大きなインパクトを与えた臨床研究であるEAST試験から豊富なデータを用いて糖尿病患者さんに対するPCIの問題点を講演され、大変勉強なりました。Garcia先生は7年ぐらい前に当院のカテ室を訪問されたこともあり、それ以来懇親を深めている先生です。彼はスペインの名門マドリード国立大学付属病院で冠動脈インターベンション部門の教授をされています。数多くの臨床研究に携わっておられ、世界的にも非常に著名な先生です。5年ぐらい前には彼のマドリッドのカテ室から2例のTRIライブ・デモンストレーションを飛ばしたこともあります。三人の講演の後で色々なディスカッションを行いました。それが終了し、このセッションは終了したのですが、何とあのKing先生が僕の講演に対して非常に興味を示され、「プレゼンテーションを僕に譲ってくれないか?」と、聞いてこられました[写真]。苦労して作ったプレゼンテーションですので、正直のところ少し「もったいない」とも思いましたが、非常に光栄なことなので、「喜んで」と反射的に答えてしまいました。そして、それからは三人でパソコンを出し合って、USBメモリーを介して互いのプレゼンテーション・データを交換し合いました。大容量USBメモリーという便利なものがあるので、本当に簡単になりました。そんな訳で、僕のコンピューターには貴重なKing先生と、Garcia先生のプレゼンテーション・データが存在します。

 ちなみに僕は自分の講演に用いるプレゼンテーション・データは全て自作しています。でも、これからはこれらの先生方のデータも一部用いさせて頂こうと思います。

 僕が26日に割り当てられた症例は下壁心内膜下心筋梗塞の既往を有する労作性狭心症の56歳の男性患者さんでした。この患者さんは9月に行われた冠動脈造影で、3枝病変を有し、しかもこの内、左冠動脈前下行枝と右冠動脈に関しては分岐部病変でした。右冠動脈病変は#4AVと#4PDの分岐部に位置するCTO病変でした。これに対して、右橈骨動脈アプローチによりLaucher 6Fr AL-1を用いてPCIに入りました。右冠動脈はCross-it 200によりまず#4AVを選択し、もう一本のCross-it 200を用いて、#4PDにもガイドワイヤーを挿入し、次いで2.5mm balloon (Maverick)により、#4AV→#4PDと順番にバルーン拡張を行い、右冠動脈本幹から#4PDに向けてDriver stent 3.0x15mmを植え込みました。#4AVは全くjailされませんでしたのでKissingは行いませんでした。

 次いで、同じAL-1を用いて左冠動脈にカニュレーションし、まず同じ2.5mm balloonによって左冠動脈回旋枝#13の99%狭窄を拡張し、同部に対して2.5mmx14mmのArthos stentを植え込みました。用いたガイドワイヤーは先のCross-it 200でした。次いで左冠動脈前下行枝にBMWガイドワイヤーを挿入し、対角枝に先のCross-it 200を挿入し、同じ2.5mm balloonで前拡張の後、前下行枝本幹にArthos stent 3.0x24mmを植え込み、次いでガイドワイヤーを入れ替えて先の2.5mm balloonと3.0mmのステント・デリバリー・バルーンによって同時Kissingを行いました。前下行枝ステント植え込み部末梢に解離が発生していたために、Arthos stent 3.0x8mmを追加して終了しました。結局、この3枝病変症例に対して、ガイドワイヤー3本、ガイディング・カテーテル1本、バルーン・カテーテル1本、ステント4個を用いて造影剤使用量200ml、所用時間1時間で手技を終了しました。この手技の2/3は会場にそのまま流され、会場におられたKing先生やHamburger先生よりコメントやアドバイスを頂きました。

 手技を終了し、会場の中国大飯店に急いで直行しましたが、その途中には天安門広場があります[下写真]。もう今まで何回この光景を自分の目にしたことでしょう。

天安門広場
天安門広場

Mr. Xubo
Mr. Xubo
Mr. Xubo (徐 波)
 Xubo (徐 波)は僕の若い友人です[右写真]。彼は阜外病院心臓カテーテル検査室を取り仕切っているレントゲン技師さんであり、またGao先生の右腕でもあります。阜外病院での心臓カテーテル検査・治療スケジュールは全て彼によって毎日決定されます。そんなわけで彼の役割は重大です。また、CITにおいても色々な裏方の仕事は全て彼が行ってきました。彼と知り合うようになってもう5年間以上たつと思いますが、僕は彼を非常に大切な友人と思っています。そんな関係もあり、彼を鎌倉ライブ・デモンストレーションに招待したこともありますし、北京に行った時にはよく一緒に食事をとります。これからも彼とは長く付き合い続けることになるでしょう。

中国のPCI
 先にも記しましたように、今回ライブ・デモンストレーション症例においてメドトロニック社から出ているステンレスを用いない新しいタイプのステント、「ドライバー」を用いました。この選択は医学的には正しいものでしたが、その後で、助手についていた中国の先生から言われました。「何でそんなに高いステントを用いるのか? ドライバー・ステントはとても高く、その販売価格はDESであるTAXUXの販売価格US$1,700よりも高い」といってなじられました。勿論僕はそんな異常な事態に陥っているなどとは知りませんでした。でもこれって、どう考えても変ですよね。何か事情があるのでしょう。

この後、ヨーロッパのステント会社の人と話す機会がありましたが、彼は、「ヨーロッパではCypherはUS$2,500~3,000で売られているが、何れにしても特許訴訟の問題とか、米国国内でのバック・オーダーなどにより入手できない状態だ。一方、TAXUXについては供給も十分であり、その販売価格はUS$1,600~ 1,900である」というふうに言っていました。

 巷に、日本でCypherが認可される時には、その保険償還価格がUS$4,500にもなるという"噂"があるそうです。「これって国際標準から見ればとても変ですよね」、と、ある方が仰っていました。その方というのは決して僕ではありませんので、念のため。

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